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呉座勇一氏と松沢裕作氏による我田引水の力量比べ

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月23日(土)23時43分3秒
編集済
  >筆綾丸さん
>雲英は明治のキラキラネーム

「雲母」だったら「きら」と読めますが、「雲英」で「きら」は難読、というか知らなければとても無理ですね。
ご紹介の「日本姓氏語源辞典」サイトの説明に「吉良の異形。愛知県西尾市一色町一色中屋敷にある浄土真宗の安休寺の僧侶による明治新姓」とありますが、私もこれに気づいてツイッターで「雲英」についてあれこれ書いていたところ、近世文学に詳しい方から早稲田大学名誉教授で近世文学・俳諧の研究者に雲英末雄という人がいることを教えてもらいました。
ウィキペディアを見ると、雲英末雄(きら・すえお、1940-2008)は「愛知県幡豆郡一色町(現西尾市)生まれ」とあるので、雲英晃顕(宇野三郎、1930-2008)と共に「浄土真宗の安休寺の僧侶」一族である可能性は極めて高く、ほぼ同世代の二人は兄弟もしくは従兄弟くらいの関係かもしれないですね。

雲英末雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E8%8B%B1%E6%9C%AB%E9%9B%84

>呉座氏の了見
日経記事には、

-------
困窮と孤独という悲観は「内に向かえば自殺、外に向かえば、秋葉原や(大阪教育大付属)池田小で起きたような無差別殺傷事件につながる」。

「応仁の乱の前後で宗教組織が勢力を伸ばした。不安な社会情勢のなか、来世の救済を約束して若者を中心に支持を集めて武装に走った」。こうした歴史からはオウム真理教事件を想起するという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40872830U9A200C1CR8000/

とありますが、現代の社会情勢を自分の専門とする時代の事象に強引に結びつけて類似性を強調するという手法は松沢裕作氏の『生きづらい明治社会』と共通ですね。
呉座氏の我田引水の巧みさは松沢氏に劣るとも優らない感じがします。

-------
新しい年号の時代が5月に始まる。少子化問題や国と地方に積み上がる借金。次の時代に引き継がれる負の遺産も多い。「今まで目をつぶってきた問題がどんな結末になるのか。悲観論者なので、少し心配している」
-------

とのことなので、二人は陰気な性格と将来に対する展望の欠如も共有されているようですね。
 
 

キラキラネーム(徒然草第116段)

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月22日(金)15時21分52秒
  小太郎さん
https://name-power.net/fn/%E9%9B%B2%E8%8B%B1.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure100_149/turedure116.htm
雲英は明治のキラキラネームということになるのでしょうね。

https://ttcg.jp/human_yurakucho/movie/0532000.html
明日は、『ちいさな独裁者』を観に行こうかと考えていますが、予告をみると、黒澤明の『影武者』を意識しているような気がします。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40872830U9A200C1CR8000/
三週間前の記事ですが、なぜ、こんな比較をするのか、呉座氏の了見がよくわかりません。

 

「コミンフォルムの評論を朝鮮戦争との関係で考えたことはなかった」(by 宇野三郎こと雲英晃顕)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月21日(木)13時08分44秒
編集済
  >筆綾丸さん
『NHKスペシャル 朝鮮戦争~分断38度線の真実を追う~』は1990年当時の研究水準が概観できて、なかなか便利ですね。
朝鮮戦争勃発以来、最初に攻撃したのが北朝鮮側か韓国・アメリカ側か、などという今では滑稽に思える論争が延々と続いていましたが、さすがに1990年頃には終息していたようです。
同書を少し引用してみると、

-------
 日本共産党は朝鮮戦争について、かつてはアメリカ帝国主義が引き起こしたものとしてきたが、一九八八年に出版された『日本共産党の六五年』では立場を変えている。「五〇年六月二五日、朝鮮を南北に分断する三八度線で軍事衝突が起き」と書いた後、北朝鮮と韓国の言い分を並べている。一見、中立的だが、「こうして全面的な内戦が始まった。朝鮮民主主義人民共和国の軍隊は韓国軍の不意を突いて急速に進撃し、三日後の六月二八日、ソウルを占領……」と述べ、朝鮮戦争がアメリカの侵略で始まったものではないこと、韓国側は戦争の用意がなかったことを、かなりはっきりさせている。
 『日本共産党の六五年』では、コミンフォルムの日本共産党批判と朝鮮戦争との関連については触れられていないが、この点について日本共産党社会科学研究所の宇野三郎所長は、こう説明する。
「コミンフォルムの評論を朝鮮戦争との関係で考えたことはなかった。共産党としてはこれまで、朝鮮戦争をアメリカの反共政策との関係でみていた。一九五〇年の六・六(日本共産党)追放はアメリカが朝鮮戦争を進めるためのステップであると長い間考えてきた。それが、朝鮮戦争は金日成が仕掛けたものであることがどうも正しいという理解に達し、党史を書き変えるにあたって六・六理論をいかに克服するかで精いっぱいであった」
「いわれてみれば、スターリンの当時の極東戦略として、朝鮮半島と日本が切り離されたものとして考えられたとは思えないし、日本共産党批判が朝鮮半島での武力南進と関連づけて考えられていることも妥当のように個人的には思える。しかし証拠はない」
「当時の文献や記録された談話には、野坂や徳田が、このコミンフォルム評論を、スターリンの意図が朝鮮半島と合わせた日本での武力革命の推進にあると読んだことを示すものはないと思う。『日本共産党の六五年』で朝鮮戦争とコミンフォルム評論を結びつけて論じてないのは、決して意図的に隠したというようなものではなく、思い及ばなかったにすぎない。一つの研究課題を負わされた感じではある」
 世界共産主義運動は国際連帯を重んじてきた。結果的にそれがソビエトの一国社会主義や、ソビエトや中国の大国主義、さらには社会帝国主義に変質したのかもしれないが、ともかく一つの国の社会主義革命をみんなが連帯感を持つように求められた。一九六五年には中国を訪れた日本共産党の宮本書記長らに、毛沢東が、当時燃え盛っていたベトナム戦争に関連し、アメリカ軍の基地になっている日本でベトナム支援のためにゲリラ闘争をやれと、要求したと伝えられている。
-------

ということで(p221)、宇野三郎のような頑迷な日本共産党の御用学者ですら認識を改めざるをえない状況だった訳ですね。
さすがに今では開戦責任論争は雲散霧消し、2月3日の番組でも一顧だにされていませんでしたが。
どうでもよいことですが、ウィキペディアを見たところ、宇野三郎は実家が寺で、本名は雲英晃顕(きら・こうけん)という立派な名前だったそうですね。
まあ、この絢爛豪華な名前では仏教色が強すぎて共産党員としては些か重荷だったのでしょうが、それにしても宇野三郎とはずいぶん平凡なパーティーネームを選択したものです。

宇野三郎(1930-2008)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E%E4%B8%89%E9%83%8E

>教会内での銃撃戦というのは初めてみました

私は筆綾丸さんからお聞きした『ハイドリヒを撃て!』で見た覚えがあったので、あれっと思いましたが、筆綾丸さんは御覧になっていなかったのですね。
『ハイドリヒを撃て!』は何だか古臭くて後味の悪い映画でした。

『ハイドリヒを撃て!』と『ダンケルク』
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9086
Bildung für Nazis
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9089
 

HHhH

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月21日(木)12時01分57秒
  小太郎さん
29年前のNHKスペシャルの再放送があれば、ありがたいですね。


http://hhhh-movie.asmik-ace.co.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%89%E4%BD%9C%E6%88%A6
一昨日、日比谷シャンテで『ナチス第三の男』を観ましたが、登場人物(ヒムラー、レーム、ハイドリヒ・・・)がすべて英語を話すという倒錯的な言語表現に、西欧人は違和感を覚えないものなのかどうか。ヒトラーの「我が闘争」は、「My Struggle」ではなく「Mein Kampf」と言ってましたが。
ハイライトは、プラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂におけるレジスタンスとナチスとの銃撃戦で、教会内での銃撃戦というのは初めてみました。

https://en.wikipedia.org/wiki/HHhH
原作『HHhH』は、Himmlers Hirn heißt Heydrich(=Himmler's brain is called Heydrich)の abbreviation ということです。
 

「(レベジェフ将軍は)どこまでも抜け目のない老人であった」(by 饗庭孝典)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月20日(水)11時11分29秒
  朝鮮戦争に入りこんだらすっかり補給線が伸びきってしまいました。
そろそろ撤退の時期ですが、その前に昨年末、内田力氏の論文を読んで以来の疑問には一応の決着をつけておこうと思っています。

内田力「一九五〇年代の網野善彦にとっての政治と歴史」へのプチ疑問(その1)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9723

