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高崎五万石騒動

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月24日(月)18時24分25秒
編集済
  小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E8%97%A9#.E9.AB.98.E5.B4.8E.E4.BA.94.E4.B8.87.E7.9F.B3.E9.A8.92.E5.8B.95
「・・・離れ領地たりし銚子の奉行、城下町奉行、勘定奉行等を勤め、藩政に参与した」とありますが、父と高崎五万石騒動との関係について、何か言及はありますか。
高崎藩(大河内松平家)の石高は八万二千石なのに、なぜ五万石騒動と呼ぶのか、という疑問が湧いてきますが、上野国五郡八十九村における「古領の農民は「八公二民」という重い年貢が課せられて」いて、残りの他国の六十八村はもう少し軽い年貢のため一揆には至らなかった、と理解すればいいのでしょうね。同じ藩領内でも地域により年貢の割合は違ったのだ、と。
高崎五万石騒動は英五の生前の出来事ですが、英五に何らかの影響を及ぼした、ということはないのかどうか。人は宗教なぞでは生きていかれぬ、まずは食わねばならぬ、というような。

深井英五はなぜ宗教を棄てて経済を専門としたのか、ということについて、深井智朗氏が何か書いてくれると面白いですね。

蛇足ですが、ご引用文中にある「※」に該当する漢字は、「絜」あるいは「屑」でしょうか。
 
 

深井英五『回顧七十年』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月24日(月)14時45分13秒
編集済
  4月11日の投稿で触れた深井英五(1871-1945)ですが、その晩年の回想録『回顧七十年』(岩波書店、1942)を読んでみたところ、非常に面白いですね。
深井は同志社時代に既にキリスト教に非常に懐疑的になっていて、同志社を出た後、なお信仰の可能性を探るために「普及福音新教伝道会」の新教神学校で学んだものの、結局は棄教します。
そのあたりの事情は『プロテスタンティズム』では分からないようになっていますが、これは深井智朗氏が慎重に配慮しているようにも思えます。
私にとって深井英五は、宗教的観点からだけでなく郷土史的観点からもなかなか興味深い人物なので、『回顧七十年』を少しだけ検討してみたいと思います。
まずは深井英五の文体紹介を兼ねて冒頭の部分を引用します。(p1以下)

-------
第一章 幼少時の環境と心情

 私は上野国高崎に於て、旧藩士深井景忠の第五男として、明治四年十一月二十日に生れた。今、柳川町岡源別館となつて居る門屋敷が出生地である。此の屋敷は私の少時に売払はれ、一家挙げて龍見町の小屋に移つた。
 父の名は新戸籍上では景(したふ)であるが、藩士としての旧名八之丞景忠の方が郷党の間によく知られて居た。旧藩に於ける地位は、本禄百二十石、加禄三十石で、小藩の士としては、中の上に位する家柄であつた。
 父は武芸を主とする家に生れ、尚武の素質が勝つて、殊に弓術に精進し、元治元年高崎潘が幕命によつて武田耕雲斎等の水戸浪士隊と下仁田に戦つたとき、第三番手の隊長として出陣したが、戦闘が早く済んで参加し得ざりしを遺憾としたと云ふ。同時に家の伝統としては珍しく多少の吏才もあつたと見えて、離れ領地たりし銚子の奉行、城下町奉行、勘定奉行等を勤め、藩政に参与した。林子平の海国兵談や、和蘭人風説書などの写本が遺品の中にあるから、時勢の大局にも相当の注意を払つたのであらう。維新の際、東山道鎮撫使の軍が高崎を通過したとき、藩は巨額の軍用金を徴求せられ、到底資力の堪ゆる所でないので大に当惑した。父は其の交渉に当り、若し軍令を十全に充たさゞるの咎を受くるならば、累を藩主に及ぼさゞるやう、死を決して責を一身に負ふの覚悟を定め、事情を説明して妥当なる程度の解決を得た。明治政府の下に於ても、地方に藩政を存続せる間、父は国益御用の名を以て藩の為めに横浜に往来し、生糸の輸出等貿易上の事務を取扱つた。
 明治四年の廃藩置県により旧来の武士階級は一斉に禄と職を失つた。父は其時五十三歳であつたが、爾後全く世間から退隠して細き生計を立て、前代の遺民として固く自ら持した。愚痴も言はず、時事も論ぜず、只 至尊の下、四民平等の世の中になつたのだと云つて、従来の所謂百姓町人に対して直に態度を改め、対等の礼を以て接すると同時に、新時勢の顕官貴人に対して、故なく礼を厚くすることを※としなかつた。又藩政の下に於ては渉外関係に注意して居たにも拘らず、退隠後は西洋嫌ひで押し通し、出来るだけ洋風の新式品の使用を避けた。奇矯と云ふ程には至らなかつたが、聊か常流と異なる所があつた。それは時勢に対する態度を不言の裡に現したのであらう。私に残つて居る最も古い記憶は、旧城が兵営となつて其の通行が全く禁止される前日、父が私の手を引いて其処を歩き、御城内の見納めだと云つて感慨したことである。西郷戦争も私の古い記憶の一つだが、それは稍々後のことであつた。
------

とりあえずここで切ります。
私は遥か昔の高校生の頃、電車で高崎駅を降り、かつての高崎城址・高崎連隊兵営跡の真ん中を通る道を、毎日自転車をギコギコ漕いで通学していましたので、深井英五の父の感慨も少しは理解できそうな感じがします。
「岡源別館」は知りませんでしたが、これは老舗の料亭で、今は廃業してしまっているとか。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000183678

>筆綾丸さん
>後鳥羽院というハンドルネーム

懐かしいですね。
ご引用の文章中、「上皇后」は語感からして珍妙で、ちょっと勘弁してほしいですね。
 

Genealogy

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月23日(日)17時21分4秒
編集済
  私は数年前、他の掲示板で、後鳥羽院というハンドルネームを僭称していたことがあり、退位特例法には若干の関心があるのですが、「天皇退位 有識者会議の報告書全文」(4月22日付日経朝刊8面)を読んで、以下の記述に興味を覚えました。
-------------
「上皇」には、なお院政をイメージするとの意見もあるが、退位後の天皇の称号として定着してきた歴史と、象徴・権威の二重性回避の観点を踏まえ、現行憲法の下において象徴天皇であった方を表す新たな称号として、「上皇」と称することが適当である。
なお、国際的にも、「上皇」の概念が正しく理解されるよう、適切な英訳が定められることが望ましい。(Ⅱの1の(1))

なお、「上皇后」という称号は、歴史上使用されたことがない称号であるため、この称号に込められた意義が国民に正しく理解されるよう努めていく必要がある。また、国際的にも、「上皇后」の概念が正しく理解されるよう、適切な英訳が定められることが望ましい。((Ⅱの1の(2))

