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トム・ストッパードの父の死因

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月16日(水)19時50分30秒
編集済
  芝居の内容は別に英文サイトを参考にしなくても、BUNKAMURAサイトに出ていました。
ただ、少し気になったことがあります。

--------------
チェコ出身のイギリスの劇作家。観念的なテーマをはらむ一見難解な物語の中で、極めて純粋な人生の在り方についてを真摯に捉えて描く作品を数多く生んでいる。ウィットに富んだ理知的なせりふ・文体も特徴の一つ。
1927年、チェコのズリーンに生まれる。ナチス・ドイツの侵攻を逃れ、幼少期に両親とともにシンガポールへ亡命。その後、日本軍の侵略から逃れてインドで英国式の教育を受ける(シンガポールに残った軍医の父親は、日本軍に捕らえて死去)。その後、母親の再婚相手であるイギリス陸軍少尉の姓を受け、家族とともにイギリスへ移住。17歳でジャーナリスト・劇評家として執筆を始め、やがてテレビやラジオ用のシナリオや短編戯曲を書くようになる。

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/09_coast/index.html

生年が1927年となっていますが、これは明らかに1937年の誤りですね。
また、「シンガポールに残った軍医の父親は、日本軍に捕らえて死去」とありますが、若干の疑問があります。
というのは、前の投稿でウィキペディアの日本版を引用しましたが、日本語版のリンクはアドレスが長くて鬱陶しいので、英語版をリンクしておきました。
しかし、英語版と日本語版で内容に違いがあります。
日本語版では「1942年、一家は日本に攻撃されるシンガポールを離れ、今度はインドへ転居した。この脱出行のなかで父は死去した」ですが、英語版では、

Born Tomas Straussler in Zlin, Czechoslovakia, Stoppard fled to Singapore with other Jews on 15 March 1939, the day that the Nazis invaded Czechoslovakia. In 1941, the family was evacuated to Darjeeling, India, to escape the Japanese invasion of Singapore. His father, Eugen Straussler, remained behind as a British army volunteer, and died in a Japanese prison camp after capture.[1]

となっていて、「英軍の志願兵となった父は、捕虜になった後、日本軍の収容所で死去した」と書かれています。
英語版には出典が、「(1)Amy Reiter (13 November 2001). "Tom Stoppard". Salon.com.」とあり、その記事を見てみました。

http://dir.salon.com/story/people/bc/2001/11/13/tom_stoppard/print.html

このAmy Reiter なる週刊誌記者?の女性の記事には、

Although Stoppard's language and imagery are exquisitely British, he was born Tomas Straussler in Czechoslovakia on July 3, 1937. His father, Eugene Straussler, worked as an in-house doctor for the Bata shoe manufacturing company. In 1939, his family -- Jewish, though Tom wouldn't know to what degree until years later -- fled the country of his birth just before the Nazis invaded. Settling in Singapore with his father, his mother, Martha, and his older brother, Tomas attended an English convent school until 1942, when the Japanese invaded Singapore and he was evacuated to India with his mother and brother. His father was taken to a Japanese prison camp, where he died.

となっていて、「日本軍の収容所で死去した」となっています。
しかし、2008年のイスラエルのHaaretzという新聞の署名記事によると、

The story of the death of Tom Stoppard's father could easily be part of one of the early plays of the renowned Czech-British playwright, in which questions of fate and an absurd reality intermingle. One early morning at the end of 1938, the Jewish owner of the shoe factory in the Czech town of Zlin gathered all of the physicians who worked for him - Stoppard's father, Eugen Straussler, among them - and advised them to leave town with their families, before the Nazis took over the country. Stoppard's Jewish father and mother were supposed to go to the company's branch in Nairobi; Stoppard at the time was an infant named Tomas Straussler.
Stoppard heard the story from the shoe-factory owner's widow, who was by then 100 years old. He says Eugen Straussler's best friend had been slated to head off to Singapore, but several days before his scheduled departure, he decided he wasn't happy with his chosen destination. Since the elder Straussler didn't care one way or the other where he went, he agreed to trade places with his friend. That is how he ended up being killed by Japanese warplanes, which strafed the boat on which he was trying to leave Singapore.

http://www.haaretz.com/hasen/spages/981613.html

となっていて、シンガポールを避難しようとして乗り込んだ船が日本軍の飛行機に攻撃されて亡くなった、とありますね。
本人にきちんと取材した手堅い記事であり、これが事実なのだろうなと思います。
ウィキペディアの出典となっているAmy Reiterなる女性の記事(2001年)は、内容からみて、あまり信頼はおけそうもないですね。
ネットには特に出典を示さず、「日本軍の収容所で死去した」云々の記述が山ほどありますが、みんな実際にはウィキペディアあたりしかみてないようです。
BUNKAMURAの記事も、おそらくその程度の調べ方しかしていないでしょうね。
生年を10年間違えるような雑な記事ですから。
別に「軍医」じゃないし。
 

Sir Tom Stoppard

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月15日(火)23時47分21秒
編集済
  >筆綾丸さん
5月に『桜の園』の日本語訳・英訳をいくつか読み比べてみましたが、Tom Stoppard訳は読みやすかったですね。

----------------
1937年、チェコスロバキアのズリーンのユダヤ系の家系に生まれ、トマーシュ・ストラウスレルと名付けられる。医者だった父親は、ユダヤ人迫害の懸念が強まりつつあるチェコを離れ、1939年他のユダヤ系医師らとともに家族を連れてシンガポールへ転居した。1942年、一家は日本に攻撃されるシンガポールを離れ、今度はインドへ転居した。この脱出行のなかで父は死去した。トマーシュはインドのダージリンでイギリス式の教育を受け、母はインドで英国陸軍少尉ケネス・ストッパードと再婚し、トマーシュも義父の姓を名乗ることになり、トム・ストッパードと名乗るようになった。一家は1946年、イギリスに転居した。

http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Stoppard

わずか9歳までの間にこれほどの経験をしたというのは、激動の時代を考慮しても、やはり驚きですね。

The Coast of Utopia は、ご紹介のBunkamuraのサイトには、「激動の19世紀のロシアを舞台に、若き知識人達が、理想の社会を求めて他の地へ。挫折や絶望を経験しながらも・・・。やがて培われた熱い思いは彼らから子供たちに受け継がれていく30年以上に渡って展開する壮大な歴史ロマン」とありますが、少し検索してみたら、

