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ペトロス・ペレグリヌス

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月10日(月)21時14分29秒
編集済
  小太郎さん
「第八章 ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』」を、あらためて読みますと、
13世紀に、従軍中の野営地で、何故、これほど精緻な科学的思考が可能だったのか、
おどろくばかりですね。

この『磁気書簡』は、一二六九年にアンジュウ伯シャルル(ルイ九世の弟)の軍隊がフリ
ードリッヒ二世の建設したイスラーム教徒の居住地である南イタリアの都市ルチェーラを
包囲・攻撃したときに、従軍していたペレグリヌスがその年の八月八日に野営地から
同郷人にあてた手紙である。(270頁)

http://fr.wikipedia.org/wiki/Maricourt_(Somme)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Foucaucourt-en-Santerre
http://fr.wikipedia.org/wiki/Foucaucourt-Hors-Nesle

ペリグリヌスの故郷マリクール(Maricourt)も近くのフーコークール(Foucaucourt)も、
現在、人口はきわめて少ないのですね。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4622072866.html
『十六世紀文化革命』は、買い込んだまま、まだ読んでいません。


明治天皇が、どういう経過で「金羊毛騎士団」に入会したのか、誰が唆したのか・・・
明治期の日仏関係を考えると、なかなか面白い問題ですね。
 

「商業上の秘密」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 9日(日)15時49分8秒
  更に筆綾丸さんが紹介されている部分をはさんで、少し後の記述です。(p181以下)

----------
 現在知られているかぎりで、ヨーロッパでの航海用コンパスとしての磁針の使用に最初に言及したのは、聖アルバンの僧イギリス人アレクサンダー・ネッカム(一一五七−一二一七)、フランスの詩人で聖職者プロヴァンスのジオット(一一八四-一二一〇)、そしてエルサレム王国の都市アッコンの司教ジャック・ド・ヴィトリ(一一六五-一二四〇)のものと言われている。
(中略)
 コンパスについてのこれらの記述は、そのどれもが新たに見出された事実として語られているのではない。(中略)いずれも磁針についての知識を前提としてそれを引き合いに出しているにすぎない。そのことは磁針がすでに以前から使用されていたことを強く示唆している。
 それはそうだろう。そもそも当時の船乗りたちには、自分たちの仕事内容について何かを書き残すという習慣はほとんどなかったと考えられる。それだけではない。ソーンダイクによれば、一三世紀のカンタンプレのトマス(一二〇一−七二)は、航海用コンパスにふれて、磁石が魔術的力を持つと記しているとのことで、そのため「航海用コンパスの秘密の所有者は、魔術の嫌疑がかかるのを懸念してその秘密をあかすのを長いあいだ怖れていた」とある。この点については、ソーンダイクのように魔術一般ではなく、もっぱら航海用コンパスの製作と使用の歴史をめぐって古代・中世の文献を丹念に調べあげたミッチェルもまた、まったく同趣旨の指摘をしている。あまつさえ磁気羅針儀の使用は、貿易業者にとっては当初は商業上の秘密であったということも考えられる。それやこれやで、どのみち船乗りたちはコンパスの使用を積極的に公表しようとしなかったことは確かであろうから、ヨーロッパの船乗りたちが磁針の使用を開始したのは、聞き知った僧侶たちがそれについて書き残すより相当以前のことと推察される。いずれにしても、その発見が北海やバルト海あるいは地中海でのヨーロッパ人の活動が活発になっていった時期であることは、まず間違いがない。
----------

山本氏は「磁気羅針儀の使用は、貿易業者にとっては当初は商業上の秘密であったということも考えられる」とあっさり書かれていますが、競争相手を出し抜いて独占的に巨額の利益を獲得できる極秘ノウハウですから、魔術の嫌疑の懸念などより、こちらが記録が残らなかった最大の理由じゃないですかね。
 

「ヨーロッパはヨーロッパで独自に発見」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 9日(日)15時36分3秒
編集済
  >筆綾丸さん
山本義隆氏の本、私には難しすぎるように思えたのですが、思い切って購入しました。
筆綾丸さんが紹介されている箇所の直前の部分、引用してみます。(p179以下)