>筆綾丸さん
先日の番組に比べると29年前のNHKスペシャルは非常に優れた内容ですね。
まだまだ事実関係の解明が不十分だった時期で、例えばソ連関係では、

-------
壁厚いソビエト軍関与の実像

 グラスノスチの結果として、いまではKGBの文書保管所やスターリンの政敵だった政治家に関する資料が保管されているレーニン図書館特別保管所も公開された。この肯定的な流れが続けば、いずれは朝鮮戦争の資料も公開されることになろう。それまでは生存者の証言が、唯一の頼りだ。
 解放直後の北朝鮮でソビエト占領軍の政治担当責任者として駐在し、金日成の擁立に大きな役割を果たしたというレベジェフ少将がモスクワに健在だった。九〇歳になるレベジェフ将軍は耳も達者で言葉も明晰、しかも肝心のところにくると話を外したり、雑談の中でこれはというおもしろい話があってもカメラが回ると途端に内容が変ってはぐらかされたりという具合で、したたかな老人であった。【中略】
 朝鮮戦争が始まる前の金日成の秘密訪ソに触れるかと心待ちにしていたが、出てきたのは発表済みの公式訪問であった。どこまでも抜け目のない老人であった。
-------

といった状況だったそうですが(『NHKスペシャル 朝鮮戦争~分断38度線の真実を追う~』、日本放送協会、1990、p115以下)、それでも幾多の工作に関わったレベジェフの人物自体に妙な味わいがありますね。
29年前のNHKスペシャルを製作した饗庭孝典氏は、

-------
1956年東京外国語大学英米科卒業、NHK報道局入局。国連広報局出向を経て、NHKアジア総局をはじめ、サイゴン、シドニー、ニューデリー、ソウル、北京の各支局勤務の後、解説主幹。1993年NHK退職、同年より99年まで杏林大学社会科学部教授、2004年まで早稲田大学法学部講師。現在、東アジア近代史学会副会長。

http://second-academy.com/lecture/KNG11221.html

という経歴の方ですが、2016年に亡くなったそうですね。

>坂井孝一『承久の乱』
今は余裕がなくて、本郷和人氏の著書とともに暫く先送りします。
 

神南記念日

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月18日(月)12時18分24秒
編集済
  小太郎さん
野暮な話になりますが、NHKにはもうちょっと「学問的」な番組を作ってもらいたいですね。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24323110W7A201C1000000/
「これでいいぜ」と寺田が言ったから十二月六日は神南記念日

最高裁大法廷判決を門前で聞いて、三宅坂(隼町)在住の柔術師範代・柔万智蔵が詠じた駄歌のひとつですが、二日遅らせて十二月八日にすればよかったものを、とかなんとか呟いていたそうです。
(愚注)神南は、勿論、NHK本局の換喩(metonymy)ですが、幹部職員が背後の代々木公園で拾い集めた神南ならぬ残んの銀杏をサラダに混ぜてお祝いした、という含意でもあります。


https://www.nikkei.com/article/DGKKZO41322070V10C19A2MY9000/
本郷氏は、和田義盛をダシにグチってますが、見苦しいですね。

-----------------
 ・・・研究の進展によって、朝廷と幕府の関係は対立の構図だけでは捉えられるものではなく、後鳥羽が目指したのも執権北条義時の追討であって倒幕ではなかったことが明らかになってきた。高校日本史の教科書も、後鳥羽は「北条義時追討の兵をあげた」「義時追討の命令を諸国に発した」と叙述し、「倒幕」「討幕」という表現は少なくなっている。(坂井孝一『承久の乱』「はじめに」ⅰ頁)
・・・・実朝も上洛して後鳥羽や順徳、御台所の兄坊門忠信ら院近臣たちと対面し、和歌談義に花を咲かせ、朝幕の友好関係を進展させることも夢ではない。いわば、実朝による「幕府内院政」である。(同書96頁)
-----------------
こんな記述をみて、これは駄目だな、と坂井氏の本を読むのはやめました。
北条義時だけを芟除したいのであれば、のんびり東下りした押松の代わりに、もう少し賢そうな暗殺者を仕向ければよかったんじゃないの、と思いますね。いま一歩のところで始皇帝暗殺に失敗した荊軻とか、物の見事にトロツキー暗殺に成功したラモン・メルカデルとか、ほかにいただろうに。
 

マシュー・B・リッジウェイ『朝鮮戦争』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月16日(土)13時38分17秒
編集済
  すっかり朝鮮戦争の泥沼に嵌ってしまい、マッカーサーがトルーマン大統領に罷免された後、その地位を継承したリッジウェイの回想録、『朝鮮戦争』(熊谷正己・秦恒彦訳、恒文社、1994)を読み始めたところです。
リッジウェイは本当に明晰な頭脳の持ち主ですね。

Matthew Ridgway(1895-1993)
https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_Ridgway

>筆綾丸さん
いえいえ。
念のため製作責任者の名前を確認しておこうと思って youtube を見たら、既に

「NHKスペシャル 朝鮮戦争 秘録 ~知られざる権力者...」は A-PAB による著作権侵害の申し立てにより削除されました。
https://www.youtube.com/watch?v=vDly88AM6-I

となっていました。
筆綾丸さんに教えていただかなかったら全く手がかりがありませんでした。
チラッと見た印象では、当該文書は、

-------
50年の初夏に朝鮮戦争が勃発し、半年たったクリスマスイブ、国連軍の司令官マッカーサー元帥はワシントンに暗号電を打った。「原爆投下の標的候補地を優先順に挙げる」
 ウラジオストク、北京、旅順……。並んだのは北朝鮮軍に加勢する中国と、背後から支えるソ連の都市名。翌春には、この中ソを核でたたく計画を具体化させ、承認を得ようとした。トルーマン米大統領の反対で現実にはならなかったが、北朝鮮が核の脅威を肌で感じるには十分だった。

https://www.asahi.com/articles/ASL505FD8L50UHBI01Y.html

と朝日新聞が書いている「暗号電」とも微妙にずれるような感じがするので、もう少し調べてみます。
ちなみに「陸軍参謀本部G3のボルテ将軍」は Charles L.Bolte(1895-1989)ですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_L._Bolte

>好事家さん
前回投稿では少し戯画的な書き方をしてしまいましたが、三代目と抱き合うことのできる文在寅大統領らのグループがこのまま南北統一路線を進めれば、近い将来に統一朝鮮と日本の間の軍事衝突もあり得るのでしょうね。
 

お礼

 投稿者:好事家  投稿日:2019年 2月16日(土)01時26分44秒
  小太郎さん、
ありがとうございます。
バイクで群馬に行った時の写真です。
現地では徳川将軍家=新田の支流を強調。
しかし太田市役所観光課で萩や名古屋に比べて太田市、知名度低い。
担当者?????
鎌倉幕府滅亡の出発点=太田市、室町幕府滅亡の出発点=名古屋市、江戸幕府滅亡の出発点=萩市。
 

お礼

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月15日(金)14時01分20秒
  小太郎さん
ありがとうございます。NHKスペシャルの背景がよくわかりました。
最近のNHKの質はかなり低下していて(とくに、ニュースがひどい)、あまり見ないようにしてますが、ほとんど詐欺のような内容ですね。
 

「マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月14日(木)22時16分35秒
編集済
  2月3日のNHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」に出てきたマッカーサーの原爆投下目標の件、朝鮮戦争に関する最新の論文を片っ端からチェックしなければならないのかな、などと思っていたのですが、近くの図書館でたまたま手に取った29年前の本に回答が出ていました。
しかもそれは饗庭孝典・NHK取材班『NHKスペシャル 朝鮮戦争~分断38度線の真実を追う~』(日本放送協会、1990)であって、29年前のNHKスペシャルの担当者が纏めた本ですね。
同書の「第六章 核が準備された」に、

-------
マッカーサーは中ソ攻撃のために核使用を考えていた

 しかし、マッカーサーは全く違うことを考えていた。彼は中国共産党がアジアでの政治不安の根源であり、この機会に徹底的に巻き返し、蒋介石の大陸復帰を実現しようと考えていたようだ。
 マッカーサーの回顧録は、原爆使用問題についてきわめて短く、控え目にしか書いていないが、それでも「敵の主要補給路の全部にまたがって放射性廃棄物、つまり原爆製造の際の副産物を投下し、朝鮮を満洲から遮断する」と述べている。一二月二〇日付の、マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡が残っているが、そこには「戦略空軍の原爆攻撃の目的は、極東におけるソビエト軍の潜在的戦争能力をなくすことにあるとすれば、次のような通信、潜水艦基地を含む都市が目標となる」として、

 ウラジオストック 2 /ウォロシロフ 1 /ハバロフスク 2 / 旅順 1/
 北京 1/ 大連 2/ ドレンスク・サハリン 1/ コムソモルスク 2

 など、ソビエトのシベリア、極東地方と、中国東北部にある二一の都市の名を並べ、そこに投下する原爆の数を示している。一部の研究者は、マッカーサーが北朝鮮の背後にある中ソを攻撃するため二六個の原爆を要求したと書いているが、文面からすると二六個必要だというのではなく、使える原爆の数の問題もあるだろうから、攻撃すべき都市に優先順位をつけ、そこを破壊するのに必要な原爆の数を示したものである。マッカーサーはこれらを全部たたかなければだめだと主張しているのではなく、メモの中でも「これらは連合国の情報機関や現地の日本人引き揚げ者の話を聞いてまとめたものであり、現地視察や航空偵察の成果を取り入れ修正すべきだ」としている。このメモはまた、これらの都市のほか、中ソ軍の上陸集中地点に四個、空軍拠点の飛行場攻撃に四個が必要だとしている。
 マッカーサーのこのメモが正式文書としてどこまで上がったのか不明だが、トルーマンや軍首脳がこれを取り上げた記録はない。むしろ原爆は、国連軍が中国軍の攻撃で朝鮮半島から追い落とされるような事態になったら、それを防ぐため、または完全撤退を無事に遂行するために使用を認めるとした。トルーマンの核政策を示すものといえよう。
-------