Set in the mid-19th century in Russia and Europe, the trilogy follows a group of friends who come of age under the Tsarist autocracy of Nicholas I.
Among them are the idealist and anarchist Michael Bakunin who was to challenge Marx for the soul of the masses; Ivan Turgenev, author of some of the most enduring works in Russian literature; the brilliant, erratic young critic Vissarion Belinsky; and Alexander Herzen, a nobleman's son and the first self-proclaimed socialist in Russian history, who becomes the main focus of a drama of politics, love, loss and betrayal.

http://www.nationaltheatre.org.uk/The%20Coast%20of%20Utopia%3A%20Voyage+1334.twl

ということで、バクーニン・ツルゲーネフ・ベリンスキーらが登場するんですね。
まだ多少空席があるようなので、少し迷ってしまいます。
 

CERN

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 9月15日(火)19時36分29秒
編集済
  小太郎さん
http://public.web.cern.ch/public/
『天使と悪魔』の舞台であるCERNのLHCで、問題のヒッグス粒子が検出されるの
ではないか、と言われていますが、この不思議な粒子(?)の存在が立証されれば、よく
わからぬながら、非常に面白くなりますね。
CERNの内部を、一度、見学してみたいですね。
シュレーディンガーの猫は、私の二十代の深情けの動物で、よく夢に出てきました。
・・・存在と非在は、どっちのほうが、より奇妙な状態なのでしょうね。

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_09_coast.html
物好きな知人が、これを観て、草臥れたそうですが、9時間とは・・・。


http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=00911412009
『冷泉家・蔵番ものがたり』という本に、二十一代為紀について、次のような記述があり
ました。

明治十三(1880)年、二十七歳の為紀は後鳥羽神社(滋賀県長浜市)の正遷宮で祭主を務
め、この頃から神道家として活躍する。(97頁〜)

http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekihaku/shishi/himotoite/vol_05/index.html
この後鳥羽神社は、知りませんでした。
http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/saga/saga_d3.html
また、こんな後鳥羽神社もあるのですね。
 

私がヒッグスの海で溺れかけた場所

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月13日(日)19時41分42秒
  『磁力と重力の発見』でエーテルについて多少聞きかじった私は、ヒッグスの海ってエーテルとどこが違うのか、という初心者っぽい疑問を抱いたのですが、ま、そのあたりは親切な回答がありました。

--------------
 対称性が破れるという概念と、電弱ヒッグス場が実際に対称性を破っているという事実が、素粒子物理学と宇宙論の分野で重要な役割を果たしているのは間違いない。しかし、あなたはこんな疑問をもつかもしれない。普通はからっぽだと思われている空間がヒッグスの海で満たされており、しかもその海は目に見えないというなら、それはまるで、とうの昔に葬られたエーテルが復活したようではないか?この疑問に対する答えは「イエス」であり、「ノー」でもある。
 「イエス」だというのは、ヒッグスの海にはたしかにエーテルに似たところがあるからだ。凝結したヒッグス場は、エーテルと同様、空間を満たし、いたるところに存在し、あらゆる物質に染み込んでいる。それはからっぽの空間がもつ特徴であり、取り除くことは決してできない(宇宙を再加熱して※度よりも高い温度にしないかぎり、取り除くことはできない)。それは「無」の概念を再定義するものだ。しかし、音波が空気を伝わるように、光を伝える透明な媒質として導入されたエーテルとは異なり、ヒッグスの海は、光の運動とは関係がない。ヒッグスの海は、光の速度にはいかなる影響も及ぼさない。光の運動を調べることによりエーテルを葬り去った十九世紀末の実験は、ヒッグスの海に対しては何の意味もないのだ。
 さらに、ヒッグスの海は等速度運動をする物体には影響を及ぼさないため、エーテルとは異なり、どれかひとつの視点を特別なものとして選び出すことはない。それどころか、たとえヒッグスの海が存在しても、等速度運動をしている観測者は相変わらず対等の立場に立っているので、ヒッグスの海は特殊相対性論と矛盾しない。もちろん、だからといってヒッグスの海が存在する証拠にはならない。むしろ以上のことからわかるのは、ヒッグスの海にはエーテルに似たところもあるが、その存在はいかなる理論や実験とも矛盾しないということだ。(p39)
 

統一とひも理論

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月13日(日)18時56分30秒
  >筆綾丸さん
『宇宙を織りなすもの』下巻に進んでヒッグスの海で溺れそうになり、暗黒物質に戸惑い、ひも理論に感銘を受け、「第2次超ひも理論革命」でまた溺れそうになり、最後の「第16章 時空は本当に宇宙の基本構造か」は5マイル霧中で通り過ぎましたが、何とか読了しました。
理解したとはとても言えませんが、現代の最高の頭脳にとって宇宙がどのように把握されているのかを垣間見られただけでも相当な収穫でした。
原文を確認したいところがいくつかあったので英語版も注文し、ついでに『エレガントな宇宙』も英語版・日本語版を注文しました。
しばらく物理熱が続きそうです。

熱弁を振るうBrian Greene
http://www.youtube.com/watch?v=YtdE662eY_M
 

シュレディンガー音頭

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月10日(木)23時49分33秒
  >筆綾丸さん
『宇宙を織りなすもの』上巻を読み終えました。
『磁力と重力の発見』と『一六世紀文化革命』の場合、読み進めるにつれて少しずつ賢くなれたような実感があったのですが、『宇宙を織りなすもの』はなかなか微妙ですね。
著者の比喩の能力が抜群なので、何となく分かったような気もして、素人なりに楽しめるのですが。
シュレディンガーの猫については以下のような記述がありました。

