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三浦龍昭氏「新室町院珣子内親王の立后と出産」(その7)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2020年 2月14日(金)11時41分25秒
  通報 編集済
  三好千春氏の博士論文は「中世前期における不婚内親王と女院・皇后・准母の研究」(2013)だそうで、師匠は京都橘大学の細川涼一氏みたいですね。

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025483360-00

私には三好氏の議論は基礎的な部分が弱いように思われますし、また、姈子立后を持明院統が大覚寺統に打ち込んだ「楔」であり、伏見践祚の「前哨戦」だ、などと殺伐とした闘争のイメージで捉える三好氏の基本的発想が理解できません。
「尊称皇后」とはいえ立后は結婚ですから、私は対立よりも宥和を目指したものと捉えるのが自然だと考えます。
そして、姈子立后は後深草院と亀山院の宥和を図っている点で「北山准后九十賀」と共通しており、「北山准后九十賀」を主宰したのが後深草・亀山兄弟の母である大宮院なので、姈子立后も大宮院が主導したのではなかろうか、と考えています。
当時の治天の君である亀山院は剛毅な性格で、亀山院に命令したり指導したりできるのは鎌倉幕府くらいですが、しかし、そんな亀山院にとっても唯一頭の上がらない存在と想像されるのが母親の大宮院ですね。

「北山准后九十賀」と姈子内親王立后の連続性
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9887

さて、三好論文の続きをもう少し見ておくと、

-------
第二章 後宇多後宮における姈子内親王の位置
 第一節 姈子内親王の婚姻

 前述したように姈子の願文は、彼女の半生における重大事が列挙されているが、その中でも立后に並んで重要なのが、遊義門院号宣下後に後宇多後宮となる点である。女院となった後に婚姻する事例は、姈子が史上ほぼ唯一と考えられる。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9888

ということで、三好氏の用語には若干の混乱があるように思われますが、要は弘安九年(1285)八月の姈子立后、正応四年(1291)の女院号宣下を経て、永仁二年(1294)六月末頃から遊義門院が後宇多院と同居するようになったのは何故か、という問題ですね。

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 この婚姻についても、残念ながらその事情を語る同時代の史料は皆無である。『増鏡』には、弘安八年(一二八五)二月の北山准后・四条貞子(西園寺実氏室、後宇多と姈子にとって外曾祖母)九十賀の席上において、「姫宮、(中略)おはしますらんとおもほす間のとほりに、内の上、常に御目じりただならず、御心づかひして御目とどめ給ふ」と姫宮・姈子に注がれる内の上・後宇多の眼差しについて語られ、その後、後宇多が「いかなるたよりにか、ほのかに見奉らせ給ひて、いと忍びがたく思されければ、とかくたばかりて、ぬすみ奉らせ給ひて、冷泉万里小路殿におはします」と、略奪婚説を伝えている。はたして実際のところ、このようにいかにも物語的な事件が本当に起こったのだろうか。『勘仲記』や『実躬卿記』にはそれらしい記述は見当たらない。婚姻した日付も『女院小伝』は永仁二年(一二九四)六月三十日としているが、『続史愚抄』の同年六月二十八日条に、

 今夜、遊義門院<法皇本院皇女、御同座、御年廿五>不知幸所、 是新院竊被奉渡于御所<冷泉万里小路>云、
 <或作五条院、謬矣、又作三十日、今月小也、無三十日>後為妃、

とある。伴瀬明美氏は「日付がはっきりしない点は、この事件全体の真相が明らかではないことと無関係ではあるまい」とし、森茂暁氏は後醍醐の西園寺禧子略奪が実際に史料上確認できることから、姈子略奪についても事実ではないかとの見解を示している。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9891

「森茂暁氏は後醍醐の西園寺禧子略奪が実際に史料上確認できることから、姈子略奪についても事実ではないかとの見解を示している」とのことですが、当事者の年齢ひとつとっても同視はできません。
永仁二年(1294)に後宇多は二十八歳、遊義門院は二十五歳で、二人とも充分に判断力を備えた大人です。
しかし、後醍醐は数えで十一歳、満年齢なら十歳の子供を「忍びて盗み給」うた訳で、現代であれば未成年者略取誘拐(刑法224条)という立派な犯罪ですし、当時としても相当問題のある行為ですね。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/10149

森茂暁氏は史料の読解力はすごいと思いますが、人間関係の洞察については万事に頓珍漢な人ですね。

『とはずがたり』の「証言内容はすこぶる信頼性が高い」(by 森茂暁)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8095
「赤裸々に告白した異色の日記」を信じる歴史学者
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8097
 
 
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