これに加えて、「皇嗣」が皇位継承順位第一位の皇族を表すものであることについて国民の理解が深まるよう努めていく必要がある。併せて、国際的にもそのことが正しく理解されるよう、「皇嗣」の英訳について工夫を講じることが適当である。(Ⅵの1)
-------------
http://www.kunaicho.go.jp/e-about/genealogy/koseizu.html
前二者について、ex-Emperor 及び ex-Empress (定冠詞は省略される)以外に適切な訳語があるとは思われないのですが、これでは日本独自の事情は反映できません。報告書の要望は無理な注文ではないか。三番目は、国内では皇太子ではなく皇嗣であるけれども、英訳は無冠詞の普通の Prince ではなくThe Crown Prince とするのがよかろう、ということですね。・・・いずれにせよ、宮内庁の英訳「Genealogy of the Imperial Family」の一部の呼称がどのように変更されるのか、待ちたいと思います。


https://www.shogi.or.jp/shogi-ch/
「藤井聡太四段 炎の七番勝負」の六局中四局を見ましたが、僭越ながら大変な才能であり、十代の名人(高校生名人?)が誕生するような気がしてきました。生きているうちに、羽生さん以上の才能を見ることはあるまいと思っていたのですが。なお、今期の名人戦は第二局まで進みましたが、素人にはなんともつまらない将棋で、退屈しました。
追記
最終局でも、学生服姿の中学生が羽生三冠を破りましたね。
 

そろそろ再開します。

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月23日(日)11時29分5秒
  一週間経ちましたので、そろそろ本格的に掲示板投稿を再開します。
東京だと火葬場が予約できなくて葬儀が死亡から一週間以上先になってしまうようなこともあると聞きましたが、田舎なので葬儀自体は速やかに終えることができ、死去に伴う事務的な手続きも殆ど済みました。
父親は特に信仰を持たない人で、菩提寺との関係も稀薄だったのですが、葬儀となるとやはりお坊さんに頼るしかなく、これからも暫くは地元の慣習に従った仏事を淡々と進めることになりそうです。
ま、そうした慣習任せのやり方が一番心が落ち着く感じもします。
葬儀の席で久しぶりに親戚に会うと、容貌はもちろん、話し方や仕草がひとつ前の世代の、今はもう亡くなってしまった人たちにそっくりだったりして、血の繋がりの不思議さを感じました。
上州の風土もあって私の祖先・一族には格別に宗教に熱心な人はおらず、また不思議なほど軍人が少ないのですが、そうした環境の影響は、現在の自分の思想を形成する上で、自分が自覚していた以上に大きかったのかもしれない、などと思ったりもしました。

「コクソウバ」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5229
「山種美術館」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4874

>筆綾丸さん
>キラーカーンさん
ありがとうございます。
ツイッターの方は直ぐに再開したのですが、掲示板は少し慎重になってしまいました。
退位特例法にも若干の興味はありますが、深井智朗氏の著書への感想等を先に書く予定なので、退位特例法関係は暫くロムに徹します。
 

シュレーディンガーの雌猫の half pregnant について

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月20日(木)15時52分45秒
編集済
  キラーカーンさん
法律に詳しい官僚のチェックを受けて、骨子案がどのような法案に化けるのか、楽しみに待ちたいと思います。

無敵艦隊の航路について、政府(防衛省)はアメリカから連絡を受けて知っていたはずですが(中国も偵察機で把握していたと思いますが)、とんだ茶番劇でしたね。
メディアの発達したこの時代であっても、国民を騙すのは赤子の手を捻るように容易く、日本のメディアは自分たちでは何も確認せずにアメリカの発表を垂れ流しているだけだ、というのが、今回の唯一の教訓ですね。昔の大本営発表と同じレベルじゃないか、とは言いませんが。

https://www.englishforums.com/English/YouCantBeHalfPregnant/cmrrv/post.htm
元自衛隊幹部の、「繰り返すが北朝鮮はシリアとは違い、「ちょっとだけ攻撃」という「Half Pregnant」はあり得ない。」は不正確な言い方で、これでは、「ちょっとだけ攻撃」=「ちょっとだけ妊娠」になってしまいます。 half pregnant 自体があり得ないのであって、to be or not to be は論理的に可能だが、to be and not to be は論理的に不可能だ、というだけのことですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB
「シュレーディンガーの猫」では、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っている、と解釈されるので、half pregnant も量子力学的にはあり得るのかもしれませんが。


追記
https://www.washingtonpost.com/news/checkpoint/wp/2017/04/19/trump-administration-defends-how-it-described-ship-movements-amid-north-korean-tensions/?hpid=hp_hp-top-table-main_cp-shipmovements-620pm%3Ahomepage%2Fstory&utm_term=.1cef15a13168
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC7%E8%89%A6%E9%9A%8A_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8D)
このワシントン・ポストの記事を読んでも、無敵艦隊の航路の事情はよくわかりませんが、それはさておき、末尾に
---------------
Officials say that the ship, which gained notoriety in 2011 when U.S. officials used it to give al-Qaeda founder Osama bin Laden a burial at sea, is now headed north after completing its Indian Ocean maneuvers.
---------------
とあって、殺害したビン・ラデンの水葬を担当したのは、第七艦隊の守備範囲である西インド洋のぎりぎりまで出張っていた空母カール・ヴィンソンだったことになりますね。『ホームランド』というドラマでは、司祭がコーランらしき一節を唱えた後に、ヘリコプターで空輸した遺骸を水葬に付してましたが、船は巡洋艦クラスでした。
 

色々

 投稿者:キラーカーン  投稿日:2017年 4月19日(水)23時31分11秒
編集済
  >>父が亡くなり
私は幸運にも両親とも健在ですが、お悔やみ申し上げます。

>>特例法の骨子案全文
ネットで全文が見られませんので筆綾丸さんの書き込みからの推測ですが

骨子は有識者サイドでの「たたき台」であって、官僚(内閣官房或いは宮内庁)の手が入っていない。

という印象を受けます。理由としては
1 用語の使い分けがされていない
 (現行皇室典範でも、「皇孫」が当今の皇孫(第6条)と単に「二世親王」を指す(第8条)用法が混ざっている)
 →「ひげの殿下」を長兄とする三笠宮三兄弟は「当今の皇孫」であったことはありませんが、
  先帝陛下(当時)の皇孫の資格で二世親王となっています

2 敬語が多い

>>内閣法制局の精査
これはまだすんでいないと思います。
今回の特例法は、「長い法律」ではないので、内閣法制局の審査が終わっていれば
「骨子全文」ではなく、「法案全文」の公表となる可能性が高いです。