---------
 中世ヨーロッパにおける磁力理解を大きく拡げ変化させた直接の契機は、航海用コンパス(磁気羅針儀)の使用の始まり、すなわち磁化された鉄針の指向性、ひいては磁石そのものの指向性の発見にあった。
 磁石で擦られた鉄の針が南北を指すことは、ニーダムとミッチェルによれば、中国では宋の時代(一〇八八頃)に沈括という人物が書いた『夢渓筆談』に記されているとあり、これが残されている確かな記録としてはもっとも古いようである。
 それにたいしてヨーロッパ人が磁針や磁石の指向性をいつ知ったのか、また磁針を航海用コンパスに使用しはじめたのがいつなのか、これらの点は正確にはわかっていない。本書は磁力の認識が力概念の発展になにをもたらしたのかを主要な問題とするものであり、羅針儀の使用がいつ・どこで始まったかの穿鑿を事とするものではないが、ヨーロッパ人がその知識を得るにいたった消息を窺うために、残されているドキュメントにたよって遡及しておこう。
 ギルバートはマルコ・ポーロが航海用コンパスの知識を中国から持ち帰ったのがその発端のように書いているが、実際にはマルコ・ポーロが一二九五年に帰国するほぼ一世紀前にはすでにコンパスはヨーロッパで使用されていた。またその知識が中国からイスラーム社会経由でヨーロッパに伝えられたという説も通史にはよく見られるが、その説を確実に証拠立てるものはなく、むしろヨーロッパはヨーロッパで独自に発見したという方が真相に近いようである。というのも羅針儀についての記載が見出されるのは、イスラームの文献よりも西欧の文献のほうが早いからである。
---------

私は「その知識が中国からイスラーム社会経由でヨーロッパに伝えられたという説」が定説だと思っていましたので、ちょっと驚きました。
 

ブッソーラ

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月 8日(土)16時26分17秒
  『磁力と重力の発見 1 古代・中世』の「第五章 中世社会の転換と磁石の指向性の発見」
に、次のようにありました。(180頁〜)

一九八三年に出版された『中世歴史事典(Dictionary of the Middle Ages)』の「コン
パス(compass magnetic)」の項目には「コンパスは地中海、おそらくはエルバ島から
の磁鉄鉱の船積みに従事していたイタリアの港アマルフィにおいて創り出された」とあ
る。この説は十五世紀のイタリアの詩人アントーニオ・ベッカーデリと歴史家フラヴィ
オ・ビオンドに始まり、十六世紀のデッラ・ポルタやギルバートの本にも書かれ、今日
まで語り継がれてきたらしい。たしかにシチリア・ノルマン王朝の成立と十字軍の開始
以降「イタリアの諸都市の船が(地中海の)すべての海域で文句なしの主人公になる」
と言われるから、そのころに地中海で磁気羅針盤が開発されたか、あるいはイスラーム
ないしビザンチンの船乗りから学んだということは、ありそうにも思える。しかしその
裏づけはなく、まったくの伝説でしかない(*)。
 * アマルフィ説のひとつの根拠に、十五・十六世紀の羅針儀には盤面(コンパス・
   カード)がつけられ、そのさい方向を指すのに「ギリシャ風(Greco;北東)」
   とか「リビア風(Libeccio;南西)」とか「シリア風(Scirocco;南東)」と
   いった地中海での風の名称が使用されていることが挙げられているが、とすれば、
   アマルフィで創り出されたというのは、このようなコンパス・カードを備えた
   進んだ形の羅針儀のことではないだろうか。ものの本には、一二九五年から
   一三〇二年の間にアマルフィにおいて三二の方位とコンパス・カードを備え
   箱(bussolo)に収められたほぼ完成された形の羅針儀(bussola)が作られたと
   ある。
 

磁力の発見

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月 7日(金)22時07分39秒
編集済
  小太郎さん
陣内秀信氏『イタリア海洋都市の精神』の、次のような記述に、おどろきました。

海洋に関することを例にとるならば、東方の進んだ科学技術を取り入れながらアマルフィ
が考案した磁石を用いた羅針盤は、まさに文化交流を象徴的に示すものである。一一世紀
頃には磁石の針を水中に浮かべ方向を知る方法が、中国からアラビアをへて船乗りの間で
広まった。
しかし、船のゆれで水がこぼれて役に立たないため、水を使わず水平に磁針を保つ乾式
羅針盤がアマルフィ人によって発明された。羅針盤が使えるようになるまでは、星や太陽
だけを見て航路を決めていたから、天気の悪い冬場は航海ができなかった。この乾式
羅針盤を使って、十三世紀の中頃から、冬でも安心して航海ができるようになったので
ある。それがヨーロッパで広く用いられ、やがて十五ー十六世紀の大航海時代を迎える
ことに繋がった。(173頁)

(乾式)羅針盤の発明はアマルフィ人ですか・・・。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4622080311_1.html
山本義隆氏の大変な名著である『磁力と重力の発見』に、磁力の発見は南イタリアの何と
か云う人とあったような曖昧な記憶がありますが、羅針盤の発明がアマルフィ人だった
かどうか・・・あとで確認してみます。
 