-------------
 デコヒーレンスとは要するに次のようなことである。孤立した一個の光子が、スリットが二つ開いたスクリーンに向かって進むという単純なケースにシュレーディンガー方程式をあてはめれば、よく知られた干渉パターンが得られる。そして実際、実験室ではその通りのことが観察される。しかし、こういう実験室での出来事には、日常の世界にはない、きわめて特殊な二つの性質がある。第一に、私たちが日常出会うものは、光子よりも大きくて複雑だということ。第二に、私たちが日常出会うものは、他と相互作用をしない孤立した状態にはなく、私たち自身とも、周囲の環境とも相互作用をするということだ。
(中略)
 光子や空気の分子はあまりにも小さすぎるため、この本や猫といった大きな物体の運動にはこれといった影響を及ぼせないが、それとは別のことができるのだ。光子や空気の分子は、大きな物体の波動関数をたえず「小突く」ことにより(物理学の言葉で言えば、波動関数の「コヒーレンス」を乱すことにより)、整然と並んでいた山、谷、山の系列をぼやけさせるのである。これは非常に重要なことだ。なぜなら、波動関数が秩序だっていることは、干渉効果が生じるためには必須の条件だからである。
(中略)
 何十年ものあいだ、「半分は生き、半分は死んでいるという状態は、猫にとって何を意味するのか?」とか、「蓋を開けて猫を観測するという行為は、いかにして猫にひとつの確定した状態を選び取らせるのか?」といった問題をめぐって熱い議論が戦わされてきたが、デコヒーレンスの考え方によれば、人間が箱の蓋を開けるずっと前から、環境は何十億回もの「観測」を行って、量子力学の不思議な確率を、あっという間に不思議でも何でもない古典力学の確率にしていたことになる。あなたが猫を観察するずっと前から、環境は猫にひとつの確定した状態を取らせていたのだ。デコヒーレンスは、大きな物体から、量子物理学の奇妙な部分を叩き出す。周囲の環境からやってくる無数の粒子が物体に衝突して、量子的世界の奇妙なところを少しずつ運び去っていくのである。
-------------

もっとも、著者はデコヒーレンスでは説明できないものが残ることを続けて力説していますが。

シュレディンガーの猫
http://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

シュレディンガー音頭
http://schrodinger.haun.org/

猫の鈴木小太郎
http://yaplog.jp/replay-gohan/archive/1483
 

エレガントな宇宙

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 9月 9日(水)19時48分10秒
  小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Elegant_Universe
『エレガントな宇宙』は、むかし、アメリカの空港の書店で購入して、原文で読みま
した。苦労はしましたが、とても面白かった記憶があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Fabric_of_the_Cosmos
『宇宙を織りなすもの』は、仏訳で読むつもりでいましたが、まだ読んでいません。

『磁力と重力の発見』は、たしか、ハングル語に訳され、韓国でも評判になった、と
記憶していますが、違ったかな。
『熱学思想の史的展開』は、知りませんでしたが、これも面白そうですね。

http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/jinbutu-nav01/index.html
雲洞庵門前の茶店で、「わしはこんなとこ 来とうはなかった」と書いてあるハンカチ
を売っていたので、思わず、買ってしまいました。
 

直江君、ふたたび。

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月 8日(火)20時06分27秒
編集済
  私が『天地人』を見ると、最高レベルのデジタル画像処理技術によって、妻夫木聡の顔がすべて「ねずみ男」に置き換えられているわけですね。
なかなか面白い体験です。
ま、いろいろ書いておいてなんですが、私は決して直江君が嫌いではありません。
直江君も、仮に私の文章を読んだとしても、Cheshire catのようにニヤニヤ笑うだけだと思います。

>筆綾丸さん
共通一次試験を生物と地学で受けた私にも『磁力と重力の発見』と『一六世紀文化革命』計5巻は何とか読めたので、次は『熱学思想の史的展開』全3巻に挑戦しようかと思いましたが、ちょっと気分を変えてブライアン・グリーンの『宇宙を織りなすもの』を眺めることにしました。

http://soshisha.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d69f.html

>八海山
修験の聖地で、登山道にはけっこう恐い箇所があるようですね。
私は上越の山が好きで、周辺にはけっこう行っているのですが、八海山の山頂は踏んでいません。
 

八海山の直江君

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 9月 7日(月)19時44分20秒
  http://www.untouan.com/
http://www.tentijin.jp/2007/11/post-7.html
雲洞庵の土を踏み、関興寺の味噌を舐めてきましたが、直江君の人気は大変なものでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%B5%B7%E5%B1%B1
大河ドラマの冒頭のタイトルバックで、直江君が佇立しているのは、どこだろう、と長ら
く疑問でしたが、八海山の頂上だったのですね。

http://www.ryugon.co.jp/
雲洞庵の近くに、将棋名人戦の対局場になる『龍言』という旅館がありますが、これは、
上田長尾氏の菩提寺「龍言寺」からきているのですね。
現在の龍言寺は米沢にあるそうですが、越後上田庄の龍言寺跡には長尾政景の墓という
のがありました。
 

『長ぐつのロミオ』、よかった。

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月 6日(日)22時45分37秒
編集済
  昨日、昭和芸能舎の『長ぐつのロミオ』を観に新宿に行ったのですが、何となく予想していたのより遥かにスピーディでエネルギッシュで変幻自在な舞台で、驚きました。
屁理屈好きの私もちょっと圧倒されてしまって、一日たった今でも、いやー、舞台っていいものだなあ、くらいの感想しか書けません。
9日(水)までなので、何とかもう一回行こうと思っています。

昭和芸能舎
http://sgs4109.kir.jp/
 

「軽々とめぐり歩く」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月 4日(金)19時21分14秒
  山本義隆氏『十六世紀文化革命』の2巻を読み進めて残りが50ページほどになりましたが、なんだか読み終えるのが惜しいような気持ちです。
第9章「16世紀ヨーロッパの言語革命」は迫力ある記述が静かに続きますが、次の一文は妙に私の心を騒がせます。