とあります。(p184以下)
2月3日の番組内容と細部まで一致するので、この文書で間違いないですね。

NHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9779
原爆?(筆綾丸さん)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9780
マッカーサーの暗号電
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9781

さて、今回のNHKスペシャルの制作責任者は、当該文書が、

(1)「マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡」であって、
(2)「戦略空軍の原爆攻撃の目的は、極東におけるソビエト軍の潜在的戦争能力をなくすことにあるとすれば」と仮定した上の議論であり、しかも、
(3)「使える原爆の数の問題もあるだろうから、攻撃すべき都市に優先順位をつけ、そこを破壊するのに必要な原爆の数を示した」だけで、「マッカーサーはこれらを全部たたかなければだめだと主張しているのではなく」、
(4)「これらは連合国の情報機関や現地の日本人引き揚げ者の話を聞いてまとめたものであり、現地視察や航空偵察の成果を取り入れ修正すべきだ」という暫定的性格の文書であり、更に、
(5)「正式文書としてどこまで上がったのか不明」

だという事情を熟知しながら、そのような説明を一切せず、視聴者が内容を判別できない態様で文書をチラッと見せるという手法を取った訳で、放送倫理的にどうなのだろうかという疑問が生じます。
それにしても、最新の研究成果なのかと思ったら29年前の番組の焼き直しだと分かって、些か拍子抜けの心境です。

>筆綾丸さん
学校群制度で没落するまでの日比谷高校は旧制高校みたいな雰囲気だったのかもしれないですね。
もっとも、

-------
The ratio of boy and girl at the school was 3:1, which was delicate but heartless arrangement. Such ratio gave us consciousness of the opposite sex. We tried to enjoy the pair dance like folk dance under such abnormal combination. The frustration might increase our mental energy of inflation
男女の比率が3対1というのも非情な組合せだったと思う。異性を意識しないようで意識するような人数比で、フォークダンスときなど困った。あの頃のフラストレーションもまた精神のインフレーションのエネルギーとなっていたのかも知れない。

http://park17.wakwak.com/~kobakan/contents/9916classdiaryafter310000hours_R.html

という事情は戦後ならではでしょうが。
様々な可能性を秘めた優秀な生徒を教えるのは大学での講義やゼミとは別の楽しみもあったはずで、次田氏にとっても充実した時期だったのでしょうね。

次田香澄(1913-97)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A1%E7%94%B0%E9%A6%99%E6%BE%84
 

霞草 is appearing.

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月14日(木)13時27分27秒
  小太郎さん
日比谷高校の昔日の面影がよくわかりました。

https://www.asahi.com/articles/ASM1K51TLM1KUCVL009.html
小林寛三氏の「囲碁・将棋論争」は、藤井聡太くんと仲村菫ちゃんに読ませたいですね。

---------------------
For me one is as bad as the other. The class in the afternoon starts soon, and Mr. Tsugita (of ancient writings) is appearing. The teacher usually requires us to answer literal analysis of ancient words one by one.
どっちでもいいけど。もう午後の授業が始まるよ。午後は次田先生の授業だから、また品詞分解を当てられるぞ。
---------------------
日比谷高校といえども、『とはずがたり』は教材にはならなかったでしょうが、香澄先生が生徒に慕われていたことがわかりますね。『坊ちゃん』の赤シャツとは違い、文字通り、霞を食うような浮世離れした雰囲気を纏っていたのかもしれず、そんな仙人じみた香澄先生が、「あやしうこそものぐるほしけれ」とかなんとか呟きながら、ドロドロした愛憎劇のヒロインの研究をしていたのかと思うと、なにやら味わい深いものがあります。(is appearing は、状況が目に浮かぶような秀逸な表現です)

霞草
http://www.hana300.com/kasumi.html
 

日比谷高校の次田香澄先生

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月13日(水)11時29分50秒
編集済
  >筆綾丸さん
>ゲル研究の世界的権威と中世女流日記の権威は、どこでどう結びつくのか。

次田香澄の『とはずがたり 全訳注(上・下)』(講談社学術文庫)は至るところ線を引きまくり、ボロボロになるまで繰り返し読んだので、本当に懐かしい名前です。
ただ、個人的には次田はあくまで国文学の人という位置づけだったので、ご指摘の田中豊一との関係にはびっくりしました。
少し検索してみたところ、次田香澄は都立日比谷高校の先生をしていたことがあり、田中はその時の教え子だそうですね。
小林寛三氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター主幹研究員)のサイトに次の二つの記事があります。

「追悼:田中豊一君 余りにも早く逝ってしまった我がクラスの秀才」
http://park12.wakwak.com/~kobakan/contents/0005inthememoryof_drTanaka_R.html
「31万時間後のクラス日誌 次田香澄先生追悼「問わず語り」」
http://park17.wakwak.com/~kobakan/contents/9916classdiaryafter310000hours_R.html
小林寛三
http://www.glocom.ac.jp/researchfellows/kanzo_kobayashi

利根川進の「私の履歴書」にも次田香澄が登場していますね。

https://www.nikkei.com/article/DGKDZO60569280T01C13A0BC8000/

>好事家さん
>あの国は、なぜ法律や歴史より感情が優先するのでしょうか?(徴用工問題)。

お久しぶりです。
床屋政談レベルの話になりますが、単なる素人の私にとっても韓国の司法の動向はけっこう面白いですね。
大統領が退職後に逮捕・訴追・投獄されるのが既に慣例になって久しい韓国でも、前最高裁判所長官が逮捕・起訴されたという最近のニュースにはびっくりしました。

-------
韓国、前最高裁長官を起訴 徴用工訴訟巡り職権乱用の罪

 韓国検察は11日、韓国大法院(最高裁)が朴槿恵(パククネ)前政権の意向を受けて徴用工訴訟の進行を遅らせたとされる事件で、前大法院長(最高裁長官)の梁承泰(ヤンスンテ)容疑者(71)を職権乱用などの罪で起訴した。朴炳大(パクビョンデ)容疑者ら2人の前大法官(最高裁判事)についても、共犯として同様の罪で起訴した。
 検察によると、梁容疑者は朴前政権時代の2013年から15年にかけて、徴用工訴訟の進行を遅らせる目的で、日本企業に賠償を命じる判決が確定した場合の外交的、国際法的な問題点を強調する文書をつくり、担当判事に送るなどしたとされる。見返りに、在外公館に判事を派遣する制度の拡充など、大法院の組織運営に有利となる利益を得ようとしたとされる。

https://www.asahi.com/articles/ASM2C546WM2CUHBI00Q.html

どうにも筋の悪い法律論のような印象を受けますが、あるいは文在寅政権を支える急進的な司法官僚は旧来の憲法秩序そのものへの挑戦を試みているのかもしれないですね。
東大で憲法学を講ずる石川健治教授の言葉を借りれば、「法学的にはクーデター」が進行しているのかもしれません。
このままクーデターが成功するのか、あるいは政治情勢が逆回転して文在寅や今回の刑事訴追を行った検察官らが「容疑者」となる日も近いのか。
登場人物たちにはあまり華やかさがありませんが、この「韓流ドラマ」の展開には暫く目が離せないですね。

「九六条を改正しようとする策謀は、法学的には革命の教唆」(by 石川健治)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/7902
石川憲法学の「土着ボケ黒ミサ」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8807
 

閑話

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月12日(火)16時56分16秒
  https://www.nikkei.com/article/DGKKZO4114464012022019BE0P00/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88
韓国のベストセラー小説の紹介(日経夕刊)に「ベクデルテスト」という用語がありますが、恥ずかしながら、知りませんでした。『とはずがたり』の作者が聞いたら、それって、いつの時代のことなの、と言うかもしれませんね。読んでみようか、と思案中です。
 

朝鮮

 投稿者:好事家  投稿日:2019年 2月11日(月)18時22分40秒
  鈴木小太郎様
久々に投稿します。
朝鮮の話題が有ったので!
あの国は、なぜ法律や歴史より感情が優先するのでしょうか?(徴用工問題)。
教えて下さい!!
 

