|
|
上横手氏の書評(『日本史研究』556号、2008年12月号)と、それに対する高橋氏の反論、「六波羅幕府という提起は不当か−上横手雅敬氏の拙著評に応える−」(『日本史研究』563号、2009年7月号)を読んでみました。
『平清盛 福原の夢』には、私が10月29日の投稿で引用した部分に続いて、次のような記述があります。(p155)
--------------
そもそも、もとをたどれば王権を守護するというのは衛府の任務であった。そして、平安期に幕府といえば近衛府の唐名で、転じて近衛大将の居館、または、左右の大将その人を指していた。「近衛大将は、■(こん、宮中の門)を分かつの重任、席を絶つの崇班(高位)なり、帷帳に籌(戦略)無くして、何ぞ枕を幕府に高かうせんや」などといわれた。重盛は承安四(一一七四)年七月以来右近衛大将であり、三年後には重盛・宗盛の兄弟が左右の大将を占める。前代までの幕府は容儀にすぐれた高位の宮廷貴族の地位の形容で、平家のそれは全国の精悍な武士を率いる軍事貴族の権力という内容上の大きな違いがあるとはいえ、前者を幕府と呼ぶのなら後者を幕府と称してどこがおかしい。
また中国では、天子を補佐する者や天子の委任を受けた者が、府を開き自らスタッフをリクルートした。野戦軍司令官の場合は府を帷幕で設営するので、幕府という。そこから転じて一般官署の意味にも用いられる。そのような幕府は、近代以前の中国には、全土に数多く存在した。この意味用法に照らせば、奥六郡の支配権と陸奥・出羽押領使としての軍事・警察権を有していた院政期の奥州藤原氏も、立派に一箇の幕府といえる。
--------------
これを見て、上横手氏は、
--------------
現在「鎌倉幕府」「室町幕府」などと呼ばれているものと、「幕府」という言葉の本来の意味とは当然別個のものである。かつて鎌倉幕府の成立時期が議論されたとき、「幕府」とは近衛府であるとし、頼朝が右近衛大将に任じられた建久元年(一一九〇)を鎌倉幕府の成立とする説があったが、この説は「幕府」という言葉の語義に基づくものであり、政権としての幕府の性格を顧慮していないとして、今日では退けられている。従ってこの議論は、もう済んでいると思っていたが、いまさらこれが持ち出されたのには驚いた。
--------------
と書かれています。
これに対し、高橋氏は、自分は「古色蒼然の説を蒸し返したいわけではない」とし、著書で「天子を補佐する者や天子の委任を受けた者が、府を開き自らスタッフをリクルートした。(中略)そこから転じて一般官署の意味にも用いられる」と指摘した部分が「肝心」で、「拙著で詳しくは述べなかったため注意を惹かなかったらしい。少し補足しておきたい。幕府という語を考えるにあたっては、・・・・」とのことで、中国・朝鮮の事例を多数引用した上で、次のように書かれています。
--------------
以上中国、高麗における幕府をざっと見てきた。それらは皇帝や王から軍事の大権を委ねられ、官衙を開き一般行政にも参与、自ら幕僚をリクルートするなどを共通項とする歴史的実体である。一方存在形態は多様で、教定都監のように既成の国家権力に吸着し王朝の一部分であるケース、節度使のような独立性の強い地方政権であるケース、さらに中央集権が強力な場合は、隋・唐期の州県や宋朝の地方行政機関として生き残るなどさまざまな形をとったことがわかる。
これまでの日本史学では、如上の一般官庁としての幕府の存在には、注意が払われてこなかった。これら東アジアの各時代に登場する多様な幕府の存在に注目すれば、日本の幕府概念はもっと柔軟であってよいし、それらの研究と対話ができる形で論じ直されねばならないだろう。特殊日本史の歴史区分と深く関連して構築された鎌倉幕府の概念を前提にするのは、伝統的とはいえ一国史の視野にとらわれた考えであり、今後克服されねばならない点である。
上横手氏の批判内容に即していえば、独立性の強い地域政権である点のみを強調し、それを幕府であるか無いかの実質的な判定基準にするなら、汎東アジア的な意味で、平家政権を幕府と位置づけうる途があるのに、そこから眼をそむける結果になる。平家研究に大きな成果をあげてきた先達に生意気な口をきくようであるが、この点が大いに不満である。
--------------
よく分からないのは高麗の「教定都監」についての説明で、朝鮮の史料には「幕府」という語は全然出てこなくて、「この教定都監は、韓国歴史学会の多数意見によれば『幕府的』なものである」のだそうです。
「韓国歴史学会の多数意見」を誰がどう判断したのかも不思議ですが、「韓国歴史学会の多数」の人たちが「幕府的」なものであると判断したから「教定都監」は幕府なのだ、というのは論理が渦を巻いていて訳が分かりません。
また、「一般官庁としての幕府」も分かりにくい表現です。
「一般官庁」と聞けばごく普通の軍事的色彩のない行政機関を連想しますが、高橋氏によれば軍事の要素は必要らしく、「帝や王から軍事の大権を委ねられ、官衙を開き一般行政にも参与、自ら幕僚をリクルートするなどを共通項とする歴史的実体」だそうです。
しかし、「自ら幕僚をリクルート」することが特別重要とも思えず、要するに「軍」と「行政」の両要素があればよいようにも思えます。
更に、仮に「幕府」という同じ語を用いていても(朝鮮の場合は同じ語すら用いていないそうですが)、その存在形態が「汎東アジア的」に多種多様なら、日本史で「幕府」概念を柔軟化することに、いったいどのような学問的意義があるのかが分かりません。
「汎東アジア的な意味で、平家政権を幕府と位置づけ」た結果、どのような学問的効用が生まれるのか。
ま、私は、幕府概念を柔軟化したからといって「一国史の視野にとらわれた考え」の克服には結びつかないと思います。
|
|