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サン・フォールの井戸

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2009年 7月 5日(日)22時47分36秒
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  馬杉宗夫氏の『シャルトル大聖堂―ゴシック美術への誘い』(八坂書房,2000年)から、少し引用してみます。(p57以下)

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ジュリアス・シーザーの『ガリア戦記』(前52-前51頃)の中に、「一年間のある時期にガリア(今日のフランス)の中心地と思われているカルヌーテース(carnutes)族の領地の神聖な場所に会合する。争いのあるものは、すべて各地からここに集まって僧侶の裁決を待つ」(近山金次訳)と記されているが、シャルトルの地名は、このカルヌーテースからきているのである。そして、会合に選ばれたこのカルヌーテース族の神聖なる場所こそ、今日大聖堂が建つ所なのである。(中略)

シャルトル大聖堂は、「フランスのアクロポリス」と呼ばれたように、あくまで平らなボース平原の一番高い丘の上に建ち、そこには地下の泉があったのである。(中略)

今日大聖堂が建つ小高い地、そこがキリスト教化される以前のガリア人たちの巡礼の地であった。大聖堂はその上に建てられたにすぎない。そこには、地下の泉があった。人々は自然の恵みを得るため、地下の泉に遠隔の地からやって来た。(中略)

大聖堂外陣南側入口からクリプト(地下聖堂)に入れば、そこは別世界である。シャルトルの古い歴史は、地下に埋没しながらなお生き続けている。冷たい石肌をした大きな石組の一つ一つに、歴史の重みが伝わってくる。霊気がただようような薄暗い空間を右手に進むと、アーチに囲まれた井戸が見えてくる。それが「サン・フォールの井戸」と呼ばれ、ガリア人によって崇拝された泉である。かつて人びとは、この地下の泉に、病気の治癒を求めてやってきた。十七世紀、泉に対する一般の崇拝を嫌った聖職者が、この井戸を埋め立ててしまったが、一九〇一年に再び発見された。四世紀に遡るこの井戸は、地面から三十三メートルにもわたる深さの中に、深い謎を秘めている。
 伝説によれば、シャルトル地方のローマ総督クイリヌスは、最初の教会堂を破壊させたうえ、多くのキリスト教徒を殺し、自分の娘聖女モデスタを含めて、洞窟の近くにあった井戸の中にその屍を投げ込んでしまった。そして、それ以降、この井戸は「聖なる勇者たち(サン・フォール)の井戸」と呼ばれたという。この物語を裏付けるように、北袖廊扉口に立つ聖女モデスタの台座の上には、「サン・フォールの井戸」が表現されているのである。
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>筆綾丸さん
>聖骸布
その記事をエキサイト翻訳でイタリア語から日本語に翻訳したらわけが分からず、次いで英語に翻訳してみて一応理解しましたが、それでも肝心な聖骸布の描き方はわからないですね。

http://www.excite.co.jp/world/italian/
 
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