ゲルと神話

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月11日(月)18時09分20秒
編集済
  小太郎さん
ご引用の silver_romantic さんは理系なのに、源実朝や承久の乱に関心があるのですね(2月1日)。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784022599292
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%B1%8A%E4%B8%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A1%E7%94%B0%E9%A6%99%E6%BE%84
上山明博氏『ニッポン天才伝』「ゲル科学の父 田中豊一」で、ノーベル賞候補の田中豊一が、死の直前、恩師の追悼集に寄稿したという文章を読んで、びっくりしました。ゲル研究の世界的権威と中世女流日記の権威は、どこでどう結びつくのか。
---------------------
  数年前に日本でも大ヒットした映画『ジュラシックパーク』では古代の恐竜を蘇らせますが、そのもとは恐竜の血を吸った蚊の化石です。その血の中にある恐竜のDNAがどうしても必要なのです。クローン羊も親のDNAがないとできません。今のところ人間はどのような配列で文章を書けばタンパク質のような驚くべき機能をもつ高分子ができるのか分かっていないのです。
 その解決のヒントがゲルの研究から数年ほど前に得られました。それは配列はわれわれが選ぶのではなく、アミノ酸自身に選んでもらおうというものです。まずアミノ酸を水中で自由に泳がせておこう、そうすると、お互いに好きなもの同士が傍らに寄り添って安定になるだろう、そこで、それらを数珠つなぎにすれば、その高分子は出来たときの構造を覚えているであろう、というのです。もしある分子を認識して吸着するような高分子を作りたければ、そのターゲットになる分子も一緒にスープの中に混ぜておき、そこで高分子に繫げば、そのターゲットを認識できる高分子ができるだろう、というアイディアです。
 生まれたてのひよこが最初に見た動くものをその母鶏として脳に記憶することがよく知られていますが、あの「刷り込み」が生命の誕生では分子レベルで働いていたのではないか、そう考えているのです。何年もその実験的証明に四苦八苦してきてようやくその成果が出てきたところです。(田中豊一「ゲルの研究と古事記新講」『次田香澄先生をしのんで とはずがたり』一九九九年より)(同書241頁~)
---------------------

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tamekane.html

沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰

次田先生が生きていれば、為兼の歌を引いて、田中君、生命誕生時の分子レベルの動きはこんな感じかね、と云ったかもしれないですね。
 

The Coldest Winter: America and the Korean War

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月11日(月)13時04分30秒
編集済
  デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(山田耕介・山田佑平訳、文藝春秋、2009)の上巻を読んでみました。

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ハルバースタム、最後にして最高の作品

  本書はヴェトナム戦争報道でピュリッツァー賞を受賞し、アメリカのヴェトナムとの関わり合いを描いた名著『ベスト&ブライテスト』で知られるデイヴィッド・ハルバースタムにとっては二十一冊目、そして最後の著作である。十年がかりでまとめた草稿を何か月もかけて手直しし、最後の手を入れて完成させた五日後、カリフォルニアでの自動車事故で不慮の死を遂げたからである。二〇〇七年四月、著者七十三歳のときだった。
https://books.bunshun.jp/articles/-/1175

1945年の時点では世界最強だったアメリカ軍は、その僅か五年後の朝鮮戦争開戦時には、急激な予算・人員削減で本当にボロボロ、張り子の虎状態だったのですね。
軍事面での詳細は他書で補う必要がありますが、ハルバースタムが生々しく描き出した当時のアメリカ政府内部の動きは本当に興味深いものがあります。
脇役の一人、「封じ込め」政策の立案者であるジョージ・ケナン(1904-2005)がトルーマン政権内で徐々に影響力を失って行く過程を見ると、外交理論家ないし歴史学者としての才能と、外交実務を切り回す能力はなかなか両立しないようですね。
少し引用してみると、

-------
 ケナンはベトナム戦争反対の主要人物に名前を連ねたが、そのおよそ十五年前には朝鮮戦争で三十八度線を越えて北を目指すのに慎重だった。そのことから、かれを尊敬する人のなかにも、かれはハト派というだけでなく、単純な外交政策用語でいう「軟弱」という印象があった。だが、ケナンは冷徹な究極の現実政策の人だった。ベトナムで米軍の使用を望まなかったのは、反植民地主義の時代にアメリカの政策に戦場で挑んでくる土着武装勢力に共感したからではなく、かれら(かれらの国といってもいい)は世界の枠組みのなかでアメリカ人の生命と資金を費やす価値があるほどの重要性はない、ましてやこれは負けることはほぼ確実な戦争である、と考えたからだった。
 かれは、わが国が武力を使えそうもないところに使おうとすれば、ろくなことは起きないと確信していた。ベトナムや中国のようなところはわが国の圏(権益)外であり、それはちょうどわが国に近いところ、なじみのあるところほどソ連の圏外であるのと同じである。かれの見解によると、現に二大国の派手な言辞にもかかわらず世界は知らず知らずのうちに力の均衡が形成されている。それは長期的にはアメリカに有利である。ケナンにとって力とは(皮肉にも、スターリンにとっても同様に)必要があればただちに軍事力に転用できる工業力のことである。わが国に大いに影響する唯一の世界は工業諸大国の世界である─それはもちろん、主として北の、白人の世界であり、日本はアジアで事実上唯一の重要な国である。ケナンが北朝鮮の侵攻に対処することに賛成した理由は唯一、世界の枠組みのなかでかれが日本に与えた重要度のためで、共産化された統一朝鮮の出現はアメリカ軍がわざわざこれを阻止するまでもないが、日本人を不安にするだろうと信じたからであった。北朝鮮軍の越境の二日後、かれは駐米イギリス大使に韓国は戦略的に重要ではないが、「その保護の象徴的な意義はとくに日本には非常に大きい」と語っている。ジョージ・ケナンの実像は世界を非情きわまりない目で見た冷徹な男だった。
-------

といった具合です。(p281以下)
全てが終わった後からみれば、ケナンの認識の明晰さは同時代人の中で傑出していますが、当時の政治過程を時系列で追って行くと、ケナンの認識を政策として実現するのは困難、というか全く無理だったでしょうね。

>筆綾丸さん
>「Tai--tao ?」は、位置からすると、青島(Qingdao)かもしれませんね。

なるほど、そうですね。
ユーチューブの映像は個人が勝手にアップしているものでしょうが、見直したら全体が35分に短縮されて、原爆投下に関する部分も26分55秒からになっていますね。
この番組について、

-------
スターリン、毛沢東、金日成だと金日成が一番人間的にマトモと思えるという凄まじさ。
https://twitter.com/silver_romantic/status/1092040665578450944

とツイートしている人がいて、確かにそうだなと笑ってしまいました。
 

青島?

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月10日(日)11時45分59秒
編集済
  小太郎さん
なるほど、瀋陽市ですか。
一昨年、大連、旅順、瀋陽、長春と訪ねたので、ちょっと土地勘ができました。
「Tai--tao ?」は、位置からすると、青島(Qingdao)かもしれませんね。
NHKが該当文書の全文を読みやすく公開してくれるとありがたいですね。
 

マッカーサーの暗号電

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 7日(木)20時58分35秒
編集済
  >筆綾丸さん
ありがとうございます。
39分15秒くらいからですね。

https://www.youtube.com/watch?v=vDly88AM6-I

"Lhakden" は Mukden(瀋陽)のようですが、残り二つは私も読めません。

瀋陽市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%8B%E9%99%BD%E5%B8%82

少し検索してみたところ、朝日新聞の2018.6.11付記事に、

-------
50年の初夏に朝鮮戦争が勃発し、半年たったクリスマスイブ、国連軍の司令官マッカーサー元帥はワシントンに暗号電を打った。「原爆投下の標的候補地を優先順に挙げる」
 ウラジオストク、北京、旅順……。並んだのは北朝鮮軍に加勢する中国と、背後から支えるソ連の都市名。翌春には、この中ソを核でたたく計画を具体化させ、承認を得ようとした。

https://www.asahi.com/articles/ASL505FD8L50UHBI01Y.html

とありますね。
朝鮮戦争関係の一般書をいくつか見たものの、直接にこの資料に言及しているものは見当たらなかったので、今一つ位置付けが分かりません。
もう少し調べてみようと思います。
 

原爆?

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月 7日(木)13時11分25秒
編集済
  小太郎さん
https://www.youtube.com/watch?v=vDly88AM6-I
NHKスペシャルを YouTube の停止画で見ると、以下の通りでした。
----------------------
Vladivostok         2 (ウラジオストク)
Voroshilov          1 (ヴォロシーロフ)
Khabarosk           2 (ハバロフスク)
Port Arthur         1 (旅順)
Peking              1 (北京)
Dairen              2 (大連)
Dolensk Sakhalin    1 (ドリンスク・サハリン)
Komosomolsk         2 (コムソモリスク)
Blagoveshchensk    1 (ブラゴヴェシチェンスク)
Mikhaïlovka         1  (ミハイロフカ)
Lhakden ?           2 (?)
Sovetskaya Gavan    1 (ソヴィエツカヤ・ガヴニ)
Harbin              1 (哈爾浜)
Irkutsk             1 (イルクーツク)
Chita               1  (チタ)
Ulan Ude            1  (ウラン・ウデ)
Petropavlovsk       1  (ペトロパブロフスク)
Nakhodka            1 (ナホトカ)
Tai--tao ?          1 (?)
Avtem    ?          1 (?)
kuibyshevka         1 (クイビシェフカ)
----------------------
ナレーターは26都市と言ってますが、21都市26発ですね。都市の数が多すぎるのは、あくまで候補地ということですか。ただ、同一場所に一発落とせば充分なことは広島・長崎で実証済みのはずで、5都市が2発になっている理由がわからないですね。これは原爆ではなく通常の大型爆弾ではないか、という疑問が湧いてきますが、本文全文がわからないのでわかりません。
 

NHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 5日(火)14時38分39秒
編集済
  一昨日、2月3日のNHKスペシャルで朝鮮戦争をやっていましたが、マッカーサー解任の原因となった原爆投下計画について、ウラジオストクも攻撃目標だったとしていて、ちょっとびっくりしました。
番組では原爆投下目標の地図を見せたのは一瞬でしたが、旧満州とソ連本土では話が全然違ってきますから、どのレベルの計画だったのか、マッカーサーが本気でウラジオストクにも原爆を落とすつもりだったのかについて、もう少しきちんと説明してほしかったですね。