>>無敵艦隊
翻訳を巡って「a」か「the」かという面白い議論を見せてもらいました。
もし、本当に北朝鮮を叩くのであれば、38度線に配備している北朝鮮軍とソウルとの位置関係から
圧倒的火力による奇襲作戦を強いられるはずです
(第一激に失敗してソウルを火の海にするリスクは避けたい)
ので、現在は「ブラフの段階」だろうと思います。
もし、本当に北朝鮮を叩くなら、直前は「嵐の前の静けさ」となると予想します
元航空自衛隊高官の
「今すぐ北朝鮮攻撃はない、浮き足立たず有事に備えよ」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49767
という見立てが現時点では一番穏当かなと思います。
 

一国民の違和感

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月19日(水)14時24分50秒
編集済
  http://www.nikkei.com/article/DGXLZO15475930Z10C17A4EA2000/
退位特例法の骨子案全文(本日の日経4面)を読み、奇異な印象を受けたので、少し書きます。
法案は全3条から成り、第3条第1項までがいわば総論で、第2項以下が各論です。総論では天皇の呼称は天皇陛下と天皇の二様ですが、各論では第2項を除き、天皇のみになっています。
日経の説明では、ここでいう天皇陛下とは今上陛下のみを指す、とのことなので、特例法の正式名称「天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法」における「天皇陛下」は今上陛下のみを意味し、各論における天皇との整合性はどうなるのか、疑問を抱きます。総論における天皇陛下(なお、総論中にも天皇の用語は一つある)と各論における天皇は同じではないから、きちんと読み分けなければならないのですが、同一の法律の文言として論理的な問題は生じないものなのかどうか。
皇室典範と比較すれば、よくわかりますが、骨子案には敬語が非常に多く、日本の法体系の中で、おそらく異例の文体と云うべきでしょうね。条文中に敬語を使うのは、法の性質からして妥当なのか。接頭語「御」の多用もさることながら、動詞・助動詞にまで尊敬語を使うのは、これが法だということを考えれば、やはり奇妙な感じがします。
第3条第1項③号は、「さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること」で、殿下はさておき、条文中に57歳という具体的な年齢があるのも驚きですが、「おられる」が尊敬語でないことは、文法的に自明のはずなんですがね。
なお、第3条2項の後に、〇として、「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。」とあり、たんに私の無知にすぎませんが、「日限り」という言葉はこんな風に使うものなんですか。
骨子案は日本語として、とても異様な感じがしましたが、内閣法制局の精査は済んでいるのでしょうか。
補遺
「天皇陛下が、・・・83歳と御高齢になられ」(第3条1項①号)や「・・・皇太子殿下は、57歳となられ」(同③号)ですが、代わりに諱を使えば済むことで、その方が客観的な法の表現として相応しい気がします。


http://www.bbc.com/news/world-asia-39638012
無敵艦隊の行方ですが、BBCによれば、北北西に進路は取るな(朝鮮半島は避けよ)、ですね。
もしかすると、この報道は囮であって、これを見た独裁者が安心して核実験などをすれば、待ってました、とばかりに一気に叩くという戦略なのか。
 

Toutes mes condoléances.

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月19日(水)12時03分8秒
  小太郎さん
私の父も心筋梗塞で亡くなりました。お悔やみ申し上げます。
 

父の死

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月18日(火)07時59分47秒
編集済
  15日(土)に父が亡くなり、昨日17日(月)が葬儀でした。
89歳の父は週二回、近くの介護老人保健施設でのデイサービス(通所介護)に通っており、15日の朝も施設の巡回マイクロバスに乗って、ごく普通に出かけて行きました。
暫くして施設から、父が気分が悪いと訴え、顔色も悪くなったという連絡があったのですが、それも別に緊急事態を知らせるといった性質のものではなく、併設の医療クリニックに行くと施設の規則で早退扱いになって巡回マイクロバスで送れなくなりますが、どうしますか、といったひどくのんびりしたものでした。
私は自分の車で迎えに行くので早く医者に診てもらいたいと依頼したところ、暫くしてクリニックの看護婦から来てほしいとの電話があり、それほど急ぐこともなく行ったところ、父は医師・看護婦の質問にはそれなりに応えており、私は単なる体調不良だと思って特に懸念は感じませんでした。
クリニックの医師は、特段の異常はないように思うが、高齢なので近くの地域総合病院へ検査に行った方がよいと言ったのですが、それも明確な指示ではなく、私が父を車に乗せて行くか、それとも救急車を依頼するかという、これまた後から思えばずいぶんのんびりしたやりとりが続きました。
途中で何かあっても困るので、私は救急車での移送を依頼し、自分は先に地域総合病院へ行って待っていたところ、やがて父が救急車で運ばれてきて、救急担当医師の診察を受けました。
この時点でも父は医師・看護師とそれなりのやりとりをすることが可能な状態で、私は最初の医師から、後から思えばあまり正確とは思えない説明を受けて一安心したのですが、検査の結果、別の若い医師から緊急の手術が必要との説明を受けました。
その後は非常に慌ただしい展開となり、大勢の看護婦さんが集まって手術の準備作業に取り掛かり、少し離れた手術室へ向かうときは歩くのではなく、ストレッチャーを押して走って行くような状況でした。
私が廊下に置かれた長椅子で暫く待っていると、若い医師から「緊急心臓カテーテル検査・緊急経皮的冠動脈形成術同意書」へのサインを求められ、サインしました。
そして若い医師から渡された「急性心筋梗塞、不安定狭心症(急性冠症候群)説明書」というのを読みつつ、暫く待っていたところ、再び若い医師が来て、三本の冠動脈のうち詰まった一本への手術は行ったが、他の二本も「ボロボロ」(医師の表現)の状態で、心臓の機能が非常に弱っており、既に時間の問題との説明を受け、茫然としました。
その後、入院患者用病室への移動につきそいましたが、病室では看護婦から親族を呼んだ方が良いと言われ、自宅まで戻って母に事情を説明し、午後3時頃病室に戻りました。
その時点で、父の心臓は既に自力での動きを止め、親族の到着まで人工的に動かしていただけのようであり、母が医師から説明を受けて間もなく、午後3時10分に臨終を告げられました。
朝方、普通に出かけた父が午後3時過ぎに臨終という、本当に慌ただしい一日でした。
急性心筋梗塞というと胸に激痛が走るようなイメージがあったのですが、父は高齢である上に長く糖尿病を患っており、高齢者・糖尿病患者の場合は痛みが明確に出ない場合があるそうです。
ただ、それにしても父が気分の悪さを訴えた時点で直ぐに救急病院へ連れて行ってもらえたら、あるいは助かったのではないか、という思いはぬぐえません。
臨終を告げられた後、葬儀社の手配をし、17日(月)に家族・親族中心でこじんまりとした葬儀を行いましたが、父が町の功労者表彰を受けていたために町長と町議会議長が来られ、町長には弔辞を読んでもらいました。
家業よりも公的活動が好きだった父にとっては良いはなむけになったようにも思います。

