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高橋昌明氏の『平清盛 福原の夢』を途中まで読んでみたところ、次のような記述がありました。
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平家の時代以降、一番の輸入品は唐・宋の銅銭だった。最初は銅の地金がめあてだったのかも知れないが、すぐに交換手段として使用されるようになる。よく知られているように、日本の古代国家は皇朝十二銭と呼ばれる各種銅銭を発行したが、やがて使用は途絶えた。一二世紀中期、再びその使用が始まるが、流通したのは日本政府が鋳造した銅貨ではなく、現に中国で使用されている銭、ことに北宋銭だった。つまり日本は、交換手段を自前で用意するのではなく、中国に頼ったのである。中世日本は、その後も中国銭を求め続ける。それは、二〇世紀第三四半期の世界が、アメリカの圧倒的な経済力を背景に、貿易や国際資本取引において、主にドルで通貨表示をしていたように、日本が宋や元・明といった経済圏に組み込まれたことを意味しているのだろう。清盛の時代は、そうした体制の始まりだったのである。(p108)
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交換手段としてある国の通貨を使用することと、その国の経済圏に組み込まれることは別の問題だと私は理解していたのですが、高橋氏のように考える中世史学者は多いんですかね。
>筆綾丸さん
>蜷川幸雄
著作の大半をチェックしてみたのですが、文章も本当に鋭いですね。
ただ、蜷川幸雄氏の著作の中で私が一番良いと思ったのは、奥さんとの共著であるお料理本、『蜷川家のお総菜』(鎌倉書房)でした。
美しい写真を眺めているだけで幸せな気分になれますね。
冗談抜きで傑作です。
先日、国会図書館でE. H. Carrの『Michael Bakunin』と一緒にこの本を注文したら、受渡しの時、係りの人が、妙な人だなあ、といった顔でちらっと私を眺めていました。
『The Coast of Utopia 』のタネ本のひとつが『Michael Bakunin』なので、そのときの私としては必然性のある組み合わせだったのですが、アナーキストの評伝、しかも黴臭い英書と一緒にお料理本を頼めば、変わった人と思われても仕方ないですね。
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