-------
2回目の米朝首脳会談の焦点の一つとなる朝鮮戦争の終結。1953年に休戦協定が結ばれたが、依然として“戦争状態”が続く朝鮮半島。アメリカ・ソ連・中国といった大国の思惑が複雑に絡み合った戦争は、なぜ始まり、なぜ終結できずにいるのか。NHKは、その謎を解く手がかりとなる秘密文書を入手。見えてきたのは、当時の権力者たちの野望や謀略が戦争を泥沼化させていく軌跡だった。朝鮮戦争の知られざる歴史をひもとく。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586131/

ここ暫くやっている日本共産党の「五〇年問題」や火焔瓶闘争・山村工作隊などは、それだけを見れば「革命ごっこ」の下らない話のように思えますが、同時期に朝鮮戦争が展開されていた訳ですから、あまり軽く見ることはできないですね。
スターリンにしてみれば、発端のコミンフォルムによる野坂「平和革命」路線批判も、日本の同志たちよ、もうすぐ朝鮮半島で戦争が始まるんだから「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という警告だったはずです。
「軍事」路線も、武器はチャチだったとはいえ、社会不安の醸成には相当に成功した訳で、朝鮮半島の動向次第では日本での新たな展開も充分にありえたのでしょうね。

>筆綾丸さん
鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』をパラパラ眺めてみましたが、悲憤慷慨パターンの典型ですね。

「松岡正剛氏の悲憤慷慨」(その1)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8158
松岡正剛氏の悲憤慷慨(その2)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8159
神仏分離をめぐる悲憤慷慨の連鎖
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8161

鵜飼著に学問的価値は特にありませんが、「ルポルタージュ」としてはそれなりの出来で、まあまあの売れ行きは期待できるのでしょうね。
本郷和人氏は毎日新聞の書評で、タリバンのバーミヤン大仏破壊について「同様の行為を明治の日本人も行っていたのだ」(p12)という鵜飼氏の見解に賛同して、

-------
 さらに驚いたのは、法令と廃仏毀釈の関係性である。ぼくは水戸学の影響下にあった明治政府が、仏教の否定を推進したのだとばかり思っていた。ちがう。政府はあくまでも神と仏の分離を促しただけなのだ。それを受けた人々の側が、率先して寺院の破壊に向かったのだ。
 なぜそうした動きが生まれたか。著者は豊富な事例をもとに、次の四つを挙げる。1権力者(たとえば地方自治体の首長など)の(中央への)忖度(そんたく)、2富国策のための寺院利用(本堂の木材を小学校建設に転用するなど)、3熱しやすく冷めやすい日本人の民族性、4僧侶の堕落。
 ぼくはこのうち、4を憎んだ民衆が寺院を襲う3の状況にとくに戦慄(せんりつ)を覚えた。ぼくたちはタリバンによるバーミヤン大仏の破壊を非難してやまないが、150年前のぼくたちの先祖は同じことをしていたわけだ。
 この本を読んで、今一度、宗教に思いを馳(は)せてみたい。

https://mainichi.jp/articles/20190115/org/00m/040/004000d

と言われていますが、私は賛成できません。

「タリバン・イスラム国の偶像破壊と廃仏毀釈の相違」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8168
 

裏のルート?

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月 4日(月)10時28分27秒
  小太郎さん
鵜飼秀徳『仏教抹殺』は、以前、書店で少し立ち読みしてやめたのですが、本郷氏の絶賛を読んで、うーむ、読んでみるか、と思っています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40733460R30C19A1EA2000/
「正規のルート」の記事の翌日(1月31日)に、こんな記事があったので、日経の「正規のルート」に対して、レゼコーとAFPは「裏のルート」を使ったのかな、と思いました。
 

鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 3日(日)20時04分7秒
編集済
  昨日の日経新聞の読書欄で、本郷和人氏が鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書、2018)を激賞されていますね。

日本史ひと模様 戸田光則 家の存亡を懸けた廃仏毀釈
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO40782730R00C19A2MY9000/

本郷氏は廃仏毀釈の「ムーブメントがかくも熾烈を極めたものであったことに度肝を抜かれた。この時の破壊がなければ、仏教芸術の国宝(建築物、仏像、絵画など)は、なんと現在の3倍の量になったはずだという」と、私にはそれほど驚かなくてもよいように思われる事情に驚かれた後、

-------
 それ以上に驚くべきは、政府の法令と廃仏毀釈の関係性である。勤王・佐幕を問わず、幕末の人々に多大な影響を与えたのは水戸学である。この政治思想は神道を重んじていて、それゆえに水戸藩では、葬送も僧侶ではなく神官の手に委ねることが既にあった。そうした水戸学の影響下にあった、明治政府が、仏教の否定に精勤したとばかりぼくは思っていた。いや、ちがう! 政府はあくまで神と仏の分離を促しただけなのだ。それを受けた国民の側が、率先して寺院の破壊を行ったのだ。
 なぜそうした動きが生まれたか。著者は自ら足を運んだ豊富な事例をもとに、次の4つの理由を挙げる。①権力者(たとえば地方自治体の首長など)の(中央への)忖度、②富国策のための寺院利用(本堂の木材を小学校建設に転用する等)、③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性、④僧侶の堕落。
--------

と述べられ、ついで①の例として藩主の菩提寺を含め、廃寺を徹底した松本潘のケースを詳しく紹介されています。
私は松本藩についてはきちんと調べたことがないので、後で鵜飼著を確認してみるつもりですが、それにしてもこの四分類はちょっと奇妙ではないですかね。
特に③は他と並べてよいものなのか。
また、例えば藩主の菩提寺は残したものの、相当徹底した廃寺を行った富山藩などはどこに分類されるのか。
富山藩で廃仏毀釈をリードした林太仲には①の中央への忖度は特になく、銃砲を整備するために金具を集めるということを名目にしたので、②の変形でしょうか。

「藩士の守旧思想を破壊して、進取の志気を鼓舞せん為めに」 (by 岡田重家氏)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8223
「有耶無耶の間に自然消滅になりました」 (by 岡田重家氏)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8224
林太中(はやし・たちゅう)について
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8225
母方はオランダ外科医の長崎家
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8237
「広沢兵助と近かった」(by 安丸良夫)は本当なのか?
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8239
「真宗貴族」との階級闘争
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/8243

まあ、鵜飼著を読んでもいないのにあれこれ言うのは避けますが、アマゾンの書評等を見る限り、従来の研究水準を超える何かがあるようには思えません。
「ルポルタージュ」としては面白いのかもしれませんが。

>筆綾丸さん
日経記事の「正規のルート」という表現は、ちょっと莫迦っぽい感じがしますね。
拘置所に拘束されているゴーン元会長と「正規のルート」を外れて面会したら建造物侵入で犯罪になってしまいます。
「正規のルート」以外はありえないのに、あまりに大袈裟ですね。

 

お礼

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月 2日(土)12時51分45秒
  小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。よくわかりました。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/01/102526.html
無関係な話で恐縮ですが、元木泰雄氏『源頼朝 武家政治の創始者』を100頁ほど読んで、草臥れました。年のせいか、昔のような根性がなくなりました。

源頼政の最期について、
---------------------
 ・・・平氏の追撃を受けて、頼政らは木津川の河原で、そして以仁王も南都(興福寺)を目前にしながら光明山の鳥居の前で落命した。(50頁)
---------------------
とありますが、頼政は平等院の門内で七十過ぎの皺腹を掻っ切り、頸は石に括りつけられて宇治川に沈められたのであって、木津川ではないですね。木津川畔で斬首された平重衡と勘違いしたのかな。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yorimasa.html
 埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける
 

『伊藤律回想録』(その5)─「徳田は党報告もロクに書けない愚者、伊藤律はスパイ」(by 安斉庫治)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 2日(土)11時32分57秒
編集済
  続きです。(p22以下)

-------
 これにはまた、安斉庫治の問題が絡んでいた。一九四九年、中国人民解放軍は北京を平和裡に解放したが、その後徳田と野坂は党本部経済調査部代理部長・安斉庫治を特使として北京へ派遣した。彼は昔の東亜同文書院出身で、中国語が達者だった。彼は中共中連部に日共の"内部情報"を勝手に語った。「徳田は党報告もロクに書けない愚者、伊藤律はスパイ」などという内容で、宮本顕治と野坂を讃美したのが主な内容だった。中国在留の日本人も多くは「国際派」に傾いていたが、安斉に協力した人々、なかでも横川次郎ですら安斉の「飛ぶ鳥も落とす」(横川の話)越権行為と傲慢さに反発して徳田や岡田に告発した。前後三回、幹部・工作員全体会議で安斉の査問が行なわれた。しかし彼は明白に答えなかった。この査問は私の北京到着前であったが、徳田が私に語ったところでは、安斉は「聞き捨てならないことを耳にしたので、中連部に報告した」とのみ説明し、その内容を明らかにしなかったという。その内容のひとつは、恐らく戦争末期旧満洲国で投獄された満鉄調査部の発智善次郎が、検事から聞いた話だったろう。日本人検事はゾルゲ・尾崎を告発したのは伊藤律だと、とくとくと語ったとの噂が、在華日本人の間に広く流れていたからである。
 徳田は中連部長・王稼祥に対し、安斉が中連部に話したすべての内容の報告を正式に求めた。しかし、「その必要なし」─これが徳田の要求に対する書面回答であった。徳田は激怒した。毛沢東との単独会見の時に直接話して解決すると言った。しかし徳田はその機会なくして世を去った。野坂と西沢は中連部に同調して事あるごとに安斉を庇った。日共機関の工作員は一律に中共中央委員並みの待遇を受けていたが、ただ安斉だけは、煙草代などが上積みされ、時には日本の家族へ送るドル紙幣も支給された。
-------