掲示板は明後日あたりから再開します。
 

ご連絡

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月15日(土)20時29分21秒
  身内に不幸があり、掲示板投稿は暫く休ませていただきます。  

閑話

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月15日(土)00時39分49秒
  小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92
ご引用の文にある「バルト」は、ロラン・バルトではおかしいな、と思いましたが、カール・バルトのことなんですね。


http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/02/102419.html
何の脈絡もなくて恐縮ですが、本川達雄氏『ウニはすごい バッタもすごいーデザインの生物学』に次のような記述があって、一風変わった食べ方にはびっくりさせられますね。
------------
オニヒトデは差し渡しが六〇センチメートルにもなる大形のヒトデで、サンゴの数少ない天敵である。胃を口から反転して吐きだし、サンゴに押しつけて消化液をふりかけ、溶かして吸収してしまう。(24頁~)
------------
 

ラインホールド・ニーバーが浅薄?

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月14日(金)13時03分26秒
編集済
  ドイツからは暫く離れようと思って、深井智朗氏の著作もまとめて図書館に返却する準備をしていたのですが、その前に何気なく『パウル・ティリヒ「多く赦された者」の神学』(岩波現代全書、2016)を眺めていたら、深井氏がラインホールド・ニーバーについて、

------
 このような自己演出を真に受けてティリヒの思想を紹介したのは、ユニオン神学校の同僚であったラインホールド・ニーバーで、彼は次のようにティリヒを紹介した。「ティリヒの偉大さは、形而上学と神学との境界領域を探求したことにある。この『綱渡り』にも似た困難な作業は、平衡を失って、どちらかの側に墜落するという危険なしには、遂行できないものである。バルトは自分の平衡能力に自信が持てないために、綱に近付くことを拒否しているが、ティリヒは非常な熟練をもってそれを成し遂げた。ただ時々そこから落ちていないわけではない。そうした失敗は、自分ではこの種の作業をする才能をまったく有しない平凡な歩行者には気になることかもしれない」(Niebuhr 1952:226)。
 しかし、もしニーバーが本気でティリヒがこのような意味での境界線上で仕事をしていたと考えているのであれば、彼の人間論はますます浅薄な議論に見えてくる。ティリヒはニーバーが言うような意味で境界線上で仕事をする決意などしていない。【後略】
------

と言っているのを見つけ(p258)、ちょっと妙な感じがしました。
深井氏は大木英夫氏とともにニーバーの「The Irony of American History」を翻訳されていて(『アメリカ史のアイロニー』、聖学院大学出版会、2002)、私は単純に非常に優れた本だなと思ったのですが、「彼の人間論はますます浅薄な議論に見えてくる」と述べる深井氏は、仮にニーバーのティリヒに対する誤解がなかったとしても、ニーバーの人間論を「浅薄な議論」と考えているようですね。
パウル・ティリヒは聴衆に深い感動を与える天才的な説教師としての社会的活動の裏で、常に複数の愛人を持ち、酒乱で、高級ワインとSM趣味に湯水のように金を注ぎ込んだ人格破綻者ですから、まあ一種の詐欺師のようなもので、ニーバーが若干の誤解をしたことはやむを得ない感じがしますが、ニーバーの人間論自体がおよそ「浅薄な議論」だなどとは私にはとうてい思えず、そのように感じるのであれば、むしろ深井氏の方が「浅薄な人間」なのではないかと思われるほどです。
少し検討してみるつもりです。

Reinhold Niebuhr(1892-1971)
https://en.wikipedia.org/wiki/Reinhold_Niebuhr

>筆綾丸さん
>長野県飯山市
私も知りませんでしたが、飯山は経済産業大臣の「伝統的工芸品産地指定」を受けた15仏壇産地の一角を占めているそうです。
仏壇産地はやはり浄土真宗の強い土地が多いようですね。

http://butsudan-prem.com/production/
 

Oh my Buddha !

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月13日(木)15時33分23秒
編集済
  小太郎さん
BBCの記事には、
-------------
The first explosion in Tanta, 95km (60 miles) north of Cairo, took place near the altar of the church.
-------------
タンタのコプト教会の爆発は祭壇近くで起きた、とあります。(some people had half of their bodies missing という惨状は、見たくないですね)

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/japanologyplus/program-20170404.html
バラカンさんの「Japanology plus」は、録画でよく見ますが、前回は仏壇がテーマでした。
長野県飯山市は仏壇製造で有名だそうですが(初めて知りました)、Buddhist Altars として紹介されていました。キリスト教圏では altar は教会にしかないので、神社の altar はともかくとして、仏閣のほかに各家庭に altar が存在するというのは、かなり奇異な印象を与えるのだろうな、と思いました。複数形 Altars は、そんな事情を暗示しているのかもしれません。
(放送にはありませんが、解説文には神棚への言及もありますね。壇と棚の相違は難しいらしく、説明はありません。また、仏壇のはしりのひとつは法隆寺の玉虫厨子だ、とありますが、うーむ、そうなのか・・・)
バラカンさんが、細工師の繊細な作業をみて、Oh my Buddha とは言わずに(当たり前ですが)、Oh my God と感嘆の声を上げたときは、思わず笑ってしまいました。
NHKの番組は、日本人向けのものは低俗なものが多いのですが、外国人向けのものには時々優れたものがあって、日本人にはこの程度でいいんじゃないの、とNHKは考えているのかもしれず、それはそれで、中らずと雖も遠からず、と言ったところなのかもしれません。
 

鴎外の「序文」代筆の先行例?