「再構成」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 7日(金)08時50分38秒
編集済
  陣内氏共著の『図説西洋建築史』(彰国社、2005)p58には、アマルフィのドゥオモのファサードについて、「今のものは19世紀後半の再構成で実現したものとはいえ、元々のアラブ風の外観を理想化して造形されたものである」とありますね。
『南イタリア都市の居住空間―アマルフィ、レッチェ、シャッカ、サルデーニャ』 (中央公論美術出版、2005)も確認したのですが、少しわかりにくい点があり、後で整理してから書いてみます。
ちなみに、この本は47250円というお手ごろな値段です。
買った訳ではありませんが。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4805504870.html
 

『長ぐつのロミオ』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 6日(木)01時35分56秒
編集済
  映画『桜の園』でレオニード(ガーエフ)役だった涌澤未来さんのブログはパワフルで面白く、私は毎日愛読しているのですが、彼女が初舞台として『長ぐつのロミオ』(昭和芸能舎)に出演するそうなので、勝手に宣伝します。
昭和芸能舎は映画『パッチギ』『フラガール』の脚本家、羽原大介氏が中心となって2001年から活動している演劇集団で、実力のある若手が多いようですね。
私ももちろん申し込み済みです。

涌澤未来 オフィシャルブログ
http://blog.qlep.com/blog.php/miku-boolog

昭和芸能舎
http://sgs4109.kir.jp/
 

兄or弟

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 6日(木)01時12分57秒
  『イタリア海洋都市の精神』p167には、次の一文があります。

-----------
 ちなみに、この町の守護聖人、聖アンドレア(アンデレ)は、聖ペテロの弟で、二人とも漁師であった。この兄弟がガラリアの海辺で海に網を打っている際に、通りかかったイエスに「私についてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と呼びかけられ、彼らは網を捨て、イエスにしたがって、その弟子となった。マタイ伝はそう伝える。このように漁師の象徴でもある聖アンドレアを聖人としていただくというのも、アマルフィが海と結びついた都市であることを物語る。
-----------

これは別に陣内氏の独自の見解ではなく、アマルフィについて語られた文章にはよく出てくるものですが、ただ、キリスト教の素養が全くない私が短時間で調べた範囲の知識で言うと、マタイ伝には聖アンデレと聖ペテロが兄弟であると書かれているだけで、どちらが年上かは明確ではないようです。
次の例のように、アンデレが兄だとするサイトも散見します。

Fisherman and disciple of Jesus Christ. Andrew was the elder brother of Simon Peter (Saint Peter). Although having no connection with the country while alive, St. Andrew is the Patron Saint of Scotland and St. Andrew's Day is celebrated by Scots around the world on the 30th November.

http://www.geo.ed.ac.uk/scotgaz/people/famousfirst2.html

よく分かりませんが、聖アンデレを守護聖人とする地域・国のナショナリズムの発露なんですかね。
 

エキゾチックなイタリア

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 5日(水)00時55分57秒
編集済
  陣内秀信氏の『イタリア海洋都市の精神』を読み始めたところ、少しショッキングな記述がありました。(p192以下)

-------------
グランドツアーと近代のアマルフィ

 広場の平面的な形態はその段階でできたとはいえ、今のように教会前に大階段が設けられたのは、一八世紀のことであり、階段の下にあたる場所に、一三世紀にはアラブ式の公衆浴場が、後の一四世紀終わりには五軒の店舗があったことが知られている。古い時代には、人々は鐘楼の裏を回りこむようにして、ドゥオモに横からアプローチしていた。現在見ているアマルフィの華麗なる都市空間ができ上がるまでには、いくつもの段階があったことを忘れてはならない。
 大聖堂のイスラーム様式による美しいファサードは、中世からずっと続いてきたものだと思いがちだが、実は違う。一九世紀後半の地震で大きく亀裂が入り、その修復の際に、部分的に残っていたイスラーム様式の装飾を手掛かりに再構成された近代の産物なのである。
一八世紀には、古代文化を受け継ぎ、その再生によって先進的ルネサンス文化を創り上げ、建築や都市空間の魅力を発信していたイタリアは、イギリス、ドイツ、フランスなど、アルプス以北のヨーロッパの国々の人にとっては憧れの地だった。この世紀に、永遠の都ローマの真ん中で、古代広場フォロ・ロマーノの発掘が進み、またポンペイが発見され、発掘によって古代都市がその姿を現したのも大きな刺激となり、はるばるアルプスを越えて南下し、このイタリア各地の都市を訪ねる「グランドツアー」という動きが活発になった。ヨーロッパ各地から、大勢の芸術や文学を志す人々が危険を覚悟で苦労しながら旅を続け、多くの刺激を自国に持ち帰り、新しい文化の創造に貢献したのである。
 彼らの訪問先はせいぜいナポリまでで、ナポリからシチリアに船で渡るルートはあったものの、カンパーニア地方の南までがツアーの対象となることはなかった。だが、南のパエストゥムのギリシア都市遺跡が再発見され、評判になると、人々の流れは南に向かった。当時、ギリシアの地はオスマン帝国に支配され、古代のギリシア文明に対するヨーロッパ人の関心が大きくなっても、実際にアテネのアクロポリスなどを訪ねることは極めて困難だった。南イタリアに受け継がれた古代ギリシアの神殿建築や劇場、都市の遺構がおおいに人々を触発したのである。
 その影響が一九世紀初めにはアマルフィにまでおよび、アルプス以北のヨーロッパ人が多くこの地を訪ねるようになっていた。ただしここで彼らが惹かれたのは、古代文化ではなく、イスラームやビザンツのエキゾチックな文化だった。ヨーロッパの人々の間に、中世の文化に惹かれ、ピクチャレスクな風景に魅せられる新たな感性が生まれつつあった。本来国際感覚をもっていたアマルフィの人たちも、そのことを強く意識したのであろう。中世の誇らしい歴史の中で育まれたそのオリエンタルな美意識を、自分たちの文化的アイデンティティとして強く自覚したのである。海洋都市ならではの賢明な選択だった。
-------------

