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花神

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2009年10月30日(金)22時48分32秒
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  小太郎さん
「頼朝は娘大姫の入内などのブレもあったが、結果としては、すでに述べたように清盛の跳躍ー挫折から教訓を引き出し、最終的には平家によってひな型が提示されていた手法を、より厳格、より本格的に追求する慎重路線を選択した。それからすると新王朝と新都建設に猛進した清盛は、やはり「人のありさま、伝うけ給るこそ、心も詞もおよばれね」(『平家物語』巻一祗園精舎)と評されるべき人物だった。司馬遼太郎の『花神』での喩えを借りれば、清盛は革命の思想家、頼朝はそれを引き継ぐ戦略家である。著作を持たない清盛を思想家というのは奇異かもしれないが、少なくともその発想のレベルからいえば間違いなく思想家の資質といえる。北条義時は革命を完成させる最後世代、実務家にあたるのであろうか」(同書260頁〜)

『花神』の内容はあらかた忘れましたが、司馬遼太郎の考え方は、たしか、吉田松陰は思想家、高杉晋作は革命家、大村益次郎(村田蔵六)は実務家なので、高橋氏の比喩を強引に敷衍すると、平清盛≒吉田松陰、源頼朝≒高杉晋作、北条義時≒大村益次郎(村田蔵六)というようなことになるのでしょうね、きっと。長州嫌いの私には(笑)、よくわからぬアナロジーです。のみならず、ここで、なぜ、だしぬけに、司馬遼太郎『花神』が出てくるのか、よくわかりません。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0910/sin_k497.html
艶福家の重衡は、平家の花神(花咲爺)にはなれなかったが、花神(牡丹)になった、というわけですね。

「この後、語り本系『平家物語』では、建久二(一一九一)年、女院が寂光院阿弥陀三尊の中尊の手に五色の糸を結び、往生への仏の迎えを願いながら没したとする。しかし事実は女院は姉妹のつてで京に戻り、法勝寺あたりや東山の鷲尾に移住し、貞応二(一二二三)年に亡くなったらしい。大原の寂光院に隣接する大原西陵は女院の陵墓だが、彼女はここで死んだわけではなかった。
大原の地は、彼女のメタモルフォーゼのために用意された、つかの間の宿りにすぎない」(201頁)

『平家の群像』は、以上のような文で終わりますが、建礼門院のメタモルフォーゼとは何なのか、意味がわかりません。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/joso.htm
 大原や 蝶の出て舞ふ 朧月
 
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