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ここで高橋慎一朗氏の注記に従って竹村俊則氏の『昭和京都名所圖會 1洛東-上』(駸々堂、1980)を見ると、次のように記されています。(p135)
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若松池址は小松谷正林寺の東、渋谷通より南とつたえ、江戸中期まではなお池の一部を残していたが、今は埋没して跡形もない。現在この地を清閑寺池田町とよんでいるのは若松池によるものであろう。
若松池とは平家一族と深い関係にあった大納言藤原邦綱が、この地に構えた山荘若松亭(東山亭)の苑池をいったもので、邸内の規模については明らかにしないが、治承四年(一一八〇)十一月二十六日、南都攻撃に当って三万余騎の平家の軍勢が、平重衡を総大将としてここに集合したというから、かなりの広さを有していたのであろう。翌五年(一一八一)二月、邦綱は病を得て年六十を以て没した。寛元二年(一二四四)鎌倉将軍頼経が辞任し、出家入道して帰洛の折、「六波羅若松殿」に入居したという若松殿とは、この邦綱の若松亭であったと思われる。その後の推移は明らかにしないが、中世は池のみが残り、野盗の出没地として人々から怖れられる地となった。
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竹村俊則氏は同書奥付によれば「大正4年(1915)京都市に生まれ、学生時代から京都の史跡・伝説に関心をもち、京都の名所旧跡を探訪すること40余年、京都国立博物館に奉職するかたわら郷土史研究につとめる。」との経歴の方で、画才豊かな人ですね。
http://fukuhen.lammfromm.jp/2007/06/_100.html
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