うーむ。
「部分的に残っていたイスラーム様式の装飾を手掛かりに再構成」となると、実際に残っていたのは分量的には非常に僅かだったのではないか、とゆーか、古いカケラを参考に全く新たに作ったのでは、という疑いすら生じて来ます。

>筆綾丸さん
>「金羊毛騎士団」の一員
政教分離を厳密に考えると、憲法上の問題がありますね。
ガーター騎士団については、憲法の教科書で見た覚えがあります。
 

Ordre de la Toison d'or

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 8月 4日(火)20時35分57秒
  小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%BE%8A%E6%AF%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
この騎士団も聖アンデレのようですが、日本国の天皇が「金羊毛騎士団」の一員とは知
らず、とても驚きました。

陣内秀信氏の本はいくつか読みましたが、この人はほんとにイタリアが好きなんだな、と
思いました。
 

スコットランドの聖遺物

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 4日(火)00時32分39秒
編集済
  スコットランドの守護聖人でもあるSaint Andrewの聖遺物はEdinburghのSt Mary's RC Cathedralに保管されているそうですが、こちらは二つのうち、ひとつは、

In 1204, French and Venetian Crusaders sacked Constantinople. The French removed many relics. (including the Shroud), to Western Europe. To protect the relics of the Apostle, Cardinal Peter of Capua, the Papal Legate to the East, brought the body of St Andrew to his home town, Amalfi, in southern Italy.

On the restoration of the hierarchy in Scotland in 1878, St Andrews and Edinburgh was made the Metropolitan See of Scotland. In 1879 Archbishop Strain received from the Archbishop of Amalfi a large portion of the shoulder of the Apostle Andrew. It was placed in a silver gilt shrine donated by the Marquess of Bute.

ということで、1878年にアマルフィからもらったもの。
もうひとつは、

The second relic was given by Pope Paul VI to the newly created Scottish Cardinal Gordon Joseph Gray, in St Peter’s Rome, in 1969, with the words ‘Peter greets his brother Andrew’. Cardinal Gray was the first Scottish Cardinal in four hundred years.

ということで、1969年にローマ法王からもらったもの。
うーむ。
聖遺物の贈答は19世紀、20世紀になっても行われているんですね。

http://www.stmaryscathedral.co.uk/standrew.html
http://www.stmaryscathedral.co.uk/
 

アマルフィの聖遺物

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 4日(火)00時01分5秒
編集済
  アマルフィの守護聖人は十二使徒の一人のSaint Andrew(聖アンデレ)ですが、ウィキペディアによると、

http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Andrew

The purported relics of the Apostle Andrew are kept at the Basilica of St Andrew in Patras, Greece; the Duomo di Sant'Andrea, Amalfi, Italy; St Mary's Cathedral, Edinburgh, Scotland; and the Church of St Andrew and St Albert, Warsaw, Poland. There are also numerous smaller reliquaries throughout the world.
St Jerome wrote that the relics of St Andrew were taken from Patras to Constantinople by order of the Roman emperor Constantius II around 357 and deposited in the Church of the Holy Apostles. The head of the saint was given by the Byzantine despot Thomas Palaeologus to Pope Pius II in 1461. It was enshrined in one of the four central piers of St Peter's Basilica in the Vatican.

