|
|
森幸夫氏『北条重時』で、「六波羅裁許下知状」(42頁)の「相模守平朝臣(花押)」に
おける「朝臣」は、朝の字の偏と旁を真ん中で割り、間に簡略化した臣の字を書き入れた
もので、この書体が気になり、佐藤進一氏『古文書学入門』で確認すると、図版20「前
右大将家政所下文」における二人の「朝臣」と同じ書体になっていて、してみると、この
書体には、相当の格式があったのかな、と感じました。
中村直勝氏『日本古文書学上』に、称光天皇宣旨の図版があり、この書体がでてきます。
従二位行権大納言藤原
朝臣時房宣奉 勅以前
大僧正満濟准三宮宜賜年官
年爵者
應永三十五年四月二十日大外記兼大隅守中原朝臣師勝奉
「もうひとつ注目すべきは、年月日の下の大史や外記の署名であって、これは数々の肩書
をずっと書き連ね、それを一行の中に書き収めねばならないので、文字を割って、無理を
して、字を嵌め込んでおるのであって、ほほえましい苦心がここにある」(206頁)
宣旨や口宣案にみられる書体なので、なにか特別な意味があるような気もしますが、中村
氏は「ほほえましい苦心」とあっさり片付けていますね。
佐藤進一氏『古文書学入門』の図版25は、永仁六年(1298)の関東下知状で、書き止め
文言が「依鎌倉殿仰下知如件」となっています。建長の宗尊親王から永仁の久明親王まで
半世紀ほどの隔たりがありますが、『北条重時』(139頁)との関連で、この「鎌倉殿」が
気になりました。
|
|