---------
 このようなヨーロッパの知識層における知の秘匿体質ともいうべきものの根っこは古代にまで遡る。古来ヨーロッパにおいては、神から与えられた真理は不心得な者の手に入らぬようにみだりに公開してはならない、という観念が広くゆき渡っていた。ピュタゴラスの弟子リュシスは、哲学を公にすることは師のピュタゴラスが禁じたと伝えている。同様に、アレクサンドル・コイレによれば「プラトンの哲学的教えというものは選ばれた少数者にだけ与えられるという、奥義とも言うべき性格をいくぶんもっている」のである。実際プラトンは対話篇『パイドロス』において「言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人のところであろうとも、ぜんぜん不適当な人のところであろうと、おかまいなしに、軽々とめぐり歩く。そしてぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない」との危惧をソクラテスの口から語らせている(275DE)。そして三世紀の教父オリゲネスが「神的な事柄は人間にはいくらか隠された形で知らされる。人が不信仰でふさわしくない状態にあればあるほど、ますます隠される」と語っているように、この点はキリスト教においても変わりがない。(p571-2)
---------

最近、ウィキペディアのことをいろいろ考えている私には、このプラトンの「危惧」は「希望」のように感じられます。
 

直江君の思い出

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 9月 4日(金)18時45分7秒
編集済
  私はもともとNHK大河ドラマにそれほど興味がないのですが、今年の『天地人』の場合、ちょっと特別な理由があって、全く見ていません。
というのは、私の大学時代の登山仲間に直江君という人がいて、「ナオエ」と聞くとどうしても彼の顔を連想してしまうからです。
彼は非常に頭が良く、特に記憶力が優れていました。
高山植物に関して該博な知識を持ち、彼と一緒の山行では珍しい植物に出会うと彼がたちどころに詳細に解説してくれて、大変便利でした。
彼はよく笑う人でしたが、妻夫木聡のような爽やかな笑顔の持ち主ではなく、どちらかというとへらへらした笑顔でした。
風貌にも妻夫木聡のような爽やかさは全くなく、本当は清潔好きで潔癖な人でしたが、どことなく『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるネズミ男を連想させるところがありました。
また、彼は思想的な面で若干変わった人で、難解な左翼的言辞を好み、普通の話題を変に政治的な方向に曲げて、周囲を困惑させることが得意でした。
ところで今年初め、この掲示板で佐藤優氏の『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて』が話題になりましたが、私が佐藤氏の本をいくつか読んで非常に奇妙に思ったのは、佐藤氏が浦和高校、同志社大学神学部、同大学院神学研究科時代に学生運動にかかわっていたことを自慢そうに書いていたことでした。
そして、浦和高校時代、佐藤氏が所属していた新聞部の部室には赤や青や黒のいろんなセクトのヘルメットが転がっていた、という記述を読んだとき、私の頭の中には、直江君のへらへらした笑顔が浮かんできました。
直江君も浦和高校出身なのですが、彼に関する断片的な記憶をつなぎ合わせると、どうも直江君は浦和高校新聞部で佐藤氏の後輩だったようです。
浦和高校の一角には既に10年以上前に終息していた全共闘運動の残り火がチラチラと燃えていて、佐藤氏も直江君もその火種を守って生きてきた変人たちの仲間だったのだろうなあ、などと勝手に想像してしまいます。
直江君は今は大学の先生となって、相変わらず難解な文章を書いているようです。
 

医師>外科医>理髪外科医

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月30日(日)17時41分14秒
編集済
  現代人から見ると、命を救ってくれるはずの外科医の地位が非常に低かったというのは少し変な感じがしますが、さらにその下に「理髪外科医」がいたわけですね。

----------
 近代解剖学の端緒になった一五四三年のヴェサリウスの『人体の構造について』(通称『ファブリカ』)の序文には「上流階級の医師たちは古代ローマ人をまねて手の仕事を軽蔑し、・・・調剤は薬種商に、手術は理髪師に任せてしまった」とある。ここで「医師」というのは大学で教育を受けた内科医を指している。「彼らはまるでペストでも見るかのように手の仕事を忌避し」、薬の処方や食事の指示だけを与え、手術もふくめて手をもちいる治療のいっさいを「彼らが外科医と呼んでほとんど奴隷のように見下していた者たちに委ねていた」のである。(中略)
 そもそもが英語の「外科(surgery)」も、フランス語やドイツ語で「外科」をさすchirurgieとともにギリシャ語の「手仕事」を語源とし「手をもちいた治療(manuum operatio)」全般を意味し、「外科医」とは手作業に従事する「医療職人」を指していた。そして「長衣をまとった医師たちは、外科医や薬屋は自分たちより劣った存在であると考え、医師という名誉ある職業から排除しようとした」のである。ちなみに、ヴェサリウスの先の引用に「理髪師」とあるが、理髪師は事実上外科医の仕事を担っていた。実際、彼らは整髪や洗顔だけでなく、切開手術やヘルニアの整復から抜歯、はては梅毒の治療まで手広くこなす「理髪外科医」であり、外科医のさらに下に見られていた。(p109〜110)

 外科と外科医が下級、医学と医師が上級というこの差別構造は中世から近代にかけてヨーロッパ全土に行き渡っていた。もちろんドイツでも状況は変わらない。いや、ドイツでは差別はより峻厳であった。(中略)ドイツにはサン・コーム学院にようなものはなく、外科は理髪師や浴場主の家業として受け継がれていたが、一三・一四世紀以降、理髪師と浴場主は皮剥ぎや羊飼い、森番、粉挽き、道路清掃人、捕吏、墓堀り人、犬革なめし工、娼婦、陶工、芸人などとともに差別の対象─賤民─とされていた。ドイツ社会においてその差別が生じたそもそもの由来についてはいくつかの説があるようだが、どもかくその差別の実態はかなり厳しいもので、例えば職人の徒弟となるには理髪師や浴場主の子ではないことの証明を必要としたと言われる。つまり職人以下であった。(p137)
-----------