だそうですね。
ただ、この文章と、少し後に続くアマルフィがらみの文章との関係がいまひとつ分かりません。

In 1208, following the sack of Constantinople those relics of St Andrew which remained in the imperial city were taken to Amalfi, Italy, by Pedro, cardinal of Capua, a native of Amalfi.
The Amalfi cathedral (Duomo), dedicated to St Andrew (as is the town itself), contains a tomb in its crypt that it maintains still contains the rest of the relics of the apostle.
On 8 May 2008 the relic believed to be Andrew's head was returned to Amalfi Cathedral.

いったい、Saint Andrewの遺体の、具体的にどの部分がどのように移転したのか。
リンク先のブログはある程度整合的な説明をしていますが、いまひとつすっきりしないですね。
もちろん、各地に伝わる聖遺物の伝承・伝説を、すべて整合性が取れるように理解する必要があるはずもありませんが。

http://idlespeculations-terryprest.blogspot.com/2006/11/skull-of-saint-andrew.html
 

アラブ=シチリア様式?

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 8月 2日(日)20時37分27秒
  >筆綾丸さん
言われてみれば、確かに六角形ですね。

Metropolitan France has a vaguely hexagonal shape. In French, "L'hexagone" sometimes refers to the European mainland of France aka the "metropole" as opposed to the overseas territories such as Corsica, Martinique or French Guiana.

metropolitanには「(植民地ではなく)本国の」という意味もあるんですね。
Tokyo Metropolitan Universityは、石原慎太郎氏の願望としては「本国大学東京」だったりして。

>ドゥオモのファサード
確かに美しいですね。

http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col8301.htm

ウィキペディアには「アラブ=シチリア様式」とありますが、この言葉で検索しても、アマルフィ関係の記事しか出てきません。
少し不思議なので、陣内秀信氏の『イタリア海洋都市の精神』を読んでみます。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2807084
 

l’Hexagone

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月31日(金)21時02分38秒
  小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Hexagon
l’Hexagoneは、その形から、フランスの本土を意味しますが、
「Hexakosioihexekontahexaphobia」という単語は、一の位と十の位と百の位に「Hexa]
があるようで、最後に「phobia」がくるのですね。たしかに、不気味なスペルですね。

「アマルフィ」は、私も初日に見て、あまりに無茶な展開に呆れましたが、ドゥオモの
ファサードは美しいですね。
 

666の謎

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月31日(金)18時23分25秒
  Hexakosioihexekontahexaphobia (literally, "fear of [the number] six hundred sixty-six") is the fear that originated from the Biblical verse Revelation 13:18 which indicates that the number 666 is the Number of the Beast, linked to Satan or the Anti-Christ.

http://en.wikipedia.org/wiki/Hexakosioihexekontahexaphobia

「666恐怖症」とでも訳すべきでしょうか。
私にとっては、数字よりも"Hexakosioihexekontahexaphobia"という言葉の方がなんだか怖いですね。
数えてみたら29文字もありました。

2007年12月には、米国ルイジアナ州で、ある町の市外局番「666」が変更されたそうな。

A town in the US state of Louisiana is to be allowed to change its telephone prefix so that residents can avoid a number many associate with the Devil.

Mayor Scott Walker said CenturyTel's decision was "divine intervention".
However, he admitted it helped that Louisiana's two senators had also lobbied for the change with the phone company and the state Public Service Commission.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7163767.stm

"divine intervention"は神の関与=ミラクルという意味だと思いますが、ルイジアナ州の二人の上院議員の関与もあった訳ですね。
 

Amalfi

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月31日(金)01時18分21秒
編集済
  今日は勉強をサボって「アマルフィ」を見に行ってしまいました。
最初からそれほど期待していた訳ではないのですが、東京で平凡に暮らしていた看護婦さん(天海祐希)が、いくら子供を人質にとられたからといって、いきなりテロリストの仲間に入って銃を持って暴れる、という展開は無理がありますね。
それも本隊と離れて一番重要な場所をたった一人で襲撃、というのはあんまりです。
おまけに、そのあんまりな犯罪者・天海祐希に、それまでクールに決めていた外交官の織田裕二が唐突に加担してイタリア警察相手に大立ち回りとなると、どうにもシュールすぎて忍耐の限界を超えます。
ま、それでもローマとアマルフィは美しく、観光地めぐりとしては楽しめました。

http://en.wikipedia.org/wiki/Amalfi

>筆綾丸さん
>獣の数字
英語版の方はすごい分量ですね。

In May 2005, it was reported that scholars at Oxford University using advanced imaging techniques had been able to read previously illegible portions of the earliest known record of the Book of Revelation(a 1,700 year old papyrus), from the Oxyrhynchus site, Papyrus 115 or P115, dating one century after Irenaeus. The fragment gives the Number of the Beast as 616 (chi, iota, stigma), rather than the majority text 666 (chi, xi, stigma). The other early witness Codex Ephraemi Rescriptus (C) has it written in full: hexakosiai deka hex (lit. six hundred sixteen).

