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参考までに『スターリン―政治的伝記』(上原和夫訳、みすず書房、1984)からドイッチャーの第二版「まえがき」を引用しておきます。
翻訳ではありますが、ドイッチャーの文体の雰囲気は感じ取れると思います。
なお、初版の翻訳は同じ上原和夫氏訳で、みすず書房から1963年に出ていますが、実は山路健という人の翻訳が先行していて、こちらは1952・53年に「文芸春秋新社」から上下二巻本で出てますね。
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第二版(増訂版)まえがき
この「スターリン」第二版は、「スターリン」が書かれてから、ほぼ二〇年後に刊行される。一九四八年夏、筆者が「スターリン」を書き上げていたときには、スターリンは依然、彼の権力の最頂点にあって、全世界を通じて称賛され、畏怖され、また彼自身の国では、目まぐるしい“崇拝”に取り囲まれていた。当時の世界は今とは、大いに異なってみえた。ソ連邦は、まだ核保有国ではなかった。中国革命の勝利にはまだ、若干の距離があった。チトーとスターリンの決裂は、新聞紙上で見出しとなりはじめたばかりであった。筆者は「スターリン」の最後のページで、スターリンの経歴を評価するとき、次の言葉を前書きとした。
「ここで筆者は、スターリンの生涯と活動についての叙述に筆をおく。この叙述から最終的結論を引き出すことができるとか、またはこれを元として、人間としてのスターリン、彼の業績と失敗に自信ある判断を下すことができるとかいう幻想は抱いていない。多くの浮沈を経てきた彼のドラマは、いまやその最高の頂を登りつめているだけのようにみえる。だが彼の最後の行動が、それまでの彼の行動をどんな新しい視野に置き換えるかは不明である。」
いま筆者が、この本の新しい一章「追記─スターリンの晩年」のなかで述べるのは、この“最後の行動”についてである。一九四八年後、筆者の主人公のドラマは、最終的な頂点を迎え、それに続くスターリン崇拝の崩壊をもたらした。筆者がスターリンの役割を評価するまえに行った断り書きは、現在では恐らく、やや慎重にすぎたと思われよう。晩年におけるスターリンの活動と行状は、彼のそれまでの記録を新しい視野に置き換えるどころではなかった。それはただ、私が「スターリン」の結論的箇所で、いわゆる非スターリン化を予測しながら素描した視野に、より鋭い輪郭を与えたにすぎなかった。
一九五六年の第二〇回党大会において、またはそれ以後、フルシチョフ、ミコヤンその他が行った“暴露的発表”に照らし合わせて、筆者が自己の見解を訂正すべき理由があると考えているかどうかについて、質問を受けることが、しばしばである。だがフルシチョフらの発言は、スターリンの権力掌握、レーニンその他のボリシェヴィキ指導者との彼の関係、両大戦間の時期のおける彼の政策、彼の指導下で行われた大粛正、第二次世界大戦およびその余波の残存する時期における彼の役割について、筆者がこの本のなかで記述したことに、なに一つ重要なことを付け加えなかった。スターリンの生涯における、すべてこれらの決定的段階について、筆者の伝記は、現在のソ連の読者が入手できる情報と比べてみても、はるかにそれを上回る多くの情報を取り入れている。序でながらいえば、筆者の「スターリン」は、ソ連、中国その他東欧諸国で、依然、禁書とされている。
(後略)
一九六六年一〇月一一日 I・D
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