このあたりは伊藤律が獄中から生還しなかったら永遠に歴史の闇の中に消えて行った話でしょうね。
ま、ここも一般人にはチンプンカンブンの内容なので渡部富哉の注記を引用しておきます。

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◆安斉庫治(一九〇五~一九九三)  満鉄本渓湖事務所の見習いとなり、東亜同文書院に入り中国共産主義青年団に加入、王学文、尾崎秀実の指導をうける。三二年逮捕、三七年八月出獄、三九年蒙古の満鉄包頭〔パオトオ〕調査事務所に入り、蒙古の古文書調査にたずさわり政府顧問となる一方で、関東軍に作戦を提言。ゾルゲ事件で検挙されたが釈放、四二年満鉄事件で検挙されるも直ちに釈放されるなど不可解な点がある。戦後「労農通信」編集局長、日共調査部員、五〇年一月出国して北京に密航、北京機関での活動が評価され五八年第七回大会で中央委員、第八回大会で幹部会委員候補となる。のち脱党。
◆横川次郎  宇都宮高等農林教授。満鉄事件に連座して敗戦を迎え、北京の日共在外代表部の成立と同時に夫人とともにその活動に参加した。横川と伊藤は戦前に農業問題の研究者として顔見知りの間柄であった。
◆発智善次郎  満鉄本社調査局総務課勤務。関東軍憲兵隊がデッチあげた満鉄事件に連座し、四三年七月検挙され、四四年二月奉天第二監獄にて発疹チブスにより獄死した。
-------

渡部は横川次郎の生没年を明記していませんが、少し検索してみたところ、経志江氏の「大連日語専科学校の研究」(日本経済大学アジアパシフィック経済研究所『日本経大論集』44巻2号、2015)という論文(PDF)に、横川次郎の妻・辰子の経歴に付随する形で横川の経歴も載っていて、それによると横川は1901年生まれ、89年北京で死去だそうですね。

-------
14) 1908年に生まれ、学生時代は英文学を専攻、日本語雑誌『人民中国』と『人民画報』の日本語専門家。「横川辰子女史の葬儀」(小池晴子『中国に生きた外国人-不思議ホテル北京友誼賓館』径書房、2009年、115-121頁)、横川次郎『我歩過的崎嶇小路-横川次郎回憶録』(新世界出版社、1991年)によると、夫、横川次郎と1936年に旧満州に渡り、以後、中国で生活した。新中国が成立後の1961年、夫とともに外文局の「専家」として『人民中国』や『人民画報』の改稿に携わった。1999年5月9日、91歳で北京で亡くなった。横川次郎は、1901年福島県で生まれ。1924年に東京帝国大学法学部を卒業して宇都宮高等農林学校の教授となった。1936年に大連にわたり、満鉄調査部第1調査室の主査となった。戦後は中国東北地区の日本人民主連盟に参加した。新中国が成立してからは東北統計局、北京人民大学分校、四川省農業庁を経て1961年に夫人と一緒に日本語雑誌『人民中国』と『人民画報』の「専家」となった。山内一男「横川次郎氏の逝去を悼む」(『中国研究月報』495、中国研究所、1989年5月、41頁)によると、1989年4月12日、88歳で北京で亡くなった。

https://jue.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1422&item_no=1&page_id=4&block_id=80

また、発智善次郎と満鉄事件については、渡部の下記記事が参考になります。

「尾崎秀実の関東軍司令部爆破計画」は実在したか (第三回)
http://chikyuza.net/archives/25080
 

日本経済新聞社、ゴーン元会長インタビューの「正規のルート」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 2日(土)10時53分39秒
編集済
  >筆綾丸さん
>「正規のルート」

私の手元には刑事訴訟法の教科書もなく、とりいそぎネットで得られただけの情報ですが、弁護人以外の者の接見交通については刑事訴訟法80条で、

-------
第八十条 勾留されている被告人は、第三十九条第一項に規定する者以外の者と、法令の範囲内で、接見し、又は書類若しくは物の授受をすることができる。勾引状により刑事施設に留置されている被告人も、同様である。
-------

とあり、この「法令の範囲内で」の具体的内容は「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」で定められていて、拘置所の場合は、

-------
第十一節 外部交通
第二款 面会
第二目 未決拘禁者(第百十五条―第百十八条)
-------

の規定に拠るようですね。
別にジャーナリスト専用の特別な「正規のルート」がある訳ではなく、家族や弁護人以外の一般人に適用される規則に基づき、東京拘置所長の許可を得て面会した、ということでしょうね。

接見交通権
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E8%A6%8B%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%A8%A9
刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E4%BA%8B%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8F%8A%E3%81%B3%E8%A2%AB%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E8%80%85%E7%AD%89%E3%81%AE%E5%87%A6%E9%81%87%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
 

閑話ー法的根拠

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2019年 2月 1日(金)17時15分36秒
  https://www.nikkei.com/article/DGXMZO4066525030012019EA2000/
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20190130-japon-france-renault-nissancarlos-ghosn-complot-trahison-interview
「日本経済新聞社は昨年のゴーン元会長逮捕以降、正規のルートを通じて同氏への単独取材を要請してきた。承諾の知らせが来たのは今週だった。」と日経にあり、「un privilège très rarement consenti par le ministère public japonais」(日本の公的機関(法務省)に許可された極めて稀な特例)とRFIにあります。
勾留中のゴーンへのインタビューは、「正規のルート」を通じた例外中の例外らしいのですが、刑事訴訟法を通読しても、該当する条文がわかりません。東京拘置所の所長及び法務本省に、「正規のルート」を通じて要請すると、なぜ報道機関は拘留中の被告人にインタビューができるのか、よくわかりません。
日経は勿体ぶった云い方はやめて、「正規のルート」を明示して法的根拠を示すべきですが、どうも釈然としないですね。
 

『伊藤律回想録』(その4)─「野坂同志は延安で何年も粟飯を食べながら……」(by 毛沢東)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 1日(金)12時14分40秒
編集済
  『伊藤律回想録─北京幽閉二七年』に戻って、続きです。(p21以下)

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 問題の本質は、党内を一貫してきた二種の思想、二条路線の矛盾と闘争にある。しかも徳田書記長の「参謀役」と見られてきた西沢が、完全に徳田から見放されて対立し、野坂の側に移ったことが、北京指導部の情況をさらに複雑にした。あとで判明したのだが、西沢の中国行きは、党中央の決定ではなく、志田と西沢が勝手にやったことであった。私は徳田が親しい西沢を呼び寄せたのだろうと、完全に誤解していた。
 その上問題を一層複雑にしたのは、それが中国共産党の内部問題と絡み合っていたことである。
 日共内部紛争について、スターリンは徳田に「日本人民があなたを支持する限り、私もあなたを支持する」と語った。また毛沢東も徳田に「私はあなたに会ったことがなかったが、スターリン同志からの話もあり、わが党もあなたを支持します」と言った。毛沢東、劉少奇、周恩来ら中国共産党首脳は、徳田を支持したのである。
 だが、平常日共機関と連絡に当り、仕事や生活の世話や管理に当る中連部の主な幹部は、内心で徳田を敬遠し、野坂と親しかった。形式上も野坂を徳田と同等に待遇した。毛沢東は野坂に腹を立て、野坂が中国に来ても一年以上も会わず、徳田に「野坂同志は延安で何年も粟飯を食べながら、いったい何を学んで帰ったのか」と言った。だが中連部の李初梨副部長などは、野坂・西沢とだけ親密にし、徳田を避けた。これは野坂と中連部幹部の延安時代の旧知の関係が大きな原因であった。中国における日共機関の大邸宅は、中連部の第一招待所であり、その所長・楊正は、延安時代、野坂の"弟子"だった。日共機関と事務連絡に当る趙安博は、宴席で酒に酔うと「延安では野坂同志の指導の下で……」と語るのが常であった。
 李初梨副部長は野坂を神の如く持ち上げ、野坂は李初梨を「中共中央の日本部長」とほめる。かれらは皆、野坂の弟子を自認し、それを"誇り"にしていた。その上、中連部部長・王稼祥は宮本顕治を高く評価、来るたびに宮本の動静を気づかって尋ねた。
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「二条路線」という表現はあまり一般的ではないと思いますが、注記には次のように書かれています。(p66)
なお、書くのが遅くなってしまいましたが、注記は渡部富哉によるものです。(「はじめに」p4)