こうした状況が、ペストや梅毒に大学の医学が全く無力であったこと、そして重火器の登場で戦争の様相が一変し、外科医・理髪外科医が銃弾や砲弾による複雑で大量の戦傷に対処したこと等を通じて、急速に変化して行ったようです。

Andreas Vesalius
http://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Vesalius

↓のサイトでは、『ファブリカ』の内容を見ることができますが、「骨格人」「筋肉人」「静脈人」たちはなかなかユーモラスですね。

http://archive.nlm.nih.gov/proj/ttp/books.htm
http://archive.nlm.nih.gov/proj/ttp/vesaliusgallery.htm[
 

デューラーと知的所有権

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月30日(日)16時24分52秒
  先に引用した部分に続く記述も興味深いですね。

----------
 付け加えるならば、デューラーは一方では職人・技術者の根強い秘密主義に抗して知の公開を実践したが、それと同時に、今日言うところの「知的所有権」については、これを早くから認めていた。『人体均衡論』に触れて「〔本均衡論』に触れて「〔本書には〕他の書物から盗作されたものは何もない」と明言している。そして彼の死後に寡婦の手で出版された『人体均衡論』の末尾には、神聖ローマ帝国官房長官代理の名で、デューラー未亡人にたいして本書の著作権を一〇年間保証すること、さらには違反者は罰金を科せられる旨が記されている。『測定術教則』の一五三八年の第二版にも同趣旨の記載がある。どの程度実効性があったかは不明であるが、著作権の公的な保障が明記されたきわめて初期の事例である。(p79)
----------

ウィキペディアで著作権の歴史を見ると、

The earliest German privilege of which there is trustworthy record was issued in 1501 by the Aulic Council to an association entitled the Sodalitas Rhenana Celtica, for the publication of an edition of the dramas of Hroswitha of Gandersheim, which had been prepared for the press by Konrad Keltes.

とあるので、確かにデューラーのも早い事例のようです。

http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_copyright_law
 

民主主義者、デューラー

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月29日(土)18時45分23秒
編集済
  >筆綾丸さん
『十六世紀文化革命』第1巻を200ページほど読んでみました。
アルブレヒト・デューラーの画家以外の側面については『磁力と重力の発見』でも言及されていましたが、『十六世紀文化革命』第一章「芸術家にはじまる」では、デューラーが「知の積極的な公開を主張し、かつ実践した」ことがより詳細に描かれていますね。

--------------
  いく人かの人は種々の知識を学ぶことができるが、それは誰にでも許されているわけではない。・・・
  われわれが学び、それを隠さずに後世に正確に伝えることが、共通の利益のために必要である。・・・
  私はできるかぎりわかりやすく、しかも包み隠さず、私の意見を開陳したい。そしてできれば、金銀よりも
  このような知識を愛する若者たちのために、私の識るいっさいのことを公にしたい。

 それにデューラーは、イタリアの芸術家と同様に絵画に科学的基礎を与えようとしたけれども、イタリアの先行者のエリート主義と異なり、絵画と建築だけを自由学芸に位置づけることも、画家と建築家だけに優越的地位を与えるようなこともしなかった。そもそも彼の著書は知識階層に技術の知識を与えるものではなく、職人や技術者自身に自分たちの技術にとって必要な知識を教授し、ひいてはその科学的基礎を明らかにするためのものであった。実際『測定術教則』の「まえがき」には「本書は画家だけではなく、すべての金属細工師、彫刻家、石工、大工、すなわち技術を学ぼうとするすべての人々のために書かれたものである」とある。(中略)デューラーはすべての手工芸、すべての技術に数学的基礎を与えることで、すべての職種の手職人の教化と向上を目指していたのである。(p78〜79)
--------------

http://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_D%C3%BCrer
 

折たく柴の夕煙・・・

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月28日(金)21時08分58秒
  小太郎さん
山本義隆氏の『十六世紀文化革命』は早く読まねば、と思っています。

http://home.cilas.net/~jikan314/shinkokinwakashu/kanbetu/08/0801.html
後鳥羽院の歌に基づくという新井白石の『折たく柴の記』(岩波文庫)を、拾い読みして
いると、文昭院(家宣)の出棺の場面に、次のような箇所がありました(286頁〜)。

・・・(十月)廿日には、増上寺に送り出し参らす。某も供奉にしたがひたりき。此ほど
日ごとに天花のふりぬとて、器をもて承(うく)るに、あざみの花のごとくなる、金色の
光あるものの、風にしたがひて下る也。日を経ぬれば、粉のごとくにくだけうせぬ。

白石は供奉して、この奇瑞を実際見ていることになりますが、合理主義者らしからぬ記述
ですね。

Ted Kennedy の出棺について、フランスの新聞記事を読んでいると、ボストンはケネディ
家の fief(封土、勢力範囲)である、という一文がありましたが、なかなか面白い表現
ですね。
 

自問自答

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月27日(木)12時03分44秒
  京都・曼殊院に伝来し、現在宮内庁蔵となっているのが「天子摂関御影」で、徳川黎明会蔵のものは「天皇摂関御影」なんですね。  

インフラとしてのウィキペディア

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月27日(木)00時57分15秒
  ニューヨークタイムズに、ウィキペディアが現存の人物の記事に関する投稿ルールを改訂し、有資格者が確認するまでは一般投稿者による修正は反映されないようにするとの記事が出ていました。

http://www.nytimes.com/2009/08/25/technology/internet/25wikipedia.html?_r=1&scp=2&sq=wikipedia&st=cse

Officials at the Wikimedia Foundation, the nonprofit in San Francisco that governs Wikipedia, say that within weeks, the English-language Wikipedia will begin imposing a layer of editorial review on articles about living people.
The new feature, called “flagged revisions,” will require that an experienced volunteer editor for Wikipedia sign off on any change made by the public before it can go live. Until the change is approved -or in Wikispeak, flagged- it will sit invisibly on Wikipedia’s servers, and visitors will be directed to the earlier version.
The change is part of a growing realization on the part of Wikipedia’s leaders that as the site grows more influential, they must transform its embrace-the-chaos culture into something more mature and dependable.