正直、どっちでもいいんじゃないの、という感じもするのですが、論争に参加している学者は気合が入ってますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Number_of_the_Beast
 

Bondone

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月29日(水)20時03分10秒
  小太郎さん
http://it.wikipedia.org/wiki/Bondone
総人口666人(2007年8月31日現在)のボンドーネ村は、ジョットの父ちゃんの本貫の地
なのかもしれないですね。
666は皇帝ネロのことですか・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%97

人口1,000人以下の村は、フランスではいくらでもありますが、日本にも、いくつかある
のですね。
http://uub.jp/rnk/rnk.cgi?T=v&S=j

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2880059
佐藤賢一氏『カペー朝』を購入して、パラパラ眺めていますが、これは面白そうです。
 

ヴァザーリ『芸術家列伝』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月28日(火)00時41分12秒
編集済
  ジォット研究の出発点となるのは、何といってもヴァザーリ『芸術家列伝』ですね。
その雰囲気を味わうために、佐々木英也氏の訳文を少し引用してみます。
(ヴァザーリ『芸術家列伝』研究-38-フィレンツェの画家,彫刻家,建築家ジォット」、雑誌『心』1979.06)

------------
 画家たちは自然から恩恵を受けている。自然の最良最美の部分から良きものを引き出して模写模倣に努力している画家たちに対し、つねづね自然は手本の用を勤めてくれるためであるが、私の信ずるところ、これと同じ恩恵を彼らはフィレンツェの画家ジォットからも受けている。なぜなら、戦争による災禍のもと、優れた絵画を描くための方法やそれらの絵の様相が長年にわたって人目に触れずに居った時代に、彼ひとりが、いまだ無能なる芸術家たちの間に生まれ乍ら、その天与の才によって道を踏外していた芸術を甦えらせ、良好と呼び得る状態にまでこれを引き戻す役割を果たしたからである。あの粗野にして無能な時代にジォットがあれほど制作の諸般に通暁し、彼の手によって当時の人々がほとんど、いや全くもって認識していなかった造形(ディセーニョ)の理法が完全に息を吹き返したとは、まことに大いなる奇蹟としか呼びようがない。かくも偉大なこの人物の出生を問えば、彼はフィレンツェから十四哩の周辺の周辺の地にある田舎の村ヴェスピニャーノで、一二七六年に生を享けた。父はボンドーネという質朴な農夫で、この息子を儲けるとジォットと名付け、境遇が許すかぎり躾よく育てた。
 ジォットは十歳になると、やることなすこと未だ子供らしい中にも、驚くべき利発さ、才気煥発ぶりを示して、父親ばかりでなくこの子を知る村の内外のすべての人々に可愛がられたものだったが、父のいいつけで羊の番をさせられると、羊に草を食ませるためにあちこち牧草地を経めぐりながら、ディセーニョの芸術への天成の好みに促されて、平らな石や砂の上に、目に映った自然の事物あるいは胸に泛んだ空想を、絶えず描いているのであった。さてある日のこと、チマブーエが所用のためにフィレンツェからヴェスピニャーノにやって来て、ジォットの姿を目に留めた。羊が草を食べている間、少し尖きのとがった石でもって平らなすべすべした石の上に自然以外の何ものからも学ぶことなく、一匹の羊の写生をしていたのである。チマブーエは驚嘆して立ち止り、一緒に自分のところへ行ってみないかね、と訊ねると、父ちゃんがウンというならついて行きたいな、と少年は答えた。そこでチマブーエはボンドーネにその旨を頼みこむと、父親は心優しく承諾し、息子がフィレンツェに連れていってもらえることを喜んだ。こうしてフィレンツェにやって来ると、己が天稟に助けられまたチマブーエの教導よろしきを得て、少年はたちまち師の手法様式に匹敵するところまで上達し、そればかりか、きわめて優れた自然の模倣者となってかのぶざまなギリシャ様式を完全に放逐し、実在の人間を巧みにそのまま写し出すという二〇〇年以上も前から廃れていた画法を導入することによって、近代的な良き絵画をつくる技術を再興させた。この実物写生の方法は、前述のように誰かがすでに試みていたとしても、首尾よい結果を生んではいなかったし、成功してもジォットほどにゆかなかったものである。(後略)
---------