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◆戦後の日共は徳田球一らによって主導されたが、野坂参三たちの戦後革命路線とは天皇制の評価一つとっても、重要な矛盾と対立があり、これが党分裂に導いた。日共の党内の諸重要問題はこの路線問題ぬきには説明がつかない。
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長々と伊藤律の文章を引用していますが、私も別に伊藤律が素晴らしい人物であって、伊藤に批判されている対象が駄目な人々と思っている訳ではありません。
そもそも私は共産党の人々を全体的にそれほど高く評価している訳ではなく、特に党中央で派閥抗争を展開しているような連中は魑魅魍魎の類と思っています。
ただ、その魑魅魍魎も自ずとレベルの違いがあり、一般党員より少し上の網野善彦らが初級の魑魅魍魎だとしたら、上田篤のように「地下指導部」の「軍事方針」に従って火炎瓶を作ったり投げたりしているような連中は中級の魑魅魍魎、志田重男のような「地下指導部」や徳田球一・野坂参三以下の「北京機関」のメンバーなどは上級の魑魅魍魎と考えています。
そして、更にその上に、日共が持っていたようなチャチな「軍事」組織とは全く別格の、本格的な軍事力を有する中国やソ連の魑魅魍魎たちがいて、その最上部、雲の上にスターリンが君臨している、というのが当時の魑魅魍魎たちの階級構成ですね。
 

「もう一つ、よくわからないところがあるから」(by 西沢隆二の妻、徳田摩耶子)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 2月 1日(金)11時06分9秒
編集済
  昨日の投稿でも少し触れましたが、司馬遼太郎は西沢隆二(たかじ、1903-76)を主人公の一人とする『ひとびとの跫音』という小説を書いています。
何か参考になることがあるかなと思って同書を手に取ってみたところ、もともと私は司馬遼太郎があまり好きではない上に、そこに描かれている西沢隆二が共産党活動家としての西沢と全然結びついてこないので、途中でイライラしてやめてしまいました。
ただまあ、せっかく調べたので、「西沢は徳田の女婿」に関連する部分だけ少し引用しておきます。
引用は『司馬遼太郎全集 第五十巻』(文藝春秋、1984)からです。(p67以下)

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 タカジの女房についてふれたい。
 名前のよび方の思想一つについても、彼女はかれの思想にくるまれた、その意味ではかれのまったき作品になっていた。彼女はタカジを二なき者としていたが、かといってタカジの暮らしに圧封されてしまうということはなく、かれに対してあざやかなほどの個をもっていた。この点でも、彼女はタカジの思想の磁場内にあるといっていい。
「マヤ子」
 と、タカジは、いつも大声で呼んでいた。かれは晩年、目をわるくして、薄暮になると足もとが見えづらくなっていた。
「マヤ子、杖だ」
 というと、彼女はかれの片腕を肩にのせて歩いた。杖だ、というのは杖がわりになってくれ、という簡略語法である。
 彼女の名は、摩耶子という。父は画家の徳田耕作である。母である耕作夫人が、耕作の死後、獄舎から解放されて出てきた故耕作の従兄球一と結婚したため、彼女は球一のむすめというかたちになった。
 が、彼女が党員であったことは一度もない。
 このことは、義父や亭主の立場という日本的な物言いでいえば不義理に類するといえなくもない。
 といって、彼女にブルジョワ趣味はいっさいなかった。いつも自分で工夫した機能的な服をきていて、どこへ行くときも両手に重い荷物をさげ、タクシーに乗ったことがなかった。かつて前進座で働いていたときも、役者とか文芸部とか舞台監督とかいったものではなく、食堂の厨房で大きなしゃもじを持って飯炊きをしていた。自分が美人に生れついていることをあるいは気づいていないのではないかとおもえるほどに自分自身については無造作で、いつも大柄の体の背筋をたて、体を動かすほうの仕事にまわっていた。
 なぜ入党しないのか、と、亭主にきかれたことがあったらしい。
 彼女は、すこし短かめの舌をまわして、ゆっくりと、
「もう一つ、よくわからないところがあるから」
 と答えた。もともと理屈っぽい物言いの性格をもっていないために、彼女のいう「わからないところ」ということについてもこのとき説明を省いてしまった。不幸なことに(?)亭主も、本来、無口な男だった。とくに物を考えこんでいるときは摩耶子のいうところでは、筋肉質で左右によく張った背をすこしまるめ、壁にむかって十日でもだまっていた。
 そういうタカジが、女房の返答に対して多弁であろうはずがなかった。
「党に入るか入らないかは、個人の自由だ」
 と(おそらく苦しげに)いったきりで、この件については、かれの死にいたるまでのあいだ、ついにむしかえされることがなかった。個人はつねに自由である、と結婚当初、幼な妻というにひとしかった女房を教育したことが、そんなふうなかたちになって結実した。政党の役員としてはつらかったかもしれないが、かれの文化意識からみいれば満足だったかと思われる。
 以上もまた、タカジにおける名についてのことである。
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ま、これを読んでも、摩耶子氏の人物像については、「もう一つ、よくわからないところがあるから」程度の印象しか残りませんが、母親の徳田たつとは性格が随分違う女性のようですね。
徳田たつは徳田球一を支えただけでなく、その死後も宮本共産党と敵対する党派で積極的に活動しており、女傑といってよい存在ですね。

徳田たつ(1898-1989)(『歴史が眠る多磨霊園』サイト内)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tokuda_t.html

少し検索してみたところ、『伝蔵荘日誌』というサイトの次の記事は、『ひとびとの跫音』を上手に要約している感じがします。

司馬遼太郎著「ひとびとの跫音」へのメモランダム U・H
http://www7b.biglobe.ne.jp/~denzaso-2/m-mid-left/5-diary/160513tg.html
 

『伊藤律回想録』(その3)─「今こうして同席していても、やがて敵味方になるかも知れないぜ」(by 志田重男)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 1月31日(木)10時53分22秒
編集済
  続きです。(p19以下)

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  その前兆

 突如、足もとの大地が崩れおち、真っ暗な奈落の底に堕ちたような挫折感に包まれた。一九三三年(昭和8年)、血を流して守った党・共青(共産青年同盟)中央の三船留吉と今井藤一郎が、実はスパイだった事実を知った時の衝撃感に似ている。
 だが、今度は寝耳に水ではなかった。こうした窮地に堕ちるかもしれないという不安な予感は、一九五一年(昭和26年)一〇月、密かに日本を出て中国に向った時からすでに心の片隅にあった。その直前に開かれた党第五回全国協議会指導部会議(五全協)の席上、国内の主要責任者・志田重男は「今こうして同席していても、やがて敵味方になるかも知れないぜ」と言った。まるで私を敵扱いにしたのだ。いくつもの前兆が、次々に現われたからだ。
 一九五一年秋に私が中国へ密航したのは、徳田よりも一年三ヵ月ほどあと、野坂より約一年後であった。北京の党機関に入ると即座に、情況が異常に複雑なのに気づいた。中共の至れり尽せりの手厚い配慮で、実に恵まれた何不足ない生活で、表面上は平穏である。しかし、徳田と野坂・西沢の間には、深い溝が横たわっていた。徳田書記長は野坂に対し、依然強い批判と不信を抱いている。けれども表面上はつとめて平静な態度を保っていた。党の統一のために彼をかかえてゆくという徳田の心中は誰の目にも明らかだった。岡田文吉、聴濤克己、土橋一吉は、徳田を全面的に支持した。岡田は私と入れ替りに帰国したが、乗船した上海から別れの手紙を送ってきた。それは書記長宛の熱烈な私信であった。
 高倉は西沢と同室、野坂の隣室という関係もあり、同じ文学者ということもあって彼らに傾きがちだった。といっても徳田の指導には忠実に従った。
 ただ徳田は西沢に対しては、一同の前で毎日のように叱責し、批判した。時には西沢が中山服のホックやボタンをかけず、だらしないとまで叱った。これは私にとってもおどろきであった。西沢は徳田の女婿で、戦後ずっと徳田家に同居していた。それもあって徳田とは最も親密な関係にあり、宮本顕治・蔵原惟人集団は、政治局の決定まで西沢が家でひっくり返すと非難していた。そんな二人の関係が壊れ、鋭い亀裂を生じた原因は、北京到着後、すぐに徳田から聞かされた。徳田は西沢との絶縁を言明していた。
「おれは長年獄中にいて世間にうといから、西沢にやわらかくほぐすよう助言させてきた。しかし、それはブルジョワ思想でおれを毒する危険な協力だった。彼のため、もう一歩で一生を誤るところだった。彼と野坂君は同じ思想だ。彼を日本に帰してしまおう」
 私は同室だった聴濤と協力して野坂・西沢への批判を開始し、書記長支持を強めた。徳田の話ののちに聴濤がそれまでのいきさつを詳しく話してくれた。私はすでに相当激しい党内闘争の諸事件が起っていたことを知った。
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「西沢は徳田の女婿」とありますが、西沢の妻となった女性は徳田の実子ではなく、妻の連れ子だったようですね。
西沢が主要登場人物の一人である司馬遼太郎の小説『ひとびとの跫音』にそんなことが書いてあったのを見ただけで、詳しい事情は知りませんが。
ま、それはともかく、ここも共産党史に詳しい人以外にはチンプンカンプンな記述でしょうから、『伊藤律回想録─北京幽閉二七年』の注記も引用しておきます。(p66)

