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『記憶の中の源氏物語』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年10月25日(日)16時57分54秒
  通報 編集済
  検索してみると、『記憶の中の源氏物語』は随所で絶賛されてますね。
まずは前田雅之氏(明星大学教授)。

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連載を通して、氏は、虚構とされる物語・神話・伝説類は排除し、実証された史実をもって歴史を構築すべしとする近代歴史学の陥穽を見事に衝いて反転させ、史実の前提に虚構があるということ、さらにいえば、歴史自体が虚構を准拠にしていることを『源氏物語』の享受の諸相からものの見事に明らかにした。日本の歴史=権力=文化にとって『源氏物語』がかくも抗い難い呪縛=構造としてあったことをここまで叙述したものは他にない。
 しかも、氏によれば、表層の華やかさの陰にある死・病といった暗部に目を向けざるを得ない抗いが『源氏物語』の根柢に渦巻いていたという。権力者の自己像や歴史イメージを作り出すばかりか、壊していく力をも『源氏物語』はもっていたということだろう。やはり、歴史の亀鑑というべきか。
 このたび、氏の連載は装いを新たにして単著として公刊された。空虚な騒ぎに堕してしまった源氏物語千年紀の掉尾を飾るには、最良の書物である。『源氏物語』の千年あるいは日本を少しでもまじめに振り返りたいのなら、まず本書を手にとることが思考の作法というものだろう。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/311011.html

「思考の作法」が筆綾丸さんとは正反対のようです。
次に片山杜秀氏(慶応大学法学部准教授、国際日本文化研究センター客員准教授)。

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「源氏物語」は非政治的恋愛文学では決してない。主人公の光源氏が、天皇の女御(にょご)と密通し、不義の男子をもうける。その子はついに帝(みかど)となる。光源氏は表立って天皇の父と名乗れないが、何となく実力者となる。そんな物語に著者は、曖昧(あいまい)さと二重性を尊ぶ、日本人好みの政治美学の集約的表現を認める。「源氏物語」の筋立て自体が日本政治の聖典なのだ。そして以後の日本人は、その構図をなぞることでこそ、権威や権力の獲得と保持に努めたのだという。
 だからこそ、歴代天皇は「源氏物語」の学習に励み、足利義満も豊臣秀吉も柳沢吉保(よしやす)も「源氏物語」を愛したのだろう。天皇と上皇、将軍と執権、天皇と将軍、さらには天皇と元老、元老と首相のような楕円(だえん)型の権力構造が、上手に再生産され続けたのだろう。
 貴人が恋愛遊戯に耽(ふけ)るばかりの、最も非政治的にも見える文学が、日本人の政治的記憶の原型となって、千年以上もこの国を規定し続けている。驚くべき逆説だ。日本の政治・文化・思想の歴史を根本から書き換える構想力を内包した、爆裂弾的書物。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20090209bk04.htm

「爆裂弾的書物」という表現はすごいですね。
こうした絶賛の嵐の中で、小谷野敦氏は「『記憶の中の源氏物語』はトンデモ本」と冷ややかに言われていますが、これは稀有な例です。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090311

私は去年の9月から10月にかけて、高岸輝氏の『室町絵巻の魔力』に関連して、三田村雅子氏の見解を検討してみました。
この掲示板では13枚目以降に書かれており、また保管庫のブログでは『室町絵巻の魔力』とのカテゴリーでまとめています。

http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/4ca6cde3ed4da52e78a85fd5bdf482ab

三田村雅子氏はものすごく熱心に資料を集める努力家だとは思いますが、しかし資料を整理・統合する論理的能力がないですね。
ご自身が集めた材料で合理的に推論できる範囲を常に軽々と飛び越えてしまう習性があり、爆裂弾的跳躍力の持ち主ではあると思います。
 
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