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月13日(木)11時10分31秒
編集済
  >筆綾丸さん
コプト教は宗教芸術の面でも独自の優れた伝統を有していますね。
素朴な味わいのある絵画や刺繍など、私はけっこう好きです。

『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』の深井氏による「解題」で、前回紹介した部分の少し後ろに、

------
 またこの新教神学校の学生であった赤司繁太郎は、在学中にシュピナーの影響でレッシングを読むようになり、一八九二年三月三日に東京の一二三館より『独逸文学の大家 烈真具』を刊行している。その時赤司は一九歳であった。ところでこの小さな書物に序文を書き、その内容を高く評価したのは一八八八年にドイツ留学から戻った森鴎外であった。鴎外はその頃『しがらみ草紙』に「戯曲折薔薇」というタイトルでレッシングの「エミーリア・ガロッティ」を翻訳し、さらに「レッシングが事を記す」と題する解説をも掲載していた。両者がどのようにして知り合ったのかは今日なお不明であるが、新教神学校の場所が、鴎外がかつて一〇代で上京しドイツ語を習った進文学社の近くであり、そこがドイツの最先端の哲学や神学を教える学校であり、彼がしばしばこの場所に出入りしていたことを考えるならば、二人の出会いは不自然なことではない。赤司と鴎外の交流は生涯続いた。
------

とありますが(p275以下)、これを読むと筆綾丸さんが以前紹介された田中耕太郎によるキューゲルゲン『一老人の幼時の追憶』の「序文」代筆を思い出してしまいますね。
深井氏は赤司繁太郎と鴎外の「両者がどのようにして知り合ったのかは今日なお不明」と書かれていますが、血気盛んな赤司が自著を鴎外に持参して序文を書いてくれと依頼したところ、<鷗外は快よく承諾してくれたが、その文章はそちらで書くようにとのことであつた>可能性も高そうです。
赤司は1862年生まれの鴎外より11歳年下ですね。

赤司繁太郎(1873-1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%8F%B8%E7%B9%81%E5%A4%AA%E9%83%8E

鷗外の序文を代筆した男(筆綾丸さん)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8035
尾高朝雄と田中耕太郎
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8036
 

残念ながら

 投稿者:キラーカーン  投稿日:2017年 4月11日(火)23時15分58秒
  >>深井氏の『プロテスタンティズム』は読まれましたか?

詠んでないです
 

Palm Sunday

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月11日(火)15時47分53秒
  小太郎さん
深井智朗牧師の誕生の背景には、深井英五が学んだ同志社の影響があるのでしょうね。
「父の八二歳の誕生日に」(あとがき)とありますが、ご尊父も牧師かもしれないですね。

キラーカーンさん
ラテン語の「cuius regio,eius religio」などを踏まえつつ、新プロテスタンティズムと古プロテスタンティズムに関するトレルチ説の紹介がありますが、深井氏の『プロテスタンティズム』は読まれましたか?


http://www.bbc.com/news/world-middle-east-39544451
https://en.wikipedia.org/wiki/Anba_Angaelos
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9E%9D%E7%A5%AD
--------------
In the UK, the General Bishop of the Coptic Orthodox Church, Bishop Angaelos, condemned the "senseless and heartless brutality" of the attacks.
--------------
BBC によれば、英国にもコプト正教会があるのですね。
 

「ドイツ普及福音伝道会」と深井英五

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月11日(火)11時52分14秒
編集済
  ふー。
やっと平熱に戻りました。
深井智朗牧師の案内に従ってドイツ宗教思想界をほんの少し偵察飛行しただけなのに、掲示板投稿のペースが一気にスローダウンしたばかりか、ルター派プロテスタンティズムの生真面目沼から濛々と立ち昇る瘴気にあてられて熱まで出す事態となり、自分はやはりドイツとは相性が良くないな、と思っています。
備忘録としてもう少しだけ投稿した後、ドイツから離れるつもりです。

深井智朗牧師
http://www.toyoeiwa.ac.jp/topics/20160627152331.html
http://saitamack.m26.coreserver.jp/hoko16/shinnen16/shinnen16.htm

エルンスト・トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』(深井智朗訳、春秋社、2015)の深井氏による「解題」に「ドイツ普及福音伝道会」とドイツ人宣教師シュピナーに触れて、

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 彼らはこう主張していた。「従来の伝道では異教の人々をキリスト教に改宗させようとするに急であり、しかも、そこには宗派独自の世界観が介在していた。〔しかしこのような考えは改められるべきであり〕不純物をとり去ってイエス・キリストの宗教に立ち返って伝道しなければならない。」そして「キリスト教とキリスト教の文化を非キリスト教諸民族に、それら諸民族の中に既に存在している真理契機と関連させながら広める」ことこそを目ざさねばならない。そのため、普及福音新教伝道会は、まずシュピナーの自宅でこの新教神学校を設立したのである。この学校で教えられていたのは同時のドイツの大学神学のカリキュラムとほぼ同じもので、規模は小さいが優れた教育を行った。
 一八九一年に行われた新校舎の落成式には東京帝国大学の総長であった加藤弘之が招かれ「新教神学校の課程を見ると、帝国大学文科大学に一人の姉妹を得たような気がして誠に喜ばしい」と祝辞を述べた程である。
 第一三代日本銀行総裁となり、戦時中は枢密顧問官であった深井英五はこの学校の学生であったが、彼は当時の教育について次にように回顧している。「〔オットー・シュミーデル〕先生から学んだ研究方法は其の後種々の方面に応用することが出来ました。文書の背景及び含蓄に慎重の注意を払う習慣は、先生に負う所が多いと今に思って居ます。マルクスの著作の訓話や、外交文書の取扱、契約の作成援用などにも効果的です。」
-------

とあります。(p273以下)
深井氏は何も書いていませんが、これを読んで私は深井氏は深井英五のご子孫じゃないかな、とチラッと思いました。
ま、だからどうした、と言われればそれまでの話なのですが、深井英五は群馬県高崎市出身の人なので、郷土史的な興味が少しあります。

深井英五(1871-1945)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E8%8B%B1%E4%BA%94

>筆綾丸さん
>トランプ大統領の神
『プロテスタンティズム』の「参考文献一覧」に載っている森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ、1996)を読んで、トランプの God をどうとらえるかについて以前の考え方を少し変えました。
後で書きます。

トランプは「なんちゃってクリスチャン」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8757
 

???

 投稿者:キラーカーン  投稿日:2017年 4月10日(月)23時10分48秒
  >>Religionsgemeinschaft と Religionsgesellchaft

アタマに「宗教(Religion)」が付いているので、それを外すと
日本語では、「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」なので、
それと「新旧」がどのように結びつくのか興味があります。
 

レオナルド

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 9日(日)14時43分56秒
編集済
  http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/03/102425.html
斎藤泰弘氏の『ダ・ヴィンチ絵画の謎』は面白い本です。フロイトも登場します(102頁~)。

付録
ドイツ語の辞書を引くと、Religionsgemeinschaft と Religionsgesellschaft と二つあって、どちらも宗教団体と訳されているため相違がわかりませんが、前者が古プロテスタントの宗教団体、後者が新プロテスタントの宗教団体ということなんでしょうかね。
 

ご連絡

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月 9日(日)13時02分57秒
  >筆綾丸さん
風邪をひいてしまって、次の投稿が遅くなります。
 