◆三船留吉と今井藤一郎  通称リューちゃんこと三船留吉は三三年日共組織部長兼東京市委員長。山さんこと今井藤一郎は共産青年同盟中央組織部長で、二人共前年一〇月熱海で開かれた日共全国代表者会議を毛利特高課長に通報したスパイM(飯塚盈延)のあと釜のスパイであり、今井の妹が三船のハウスキーパーだった。この二人は伊藤の入党推せん者でもあった。「赤旗」三三・六・二一付。『宮本顕治公判速記録』『スパイM』『偽りの烙印』
◆「一九五一年(昭和26年)一〇月、密かに日本を出て中国に向った時」 伊藤はこの部分以外の個所では日本出国の時期を五一年九月末としてきたが、彼は五全協(五一年一〇月一五日)に出席している。出入国管理令が五一年一一月一日施行のため抵触する虞れがあった。帰国時の事情聴取の際も問題になっている。
◆志田重男(一九一一~一九七一)  三一年日共に入党、戦前逮捕、投獄をくり返し、予防拘禁所に収監される。戦後、第四回大会で中央委員候補となり、徳田球一書記長が日本を脱出するさい、椎野悦朗、伊藤律とともに国内の最高指導者となる。
◆「宮本顕治・蔵原惟人集団」  この二人はともに戦前のプロレタリア文化運動に大きな影響を与えた著名な人物であり、戦後日共の中央委員であったが、ここでは日共五〇年分裂当時の国際派の主要な人物を概括して、このような表現を用いている。
 

『伊藤律回想録』(その2)─「金庫の鍵をくれ」(by 野坂参三)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2019年 1月30日(水)21時58分17秒
編集済
  続きです。(p16以下)

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 野坂は弁解めいた口調で、おだやかに言った。
「徳田書記長の入院中に、私がこういうことをやるのは、痛くもない腹をさぐられるようで不本意なのだが……。伊藤君についてはスパイ説もあったが、敵と分派(五〇年問題で分裂した国際派)のデマだと思っていた」。さらにこうつけ加えた。「日本で地下潜行中、ソ連代表部の要人と密かに会った際、"伊藤律が党中枢にいるが、大丈夫か?"と聞かれた」。そして野坂は「ここは雑音が多いので、李初梨さんの世話で、他所へ移り反省してもらう」と決めつけた。
 そのとたん、野坂に対面して私の隣に座っていた土橋が、ソファーから半分腰を浮し、李初梨に詰問した。「伊藤さんの命は大丈夫ですか? 安全を保証してくれますか?」。李初梨は「いや、私たちは野坂さん(日共とは言わなかった)の依頼でことをやるだけです」と答えた。
 この時、聴濤が憤りと軽蔑のまなざしで野坂を睨みつけ、嘲笑を顔に浮かべながら言った。「これは陰謀だ。徳田書記長が入院するや企てられた陰謀だ。絶対に反対だ」。それをきっかけに賛否の発言が、座席順に始まった。その次の席の私は、問題の当人だから発言権はない。次の土橋は「律さんは夜も眠らず党の仕事をしてきたのですからねぇ」と反対意見。つづいて高倉は「私もそう思うけど、こういうことになった以上どうも……」と語尾を濁した。終りに西沢があせり気味に、面倒くさげに論議を打ち切らせた。「とにかく伊藤君を他所に移してから、話をしよう」。
 来るべきものが、遂に来た。一瞬、私の全身を戦慄が電閃のように走った。特に書記長入院以来、野坂・西沢との激しい論争を思うと、憤怒がこみあげてくる。だが、ここで争ってもムダだ。野坂の突然の抜き打ち処分に直面して混乱する頭の中で、私はこう判断した。野坂はソ共中央の「勧告」なるものを提示した訳ではない。野坂と、彼に親密な中共中連部幹部の手で仕組まれた企てであることは明白だ。彼らは武装した国家権力を背後にしている。抵抗は無益だ。万事休す。
 私は無言のまま席を立った。弁明したとて何になろう。聴濤が近よって手を握り、「闘おう。闘ってくれ」と励ました。私は「うん」とだけ答えて、うなずいた。会議室を出て、その隣りの自室に入り、持ち物の整理にかかった。同行して来た野坂がまず言ったのは「金庫の鍵をくれ」であった。金庫とは、野坂の北京での自己批判書、西沢査問書、「国際派」からソ中両党に送られた全文書などいっさいの党重要文書の保存ロッカーである。党内反対派からソ中両党に送られた文書は、スターリンと毛沢東から徳田にそっくり渡されていたのだ。その金庫と鍵は、徳田書記長の指名で彼の隣室、私の部屋に置かれていた。前には岡田文吉が管理していた。その文書は、徳田の同意なしには、誰にも閲読させなかった。
 日用品をまとめる際、野坂は机や箪笥の中を探索していた。私をスパイと決めてかかっているのだ。彼に促されて階下に降りた。待ち構えていた趙安博ともうひとりの幹部に伴われて玄関に出て車に乗った。別れ際、野坂は「すぐあとから行って話をするから」と告げた。初対面の若い幹部は、これから行く中連部第七招待所の所長・鄭恵卿であった。
【中略】
 この時からまる一年の軟禁生活が始まった。続いて二七年にわたる投獄、完全な秘密監禁、つまり社会から抹殺され、葬り去られた。この時、私は三九才と六カ月であった。
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伊藤律に味方したことも響いたのか、聴濤克巳・土橋一吉は共産党内での出世には恵まれなかったようですね。
前回投稿で野坂・聴濤・土橋と李初梨についてはウィキペディア等へのリンクを張っておきましたが、その他の関係者を含め、『伊藤律回想録─北京幽閉二七年』の注記も転載しておきます。(p64以下)

◆趙安博  日本に留学して第一高等学校に学び、伊藤律の一年後輩、延安の日本工農学校(弘長・野坂参三)の副校長、通訳もつとめる。中共政権成立とともに廖承志らと対日政策スタッフの重要メンバーとなり、政府の要職を歴任した。
◆野坂参三(一八九二~)  彼の占領下革命の路線と思想は、欧州共産党・労働者党情報局〔コミンフォルム〕の機関誌で批判されたが、自己批判し、徳田に次ぐ党内の地位は揺るがなかった。九二年末「週刊文春」が彼の活動歴の決定的疑惑を報道し、党から除名された。『風雪のあゆみ』。
◆西沢隆二(一九〇三~一九七六)  プロレタリア作家同盟書記長、三一年八月共産党に入党、のち「赤旗」の印刷責任者となったが、スパイと誤認され除名される。獄中で作詞した『編笠』を戦後発表、中央委員、統制委員となる。『ぬやま・ひろしとその時代』
◆高倉テル(一八九一~一九八六)  作家、"自由大学"運動の指導者、ゾルゲ事件の宮城与徳検挙後自首したが、四五年三月再検挙され警視庁から脱走、それをたすけたとして哲学者三木清が逮捕されて獄死した。戦後国会議員となったがGHQの指令で公職追放となり、中国へ脱出、「国外脱出九年間」を「文藝春秋」に発表した。
◆李初梨(一九〇〇~)  日本留学中に日本婦人と結婚したが別れて中国革命に参加。中共七全大会で野坂が「民主日本の建設」を報告したときの通訳をした。中共軍が東北地方(旧満洲)に入ったとき対日本人工作の中心になって活動。のち文革で失脚した。
◆徳田球一(一八九四~一九五三) 共産党の創立者の一人、『獄中十八年』で知られる。党書記長。五〇年三月「静養してもあと四年の寿命」と診断され、重病を秘して党務を続けていたが、GHQの指令で公職追放となり北京に脱出、五二年九月、会談中に意識不明となり、五三年一〇月一四日、現職の書記長のまま死去した。
◆金子健太(一八九九~)  新潟鉄工所の労働者、日共創立直後の党員。労働者生活と党活動に専心し、戦前幾たびか検挙される。戦後、全日本機器労組書記長、全労連幹事、五一年五月日本を脱出して北京で世界労連アジア太平洋州連絡局で活動した。
◆聴濤克巳(一九〇四~六五)  朝日新聞労組、産別会議の初代委員長。四九年衆議院議員選挙で東京六区から最高位で当選した。占領軍命令で公職追放となり、「北京機関」から五八年帰国、公労協の四・一七ストを非難した四・一八声明の責任を問われ降格、不遇のうちに死去。
◆土橋一吉(一九〇八~一九八二)  全逓労組委員長、四九年伊藤の選挙地盤をひきつぎ東京七区から衆議院議員に当選。伊藤と一緒に日本を脱出し中国に渡った。六九年、七〇年連続して衆議院議員に当選したが、党内の地位としては中央委員にはなれなかった。
◆岡田文吉(一九〇一~一九六六)  鳥取県の貧農に生れる。三一年日共に入党。三三年検挙され網走刑務所に服役。徳田から国際連絡の指令を受け延安に密行。戦後中央委員、徳田の日本脱出の実行責任者。伊藤と入れ替りに日本に帰国、人民艦隊事件で検挙された。

「徳田の日本脱出の実行責任者」岡田文吉の墓は徳田球一の墓所内にあるそうですね。

岡田文吉(『歴史が眠る多磨霊園』サイト内)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/okada_b.html
 

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