"embrace-the-chaos culture "(混沌を抱きしめる文化)という表現は、なかなか洒落てますね。

Roughly 60 million Americans visit Wikipedia every month. It is the first reference point for many Web inquiries - not least because its pages often lead the search results on Google, Yahoo and Bing. Since Michael Jackson died on June 25, for example, the Wikipedia article about him has been viewed more than 30 million times, with 6 million of those in the first 24 hours.

私も"What's Michael? "を書くために、600万人の一人となりました。

Under the current system, it is not difficult to insert false information into a Wikipedia entry, at least for a short time. In March, for example, a 22-year-old Irish student planted a false quotation attributed to the French composer Maurice Jarre shortly after Mr. Jarre's death. It was promptly included in obituaries about Mr. Jarre in several newspapers, including The Guardian and The Independent in Britain. And on Jan. 20, vandals changed the entries for two ailing senators, Edward M. Kennedy and Robert C. Byrd, to report falsely that they had died.

ガーディアン紙のような有名新聞も、時には悪意ある投稿者の悪戯に引っかかる、と。

Mr. Wales began pushing for the policy after the Kennedy and Byrd hoaxes, but discussions about a review system date back to one of the darkest episodes in Wikipedia's history, known as the Seigenthaler incident.
In 2005, the prominent author and journalist John Seigenthaler Sr. discovered that Wikipedia's biographical article connected him to the assassinations of John F. Kennedy and Robert F. Kennedy, a particularly scurrilous thing to report because he was personally close to the Kennedy family.
Since then, Wikipedians have been fanatical about providing sources for facts, with teams of editors adding the label “citation needed” to any sentence without a footnote.

出典を明記するようにとの注がやたら多くなったのには、このような事情があった、と。

“We have really become part of the infrastructure of how people get information,” Mr. Wales said. “There is a serious responsibility we have.”

ウィキペディアは既にインフラとなっており、きちんとした責任を負わねばならんのだ、とウェールズ氏は語った、と。
すでにインフラとなっているとの認識は、決して創業者の大げさな自負ではなくて、事実そのものだと私も思います。
先のガーディアン紙等の一件も、見方を変えれば、ウィキペディアにきちんとした記事を載せておけば、既存メディアを通して正確に情報が伝わって行く可能性が高いことを示しているともいえますね。
 

読了

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月27日(木)00時37分24秒
  >筆綾丸さん
『磁力と重力の発見』、エピソードの数式はパスしたものの、何とか読み終えました。
素晴らしい本を紹介していたただいて、感謝しています。
直ちに山本義隆氏の別の著作にとりかかるつもりですが、どれからにしようか迷っているところです。

>似絵の出典
「天子摂関御影」のようですね。
文化庁のサイトではなぜか「天皇摂関御影」となっていますが。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=71182
 

ペール・ラシェーズ

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月25日(火)19時29分36秒
編集済
  小太郎さん
すこし眺めただけですが、後白河院のは、凄いですね。ただ、似絵の出典が明記されて
おらず、執筆者は絵画には興味がないのでしょうね。この絵は、たしか、宮内庁書陵部
にあるものでしたか。

http://www.utp.or.jp/bd/4-13-061355-3.html
今日は、この本を読んでいたのですが、裏カバーの出典は『甲州北山筋羽黒村御検地
水帳』で、「関新助(印)」の署名があり、よくみると、印は孝和と読める感じが
します。裏のカバーを、なぜ、表のカバーにしなかったのだろう・・・。
甲府藩勘定方に勤務する数学の天才の、身すぎ世すぎのためとはいえ、ああ、つまら
ねえ仕事だ、という呟きが聞こえてくるような署名ですね。


Akiさん
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cimeti%C3%A8re_du_P%C3%A8re-Lachaise
むかし、ショパンの墓を訪ねたことがありますが、イサーク・ティチングさんも、
ペール・ラシェーズに眠っているのですね。
 

Secret Memoirs of the Shoguns

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月25日(火)04時35分22秒
  >Akiさん
昨日、いつもより早めに帰宅できたのでレスしようと思ったら、そのまま爆睡してしまい、今頃起きて書いています。

>ティチングの著書を元にして2006年に出版された本
"Secret Memoirs of the Shoguns: Isaac Titsingh and Japan, 1779-1822"ですか。
内容を確認してみたいです。

http://metropolis.co.jp/tokyo/665/books.asp

注釈のタイモン・スクリーチ氏は日本近世文化・美術専攻で、邦訳書も多い方ですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Timon_Screech
 

最新の歴史学

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 8月24日(月)00時35分15秒
  出島のオランダ商館長のイサーク・ティチングと聞いて、以前、英語圏の日本関連ブログでこの人の名前が出たことがあるのを思い出しました。この人の本、かなり問題がありそうなのですが、欧米ではけっこう日本史の基本資料として使われているようですね。

以前、Japan Times の記事で、「徳川家康は大阪夏の陣の怪我が元で死んだ」と解説されていたことがありました。Japan Times の記者がどこでそんな間違った情報を得たのかと思ったら、元ネタは英語版Wikipedia で、その英語版Wikipediaが引用していたのが、ティチングの著書を元にして2006年に出版された本でした。ティチングの本に、「家康は大阪夏の陣の負傷が元で死んだ」と書いてあったらしいです。ティチングが出島にいたのは大阪の陣から約180年も経った1779年から1784年の間なので、ティチングの本が家康の死についての真実を伝えている可能性は無く、単にいいかげんなことが書いてあっただけのようです。(Wikipediaの家康の記事は、英語圏のブログでこの話題が取り上げられた直後に修正されて、今は穏当な内容になっています。)

Japan Times の記事(東博の「大徳川展」(2007)の紹介記事)。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fa20071122a1.html

上記の Japan Times の記事のデタラメぶりを取り上げている英語圏のブログ記事。
http://ampontan.wordpress.com/2007/11/26/junior-high-journalism-in-japans-english-language-press/
 

Emperor Go-Toba

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月23日(日)18時38分4秒
編集済
  の参考文献は、