トランプ大統領の神

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 7日(金)16時29分43秒
  https://www.washingtonpost.com/world/national-security/trump-weighing-military-options-following-chemical-weapons-attack-in-syria/2017/04/06/0c59603a-1ae8-11e7-9887-1a5314b56a08_story.html?hpid=hp_hp-top-table-main_syria-315pm%3Ahomepage%2Fstory&utm_term=.69850bf7ec2c

深井氏は、オバマの大統領就任演説に出て来る神を指して、「この神は何であろうか。・・・キリスト教に限りなく似ているがキリスト教の神ではない」(194頁)と云われますが、トランプ大統領がシリア攻撃に関して、
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“We ask for God’s wisdom as we face the challenge of our very troubled world,” he continued. “We pray for the lives of the wounded and for the souls of those who have passed and we hope that as long as America stands for justice then peace and harmony will in the end prevail.”(13行目以下)
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と云うときの God とは、どのような神なのでしょうね。
 

おかぐら「宗教改革」(メンデルスゾーン作曲)

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 7日(金)14時36分53秒
編集済
  小太郎さん
等族に相当する独語は Ordung で、中国語は等級と訳しているのですね。

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・・・改宗しないユダヤ人を厳しい言葉で批判した。
ルターの言説を単純に擁護はできないであろう。そして重要な点は、これが明らかにルターの主張であり、なおかつナチスに利用されたことである。当時の人々はルターの言葉の政治的利用にあまり違和感を持たず、受け入れた。(140頁)
-----------
この後にルター作曲「神はわがやぐら」の話が続きますが、熱心なルター派信者でユダヤ人のメンデルスゾーンが作曲した「交響曲第5番 宗教改革」をルターが聞いたら、どんな感想を抱いたことだろう、と思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=otcrnrQAwD8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3)

「神はわがやぐら」の原文は「Ein feste Burg ist unser Gott」で、「やぐら」は feste Burg の訳なんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E3%82%8F%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%90%E3%82%89
https://www.youtube.com/watch?v=xG5v-dnat-U


「宗教市場」ですが、これはアメリカを踏まえての用語のようですね(178頁~)。
 

『ヴァイマールの聖なる政治的精神─ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月 7日(金)10時34分34秒
編集済
  『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』第6章で、深井氏は森鴎外の「かのやうに」に触れた後、「一八七一年のドイツの統一とプロテスタンティズム」についての説明に移りますが、ここも本書の中で非常に重要な部分ですね。
ただ、この内容は深井氏の『ヴァイマールの聖なる政治的精神─ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012)の「プロローグ 聖なる政治的精神─近代ドイツ・プロテスタンティズムの二つの政治神学」を若干簡略化したものなので、後者から少し引用しておきます。(p2以下)

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1 一八七一年の政治神学

 「遅れていた大国」ドイツが一八七一年に悲願の統一を果たした際、この新しく生まれた帝国〔ライヒ〕は、統一国家としてのグランドデザインを、プロイセンの宗教としてのドイツ・ルター派の神学者たちの政治神学に期待し、託した。すなわちドイツ・ルター派は、いくつもの領邦〔ラント〕を統一して誕生した帝国を精神的にも統一するためのナショナル・アイデンティティーの設計と、この統一の政治的道徳性を証明するための政治神学の構築を任されたのである。それ故に、一八七一年の新国家成立をプロテスタント的な出来事であると解釈する「政治神学」の登場は、プロテスタンティズムの陣営の独善的な主張であっただけではなく、それは同時に政治的要請であった。
 わが国の研究ではそれほど注目されてこなかったが、一八七一年の政治的事件を、人々はむしろ好んで「神学的に」解釈していたのである。たとえば新しく誕生した帝国は、同じドイツ語圏であるオーストリアを排除し、フランスとの戦争に勝利することによって成立したが、ドイツ・ルター派の神学者たちは、「小ドイツ主義」を主張したドイツ国民協会寄りのリベラリストを援助して、新しい帝国はカトリック国であるオーストリアと、「一七八九年の理念」(すなわちフランス革命)を体現する不道徳で宗教的な正統性も持たないフランスを打ち破って成立したのだと主張し、彼らの政治的プログラムのために有効な援護射撃をすることができたし、そのための努力を惜しまなかった。それは「政治神学」という名の「国家神学」でもあった。
-------

ということで、オーストリア排除を合理化し、フランス・イギリスに対抗できる理念として「ドイツ的なもの」の淵源が探求され、ルターと宗教改革が見出される訳ですね。
上記部分の少し後を更に引用してみます。(p3以下)

------
 ヴィルヘルム二世の時代に彼の正枢密顧問官となったこの時代の代表的なルター派神学者であるアドルフ・フォン・ハルナックは、帝国のナショナル・アイデンティティー創りに苦労していたリベラル・ナショナリストたちに対して「一七世紀のピューリタン革命より、一八世紀のフランス革命よりも早く近代的自由を主張したマルティン・ルターの宗教改革」という政治神学を提供したのである。人々はこのような政治神学に特別な違和感を持つこともなく、むしろその中に政治的妥当性を見出すようになっていた。つまりこの時代、マルティン・ルターとその宗教改革の精神は、神学的にというよりは、政治的に再発見されるのである。そして神学とドイツ・ルター派は、このようなルターの政治的利用を裏付けるために、宗教改革とマルティン・ルターの研究を急遽再開し、その研究を政治的な言語に再構築したのである。この時代のルター研究の復興は決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった。そこで政治的に再発見されたルターは、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。このような社会史的な視点なしには、この時代に急増したルター研究の意図を正しく理解することはできないであろう。
------

このあたりの説明で「かのやうに」に登場するハルナックの位置づけが明確になってきますが、興味深いのはハルナックが決して伝統的なルター派エリートではなく、むしろ地域的には周辺、というか辺境から出てくることですね。
少し長くなったので、ここでいったん切ります。

Adolf von Harnack(1851-1930)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF

>筆綾丸さん
いえいえ、筆綾丸さんにきっかけを作っていただいたおかげです。

>「等族」
私もドイツ史に疎いので手探りでいろいろ当たっている状況ですが、「等族」は西欧史の世界では定着した訳語のようですね。

等族国家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E6%97%8F%E5%9B%BD%E5%AE%B6
 

花見

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 6日(木)16時03分22秒
編集済
  小太郎さん
深井智朗氏『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』は、ご指摘のとおり、優れた書ですね。勉強になりました。(なお、前の投稿において、Luthers は Luther の間違いです)

ご引用の少しあとに、
----------
「古プロテスタンティズム」の場合には、国家、あるいは一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、「新プロテスタンティズム」は宗教市場の民営化や自由化を前提にしているという点である。(112頁)
----------
とありますが、「宗教市場」という語に若干の違和感を覚えました。ドイツ人研究者の間では Religionsmarkt という形で、ごく普通に用いられているものなのかどうか。また、「帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)」(40頁)の「等族」は、日本語として変な感じがしました。