>筆綾丸さん
>Goddio
私は何となくGiottoのアナグラムみたいな名前だな、と思いました。
ご紹介のウィキペディアの解説にWilliam Blakeの作品が載っていますが、不思議な絵ですね。

http://it.wikipedia.org/wiki/William_Blake
 

God-damned-dio

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月27日(月)20時13分32秒
  小太郎さん
フランスの海洋考古学者 Franck Goddio氏の Goddioとは、なんだか、凄い名ですね。
ゲルマン系の Godとラテン系の Dioが 、禍福はあざなえる縄の如く、とばかり
に intertwine しているのですね。
Dio はたぶん由緒正しい神で、God や Christianityなどは得体の知れぬ邪宗
(paganism)にすぎぬ・・・と解すべきなのかもしれませんね。
・・・ the discovery may provide evidence that Christianity and paganism at
times intertwined in the ancient world.

http://en.wikipedia.org/wiki/God
http://it.wikipedia.org/wiki/Dio


http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4121020146.html
この本はもう少し面白いかと思いましたが、期待はずれでした。
 

2ヶ月遅れの”The Cherry Orchard”

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月24日(金)18時05分9秒
  5月27日にアマゾンに注文したJames N. Loehlin著『 Chekhov: The Cherry Orchard』がやっと届きました。
もともとこの本を注文したのはメイエルホリドが『桜の園』に対してどのような態度を取ったのかを知りたかったからなのですが、それは他の資料で確認済みだったので、注文したのを忘れたころに来てもらっても困るなあ、などと思ってしまいました。
だいたい昭和天皇の時代だったり新疆ウイグル自治区あたりに住んでいるならともかく、2009年に東京で暮らしていながら、何でアメリカで出版されている新刊本を2ヶ月待たねばならんのか。
どないなっとるねん、と思いつつ、パラパラとページをめくると、後ろの方で鈴木忠志演出の『桜の園』について妙に詳しい解説がありました。
1990年版の映画についても3行だけ触れてますね。
せっかくなので、後で少し紹介してみます。

http://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=9780521825931&ss=exc
 

DIA CHRSTOU O GOISTAIS

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月23日(木)18時29分5秒
編集済
  >筆綾丸さん
これですね。

http://www.msnbc.msn.com/id/26972493/

Goddio said, "It is very probable that in Alexandria they were aware of the existence of Jesus" and of his associated legendary miracles, such as transforming water into wine, multiplying loaves of bread, conducting miraculous health cures, and the story of the resurrection itself.

まあ、確かに磔の三日後の復活は、魔術といえば魔術ですね。
 

granodiorite のよろめき

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月22日(水)20時35分39秒
編集済
  小太郎さん
http://www.asahi.com/egypt/works01.html
http://www.asahi.com/egypt/works03.html
一昨日、横浜で、『海のエジプト展』をみました。
神々しいまでに淫らな「王妃の像」は(バタイユ好みのエロチズムかもしれませぬが)、
プトレマイオス朝の石工の技倆もさることながら、花崗閃緑岩(granodiorite)という
マチエールに負うところが大きいのだろうな、と思われました。
「鉢」にあるギリシャ語は「魔術師キリスト」と読めるそうですが、本当なら、面白い
ですね。


如月さん
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4642028579.html
本多博之氏『戦国織豊期の貨幣と石高制』を読み始めたのですが、徴税請負人とは直接
の関係はないものの、非常に興味深い著書です。
 

連休中

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月22日(水)01時04分53秒
編集済
  少し風邪気味で、おとなしくしていました。
投稿をさぼってすみませぬ。

>如月さん
以前は18世紀のフランス思想史と新古今集の研究を並行してやっている如月さんを化け物のような人だと思っていましたが、最近は如月さんのような姿勢が当たり前なんだなあ、如月さんは意外にも普通のことを普通にやっている常識人だったのだなあ、と感じています。
私も日本の中世文学以外の拠点が欲しいので、ここ二三年、地味にヨーロッパ史の基礎を固めてから、どこかに橋頭堡を確保したいものだ、などと思って、とりあえず絵画と建築のあたりを物色中です。

>筆綾丸さん
>ダンテ
Giottoとほぼ同時代人なんですね。

Giottoは赤も独特ですね。
ネットで見ると、私が持っている画集の色とは少し違うのですが。
 

定免法

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月17日(金)21時58分46秒
  如月さん
お久しぶりです。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Ferme_G%C3%A9n%C3%A9rale
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%85%8D%E6%B3%95
時代的には、将軍吉宗が定免法を取り入れて、天領の代官たちが頑張っていた頃ですね。
難物の仏語ですが、是非、出版してください。
 

おひさしぶりです。

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月17日(金)18時21分2秒
  >如月さん
着実に研究を進められていますね。
外出先からなので、後でまた書きます。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:如月  投稿日:2009年 7月16日(木)20時43分9秒
  小太郎さん、筆綾丸さん、大変ごぶさたしております。
去年の春にエルヴェシウス『精神論』の翻訳をはじめてから、日本中世史のことを勉強する時間がまったくとれなくなってしまい申し訳なくおもっております。でも、西洋だ東洋だ、近世だ中世だといっても、18世紀のフランス社会と中世日本社会にもいろいろ似たところがあるんですね。だいいち、徴税請負人というエルヴェシウスの職業そのものが受領といった方がびったりくるように私はおもっています。
ところで、『精神論』の訳はまだ約三分の二が残っていますが、大変ありがたいことに、現段階で某出版社から訳了したらぜひ出版したいというお申し出を受けました。
こうなれば一日も早く訳を完成させたいとおもっています。

http://www.furugosho.com/

 

堅魚木?