Brower, Robert H. "Ex-Emperor Go-Toba's Secret Teachings": Go-Toba no in Gokuden. Harvard Journal of Asiatic Studies, Vol. 32, (1972), pp 5-70.
Brown, Delmer M. and Ichirō Ishida, eds. (1979). [ Jien, c. 1220], Gukanshō (The Future and the Past, a translation and study of the Gukanshō, an interpretative history of Japan written in 1219). Berkeley: University of California Press. ISBN 0-520-03460-0
Ponsonby-Fane, Richard Arthur Brabazon. (1959). The Imperial House of Japan. Kyoto: Ponsonby Memorial Society. OCLC 194887
Titsingh, Isaac, ed. (1834). [Siyun-sai Rin-siyo/Hayashi Gahō, 1652], Nipon o daï itsi ran; ou, Annales des empereurs du Japon. Paris: Oriental Translation Fund of Great Britain and Ireland.
Varley, H. Paul , ed. (1980). [ Kitabatake Chikafusa, 1359], Jinnō Shōtōki (A Chronicle of Gods and Sovereigns: Jinnō Shōtōki. New York: Columbia University Press. ISBN 0-231-04940-4

となってますね。
『後鳥羽院御口伝』・『愚管抄』・『神皇正統記』の英訳に、『The Imperial House of Japan』(1959)という後鳥羽院についてあまり詳しく書いていそうもない古い本、そして出島のオランダ商館長が翻訳した林鵞峰(1618-80)の『日本王代一覧』。
うーむ。
最新の歴史学の成果が反映されているようです。

イサーク・ティチング
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0

ちなみに、H. Paul Varley氏の名前を見て、あのポール・ヴァレリーが『神皇正統記』を翻訳したのか、と思った人が百人に一人くらいいるかもしれませんが、この人はコロンビア大学名誉教授の歴史学者・ジャパノロジストですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/H._Paul_Varley
 

「なぜウィキペディアは素晴らしくないのか」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月23日(日)17時14分13秒
編集済
  という記事がウィキペディアにあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AF%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B

私も昔は同じようなことを考えていたのですが、英語版を頻繁に活用するようになって以降、ウィキペディアは殆ど空気のような存在になってしまって、あまり疑問も抱かなくなりました。
執筆者の知的レベルが高いことが明白な、情報量の豊かな記事を実際に数多く見た結果、「中立的な観点」が本当にありうるのか、責任の所在の明確ではない記述を信頼できるのか、といった一般論はどうでもよくなってしまった感じです。
問題は個々の記事の水準ですが、日本語版だと、これはすごいなと思えるような記事に出会える頻度が英語版と比べてかなり低いですね。

例えば「後鳥羽天皇」を見ると、歴史関係は非常にあっさりしていて、和歌はまあまあですね。
参考文献には目崎徳衛『史伝 後鳥羽院』、鈴木彰・樋口州男編『後鳥羽院のすべて』、樋口芳麻呂『後鳥羽院』、丸谷才一『後鳥羽院 第二版』、松本章男『歌帝 後鳥羽院』、久保田淳監修、寺島恒世『後鳥羽院御集』といった本が並んでいるので、執筆者は国文の人なのだろうと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E5%A4%A9%E7%9A%87

また、「後白河天皇」を見ると、参考文献は安田元久『後白河上皇』、棚橋光男『後白河法皇』、下郡剛『後白河院政の研究』、古代学協会編 『後白河院 動乱期の天皇』等となっていて、質・量ともに充実していますが、このレベルの記事は珍しい、というか稀有ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87

さて、英語版を見ると、後鳥羽・後白河とも日本語版とは全然対応していません。

http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_Go-Toba
http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_Go-Shirakawa

よくわからないのは参考文献で、後白河の場合、

Brown, Delmer M. and Ichirō Ishida, eds. (1979). [ Jien, c. 1220], Gukanshō (The Future and the Past, a translation and study of the Gukanshō, an interpretative history of Japan written in 1219). Berkeley: University of California Press. ISBN 0-520-03460-0
Helmolt, Hans Ferdinand and James Bryce Bryce. (1907). The World's History: A Survey of Man's Progress. Vol. 2. London: William Heinemann.OCLC 20279012
Kitagawa, Hiroshi and Bruce T. Tsuchida, eds. (1975). The Tale of the Heike. Tokyo. University of Tokyo Press. ISBN 0-86008-128-1
Ponsonby-Fane, Richard Arthur Brabazon. (1959). The Imperial House of Japan. Kyoto: Ponsonby Memorial Society. OCLC 194887
Titsingh, Isaac, ed. (1834). [Siyun-sai Rin-siyo/Hayashi Gahō, 1652], Nipon o daï itsi ran; ou, Annales des empereurs du Japon. Paris: Oriental Translation Fund of Great Britain and Ireland.
Varley, H. Paul , ed. (1980). [ Kitabatake Chikafusa, 1359], Jinnō Shōtōki (A Chronicle of Gods and Sovereigns: Jinnō Shōtōki. New York: Columbia University Press. ISBN 0-231-04940-4

となっていますが、『愚管抄』・『平家物語』・『神皇正統記』の英訳、1907年の『The World's History』、イサーク・ティチング(オランダ商館長、1745-1812)による林鵞峰『日本王代一覧』の翻訳(1834出版)から描き出された後白河天皇像というのはなかなかのものです。
 

『磁石論』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月21日(金)23時14分29秒
  >筆綾丸さん
昨日はサボってしまい、今日、やっと3巻に進みました。
ウィリアム・ギルバートが先行研究からの影響を故意に抹殺していること、それを近代の学者が見逃してきたことへの批判は厳しいですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/William_Gilbert