ルターの破門(1521年1月3日付)について、「この破門は今日にいたるまで解かれていない」(64頁)とありますが、もし破門が解かれることにでもなれば、ドイツ人には大事件になるかもしれないですね。


昨夜、遅くまで花見をしていて、風邪をひきました。
一片花飛減却春   杜甫
 

「宗教改革は中世に属する」(by エルンスト・トレルチ)

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月 6日(木)12時20分5秒
編集済
  深井智朗氏『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』の一番基本的な構図は筆綾丸さんが言及された「古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムというトレルチの分類」なので、参照の便宜のために少し引用しておきます。(p106以下)

------
二つのプロテスタンティズム

 初期の宗教改革運動も多様な宗派を生み出した。ただ、それらルターやカルヴィンなどの思想と洗礼主義の改革は、かなり異なった性格を持っている。その意味では二つのプロテスタンティズムがあると言ってよい。
 この点に注目したのが、一九世紀末から二〇世紀初頭のドイツで活躍した神学者エルンスト・トレルチ(一八六五~一九二三)や、社会学者マックス・ヴェーバーであった。彼らはこの洗礼主義をはじめとする、宗教改革者たちに批判され、排除され、迫害さえされた改革者に注目したのである。エルンスト・トレルチはそれを「新プロテスタンティズム」と呼んで、宗教改革の時代のプロテスタンティズムと区別した。こうした分類には、どちらにも当てはまらないような、いわば歴史現象の「字余り」の部分を軽視しているという批判がなされている。一九世紀末に比べて、今日における洗礼主義の歴史研究が飛躍的に発展していることを踏まえると当然のことである。それにもかかわらず、この区分は、宗教改革が生み出した二つのプロテスタンティズムの姿を概観するためには、今日なお有効でわかりやすい交通整理であろう。そこでトレルチの分類に基本的には従いながら、現代までのプロテスタンティズムの潮流を追うことにしよう。
------

エルンスト・トレルチはマックス・ウェーバー(1864-1920)の一年後に生まれ、四年後に亡くなっていますから、全くの同時代人ですね。

Ernst Troeltsch
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Troeltsch

深井氏はトレルチの区分への批判を重々承知の上で、「宗教改革が生み出した二つのプロテスタンティズムの姿を概観するためには、今日なお有効でわかりやすい交通整理」として、この分類に従う訳ですね。
もう少し引用を続けます。

-------
 トレルチの有名な命題は、「宗教改革は中世に属する」というものである。ルター派もジュネーブのカルヴァンの改革もそれは基本的に中世に属し、「宗教改革」という言い方にもかかわらず、教会の制度に関しては社会史的に見ればカトリックとそれほど変わらないのだという。なぜならそこでは宗教は宮廷や一つの政治的領域の支配者のものであり、改革も政治主導で行われる点では中世と変わっていないからである。
 また宗教の決定権は個人にはなく、政治を司る王や政府に与えられている。トレルチはこれを「古プロテスタンティズム」と呼んだ。古プロテスタンティズムと言っても、すでに古くなり、消滅したプロテスタンティズムの意味ではない。一五五五年のアウクスブルクの宗教平和の決定によって、帝国の宗教の一つとしての法的地位をまがりなりにも認められたプロテスタンティズムは、領主が選択可能な帝国の宗教の一つとなり、体制化して保守勢力の一つとなった。領主と協力して領内の宗教を統一し、社会に秩序観や道徳を提供するシステムとなったのである。その点から見れば、ルター派はカトリックと同じシステムなのだ。そのようなプロテスタント、とくにルター派の形態を「古プロテスタンティズム」と考えたのだ。「古プロテスタンティズム」は、「新プロテスタンティズム」と並行して存在するプロテスタンティズムの類型の一つである。
 プロテスタンティズムは、宗教改革からスタートし、古い社会システムを破壊して信じる自由を主張したので、近代世界の成立に寄与したというイメージがつきまとう。しかし、古プロテスタンティズムは、近代世界の成立に何らかの寄与をしたと言われる洗礼主義のような勢力の敵であり抑圧者であった。
 近代世界の成立との関連で論じられ、近代のさまざまな自由思想、人権、抵抗権、良心の自由、デモクラシーの形成に寄与した、あるいはその担い手となったと言われているのは、カトリックやルター派、カルヴィニズムなど政治システムと結びついた教会にいじめ抜かれ、排除され、迫害を受けてきたさまざまな洗礼主義、そして神秘主義的スピリチュアリスムス、人文主義的な神学者であったとするのがトレルチの主張である。【後略】
-------

ここだけ読むと、ホントかな、という感じもするのですが、「第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム」を読み進めるに従い、確かに「今日なお有効でわかりやすい交通整理」だなあと思えてきます。
なお、第6章の冒頭には「森鴎外が見た保守的プロテスタンティズム」として「かのように」が紹介されています。(p126以下)

>筆綾丸さん
一覧表を見て「チャリン」と「ヂャリン」の違いには気づいたのですが、ケアレスミスかと思っていました。
なるほど単数・複数の使い分けですか。
翻訳には何か出典があるのか、それとも独自研究なのかを知りたくて PONSEXCELSVS 氏のブログを眺めてみましたが、グルメ記事が大半のようで、プロフィールにも特別な記述はなく、どんな人か全然分からないですね。
 

Luthers とは俺のことかと Luter 言い

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 5日(水)16時47分44秒
編集済
  小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。
27条の「nummus in cistam tinnierit」と28条の「nummo in cistam tinniente」のところですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Nummus
https://it.wikipedia.org/wiki/Nummo
ラテン語では、単数形は nummus で複数形は nummi、現代のイタリア語では、単数形は nummo で複数形は nummi ですから、28条の「nummo in cistam tinniente」は「nummi in cistam tinniente」の誤記かもしれないですね。
27条の単数形 nummus は animam(魂)に対応し、28条の複数形 nummi は questum et avariciam(強欲と貪欲)に対応し、したがって、前者は「チャリン」という単数っぽい擬音語に、後者は「ヂャリン」という複数っぽい擬音語に、細かく訳し分けられているようですね。

「宗教改革を説明する木版画」(69頁)では、ルターの表記は Luter で、現代では Luthers ですが、なぜ Luter が Luthers になったのか、どうでもいいようなことながら、興味を覚えました。

古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムというトレルチの分類は、わかりやすいですね。(107頁~)
 

「ちゃりん」は27・28条?