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月15日(水)22時19分35秒
  小太郎さん
ジョットとは、いきなり、渋いですね。
このブルーなどは綺麗ですね。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Giotto_Scrovegni_26_entry_into_Jerusalem_detail.jpg
ダンテの肖像画があるとは、知りませんでした。

津和野は、若い頃、行ったことがありますが、永明寺は知りませんでした。
本堂の屋根に堅魚木のようなものがあって、神社建築のようですね。
 

Giotto Blue

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月15日(水)08時57分10秒
編集済
  一年前から通っている某学校で、今学期は美術史のクラスが定員不足のため開講が危ぶまれていたところ、少し運動して開講してもらえることになりました。
自分の学習計画の危機だったので、助かりました。
↓はそのクラスの講師が推薦するハンガリーのサイトですが、充実しています。

Web Gallery of Art
http://www.wga.hu/index.html

参考資料としてGiottoの画集を購入し、毎日眺めていますが、実にいいですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Giotto_di_Bondone

>筆綾丸さん
いえいえ、今となっては仲間内の笑い話です。

>亀井氏
津和野の殿様ですね。
菩提寺の永明寺には鴎外の墓を見に行ったことがありますが、落ち着いた良いお寺さんでした。

http://blowinthewind.net/koji/yomei.htm
 

地図と国家

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年 7月14日(火)20時17分47秒
  小太郎さん
大変なことがあったのですね。
私は、あの映画を見ながら、近代国家の支配欲と言いますか、征服欲と言いますか、
凄いものがあるな、と思いました。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4163282408.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E4%BA%95%E4%B9%85%E8%88%88
私は佐藤雅美氏の地味な作品が好きなのですが、『たどりそこねた芭蕉の足跡』に、
こういう記述がありました。

亀井氏の祖茲矩は毛利元就に滅ぼされた室町時代の出雲の豪族尼子氏の遺臣で、山中鹿介
などと尼子氏の再興に奔走し、やがて秀吉の麾下にあって鳥取城の攻撃に参加。軍功を
認められて信長より、毛利の領地である出雲を与える旨の朱印状をいただいた。
だがその後、信長が本能寺の変で殺され、秀吉が毛利と和解し、出雲は元どおり毛利の
領地となってしまったため、秀吉は信長の約束を履行できなくなり、茲矩にどこかほかに
望みの地はないかと聞いた。茲矩は国内に望みなし、琉球をといった。そのときの秀吉
に、領地を与える余裕がないのを見越してのことだ。秀吉はすかさず、諾とし、後日の
証しとして軍扇に、「亀井琉球殿」と墨書して与えた。(124頁)

この殿様の末裔が、父娘で国会議員をしているのですね。
 

剣岳・落の記

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月13日(月)23時04分12秒
編集済
  >筆綾丸さん
『剣岳・点の記』、私も初日に見ました。
22年前の盛夏、私は山の友人と一緒に長次郎雪渓を登っていたのですが、途中で急に雨が降り出し、ガスで視界が全く効かなくなり、雪渓の最上部で迷ったことに気づきました。
そして正規のルートに向かってトラバースしている途中で新人が足を滑らせ滑落、それを止めようとしたサブリーダーも滑落して、二人ともものすごいスピードでガスの中に消えて行きました。
すり鉢状になった下部には滝で雪が切れた箇所があったため、死亡事故を覚悟しましたが、70メートルほど落下したところに岩が露出していて、二人とも奇跡的に止まり、全身打撲と足の骨折だけで済みました。
富山県警の山岳警備隊に救助を要請して、到着まで何時間も待ったときの心細さは今でもよく覚えています。
あの時は生まれて初めて警察に心から感謝しましたね。
翌日、天候の回復を待って二人はヘリコプターで富山市内の病院に搬送され、残りのメンバーはトボトボと下山しました。
結局、あれ以来、剣の頂上は踏んでいません。
剣から富士山があれほど綺麗に見えることも、今度の映画で初めて知りました。

>皇族出身
まあ、峰岸氏は二条や貴族社会のことなど、あんまり興味はないでしょうからねー。
 

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