>ラテン語
「あとがき」(p942)に、「文献を読む段になって、やはりきちんとしたラテン語の知識の必要性を痛感し、泥縄ではあるが、思いきって都内の外国語学校のラテン語講座に二年半通った。実際には、すでに記憶力が相当減退しているのか、それとももともと語学の才能が乏しいのか、笊で水を汲むようななさけない状態でたいして上達しなかったが、それでも必要最小限は確保したと思われる」とありますね。
ラテン語を学べる都内の外国語学校というと、日仏学院かアテネフランセあたりでしょうか。
ずいぶん謙虚に書かれていますが、山本氏の「必要最小限」のレベルがどのくらいなのか、私には見当もつきません。
 

後鳥羽院の同時代人

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月20日(木)20時54分4秒
編集済
  小太郎さん
ここ数日、夏バテで、ぐったりしていました。
『磁力と重力の発見』をはじめて読んだとき、世の中には、凄い人がいるものだな、と
思いました。
山本義隆氏は、ラテン語の文献を読むため、ラテン語の学校に通われたそうですね。


フリードリッヒ二世は後鳥羽院の同時代人のようですが、人間のスケールが、ちょっと
違いますね。
後鳥羽も多才な人ですが、鷹狩に熱中したという話はないようですね。
 

「知の地殻変動」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月19日(水)23時47分7秒
  >筆綾丸さん
今日、『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』を入手して200ページほど読み進めましたが、尋常ならざる面白さですね。
圧倒されます。
『十六世紀文化革命』も購入してみました。

第三十回大佛次郎賞受賞記念講演
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/yamamoto.htm
 

「世界の驚愕」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月16日(日)19時05分21秒
  フリードリヒ二世も実に興味深い人物ですね。

-------
 そしてこのマイケル・スコットをパレルモの宮殿で庇護したのが、同時代のイングランドの歴史家マシュー・パリスにより「世界の驚愕」と呼ばれたフリードリヒ二世であった。ホーフェンシュタウフェン家の嫡流ハインリヒ六世と初代シチリア国王ロジェー二世の娘コンスタンツァの間に生まれ、ヨーロッパの異界パレルモで育ち、教皇イノケンティウス三世から帝王学を学んだフリードリヒ二世は、やがて神聖ローマ帝国の皇帝とシチリアとナポリ王国の王、さらにはエルサレムの王位をもかね備えるヨーロッパ最大の実力者になる。しかし彼が「驚愕」と呼ばれる所以は、その権力の大きさもさることながら、むしろその権力行使の思想と実態において時代を超越していることにある。(p193)
-------

『鳥をもちいた狩の技術について』の著者だけに、肖像画にも鷹が一緒に描かれてますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_II,_Holy_Roman_Emperor
 

Villard de Honnecourt

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月16日(日)18時43分19秒
編集済
  >筆綾丸さん
『磁力と重力の発見 1古代・中世』、人名をウィキペディアに当たりつつゆっくり読んでみましたが、高度な内容でありながら、議論の進め方は非常に丁寧で、分かりやすい本ですね。

-----------
 それよりも重要なことは、『磁気書簡』第二部に示されているペレグリヌスの研究の目的である。一五五八年にはじめて印刷されたアウグスブルク版のタイトルは『磁石ないし永久運動車輪についての書簡』とあり、そして一九世紀のベンジャミンの書物では、ペレグリヌスが磁石を研究し『磁気書簡』を書いた真の意図は、永久運動機関の製作にこそあったと書かれている。そこまで断言してよいかどうかの判断には立ち入らないにしても、磁力という自然力を動力源に利用することがペレグリヌスの磁石研究のひとつの重要な狙いであったことは疑えない。それは、言うならば、電磁エネルギーの力学的エネルギーへの転換の人類史上はじめての試みであり、成功したか否かにかかわらず─リン・ホワイトの言うように─構想したこと自体が決定的である。そしてこれこそが、ロジャー・ベーコンが「経験学の第三の特権」で目指していたことの具体的な実践に他ならない。(p292)

 このようにペレグリヌスの『磁気書簡』のスタンスはきわめて近代的で、中世キリスト教社会の精神的世界に超越しているように見えるけれども、それでもやはりそれが生まれるだけの基盤は存在していたのであり、時代の背景のなかで理解されなければならないものである。実際リン・ホワイトの著書によると、一三世紀にヨーロッパの技術者を熱中させていたのは、重力で駆動する時計の製作だとある。動力の問題は技術者の共通の関心事であった。そんなわけで、ペレグリヌス自身が上記の引用ではっきり認めているように、この時代に永久運動機関を考案した技術者は彼以外にもいた。
 技術史家ギャンペルによれば、この時代には巨大な大聖堂が数多く建設され、一一世紀のロマネスク様式の巨大石造教会建築のはじまり以来、一三世紀のゴシック建築の最盛期にいたるまで、フランスでは八〇の大聖堂、五〇〇の大教会堂、数万の教区教会堂が建てられたという。同時にその時代は築城ラッシュの時代でもあった。そんなわけで、当時建築技術者は相当の学識と技能を要求され、それなりに社会的に高い地位にあったようである。そのような建築技師の一人で、ペレグリヌスと同郷のピカールディーにほぼ同時代に生まれたヴィラール・ド・オクヌールが描いた『画帳』が遺されている。(中略)そしてその中に「工匠たちは車を自転するようにさせることについて何日も論じあった。ここに奇数個の木槌もしくは水銀をもちいてするその方法を示す」とキャプションをつけた重力を動力とする永久運動車輪の図が描かれている。(p295-6)
-----------

ヴィラール・ド・オクヌールの『画帳』はキリスト像のような真面目な作品もどこかユーモラスで、眺めていると時間を忘れそうです。

http://www.cgagne.org/villarcg.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Villard_de_Honnecourt
 

「玄妙不可思議な磁力」(p91)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月14日(金)23時11分14秒
  >筆綾丸さん
レスが遅れてすみませぬ。
『イタリア海洋都市の精神』序章で紹介されていたW.H.マクニール『ヴェネツィア−東西ヨーロッパのかなめ、1081−1797』を読了後、『磁力と重力の発見』を最初から読み始めました。
古代ギリシア・ヘレニズム・ローマ帝国を経て、やっと中世キリスト教世界に入ったところで、明日には『磁気書簡』に辿り着きたいと思います。
 

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