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月 4日(火)20時53分34秒
  >筆綾丸さん
森田安一氏の『ルターの首引き猫─木版画で読む宗教改革』(山川出版社、1993)を見たら、第27条に「ちゃりん」があるような書き方をしていました。
そこでラテン語版を見ると、

27. Hominem praedicant, qui statim, ut iactus nummus in cistam tinnierit, evolare dicunt animam.

となっており、"tinnierit"あたりかなと見当をつけて検索してみたら、リンク先の個人ブログに羅英日対訳が載っていて、これを見ると第27・28条のようですね。

http://ameblo.jp/ponsexcelsvs/entry-11785388878.html
 

マイスタージンガーの「ちゃりん」

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 4月 4日(火)10時52分40秒
  >筆綾丸さん
>ちゃりん
モノは試しと思ってラテン語の「95箇条の提題」をグーグル翻訳にかけてみましたが、よく分かりませんでした。

https://la.wikisource.org/wiki/Disputatio_pro_declaratione_virtutis_indulgentiarum

「ちゃりん」はマイスタージンガーのハンス・ザックスの詩「ヴィッテンベルクの鶯」、そしてルター支持者の木版画の小冊子『ルターの首引き猫』にも出てくるそうですから、そちらもあたってみようかなと思います。

深井智朗氏は多数の著・訳書を出されていますが、とりあえず近くの図書館で入手できた以下の書籍をパラパラ眺めてみました。

『パウル・ティリヒ─「多く赦された者」の神学』(岩波書店、2016)
『ヴァイマールの聖なる政治的精神─ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012)
エルンスト・トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』(春秋社、2015)
ラインホールド・ニーバー『アメリカ史のアイロニー』(大木英夫氏との共訳、聖学院大学出版会、2002)

深井氏が非常に優秀な人であることは改めて確認できたのですが、そうかといってエマニュエル・トッドを読み始めた頃のような知的興奮を感じることはできず、この先どうしたものかなと少し迷っています。
深井氏というよりドイツとの相性があまり良くないのかもしれません。
パウル・ティリヒは二重人格っぽくて、ちょっと気味の悪い人ですね。

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第一次大戦前のドイツに生まれ,ナチスから逃れてアメリカに渡った20世紀の代表的神学者にして,哲学にも大きな影響を与えたパウル・ティリヒ.「脱出」と「境界線」という言葉に象徴されるその生涯と思想を,未完成性や破綻の側面をも含めて読み解き,宗教的個人主義の時代のさきがけとして,ティリヒの神学・思想の現代的意義を問い直す.

https://www.iwanami.co.jp/book/b223954.html
 

贖宥

 投稿者:筆綾丸  投稿日:2017年 4月 3日(月)15時22分26秒
編集済
  小太郎さん
昨日、小旅行から帰って、やっと第2章まで読み進めました。仰ると通り、面白い内容ですね。

https://de.wikipedia.org/wiki/95_Thesen
贖宥状を買うときの描写に、「お金が箱の中に投げ入れられて、そのお金がちゃりんと音をたてるや否や、・・・」(35頁)とありますが、「ちゃりん」に相当するドイツ語は何だろうと、「九五ヶ条の提題」をざっと眺めてみましたが、どこにあるのか、わかりませんでした。
--------------
追記
95 Thesen には Ablass(贖宥)と Geld(金銭)という語がやたらと出て来るのですが、全部で 95ヶ条も要らず、10ヶ条もあれば用が足りたのではないか、という気がします。クラーナハの描くルターの肖像画は、たしかに、くどくてしつこそう感じではありますが。

https://en.wikipedia.org/wiki/Indulgence
ローマのラテラノ大聖堂の碑銘の解説に、
--------------
Indulgentia plenaria perpetua quotidiana toties quoties pro vivis et defunctis (English trans: "Perpetual everyday plenary indulgence on every occasion for the living and the dead")
--------------
とありますが、Indulgentia(贖宥)という言葉は、なるほど、こんな風に使われるのですね。


http://live.shogi.or.jp/denou/kifu/2/denou201704010101.html
第一局の棋譜は名人の完敗で、電王戦を今期でやめるのは賢い判断ですね。プライドをズタズタにされる前の尊厳死のようなもの。
 

「かのやうに」とアドルフ・ハルナック

 投稿者:鈴木小太郎  投稿日:2017年 3月29日(水)22時31分4秒
編集済
  >筆綾丸さん
昨日は細かいことをブチブチ言ってしまいましたが、『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』は非常に優れた本ですね。
森鴎外の「かのように」も登場します。(p126以下)

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森鴎外が見た保守的プロテスタンティズム

 一六六七年にドイツの国法学者ザムエル・プーフェンドルフ(一六三二~九四)が匿名で出版した『ドイツ帝国の状況について』という書物がある。その中で、彼はローマ・カトリック、ルター主義、そしてカルヴィニズムの三つの宗派を取り上げ、その特徴を述べている。ルター主義については、支配者に対する臣民の忠誠を強めた点を挙げている。「どの宗教も〔ルター主義〕以上によい方法でドイツ諸侯のために功績をあげたものはない。この宗教〔ルター主義〕と同様の仕方で君主国にとって使い勝手のよいものとして世間に広まった宗教はない」「事実ルター主義の教えで、その根拠が市民としての教えや法と相反するというものを見て取ることはできない」と述べている。まさに一つの政治的支配領域と教会の特別な関係、これこそがルター主義の特徴であろう。
 このようなドイツ社会のルター派の姿を知るためによい材料がある。それは一九一二年(明治四五)年一月の『中央公論』誌に掲載された森鴎外(一八六二~一九二二)の短編「かのように」である。この短編は日本で初めて保守的プロテスタンティズムを読み解いた作品かもしれない。というのも、鴎外がこの小説の中で、ヴィルヘルム期ドイツにおいて、プロテスタンティズムが担っていた社会的な機能を正確に描き出しているからである。
 それが神学者でも社会学者でもなく、陸軍軍医総監であった森林太郎によってなされた、ということが興味深い。当時の日本の神学やプロテスタンティズムはそのようなことは考えてもいなかったに違いない。
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少し検索してみたら、このあたりの記述は「ベルリンの日本人と東京のドイツ人:日本におけるアドルフ・ハルナック」(『聖学院大学総合研究所紀要』No.50、2011.3)を簡単にまとめたもののようです。
この論文は聖学院大学のサイトからダウンロードできますね。

http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_id=3113

フロイトに本格的に取り組むのも躊躇われて、暫くは18世紀の啓蒙主義とフランス革命の勉強でもしていようかなと思っていたのですが、急遽予定を変更して、明日からは巻末の「参考文献一覧」に出てくる文献のうち、深井智朗氏が翻訳しているものを中心にいくつか読んでみるつもりです。

五條秀麿の手紙(その1)(その2)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8151
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8152
五條子爵は考へた(その1)(その2)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8153
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8154
 

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