総代さんのつぶやき



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


124件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。


[127] 四国代参

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月19日(日)17時20分55秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

20日から1泊で金刀比羅宮と大山祗神社に代参に行ってきます。それぞれお札の授与と正式参拝をしてきます。この旅行が3年目の氏子総代にとっては卒業旅行になります。後は月次祭が一回あるのみとなりそれで総代の業務は終了となります。三年間は長いようで短かったと思いますし、貴重な経験もさせてもらいました。総代になったことがきっかけで地域のことや自分のルーツのことを調べることが出来ました。関係者の方には感謝申し上げます。




[126] ○番戸と△番地

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月16日(木)14時57分37秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

旧土地台帳を調べていく途中で、大正15年に土地を購入した人の住所が、この時代には既に地番が振られていたにもかかわらず、○番戸となっていまして、果たして何処の地番になるのかどうやって調べたら良いか分からず悩んでいましたが、ネットの情報から区役所で聞いたらということで早速区役所に行ってきました。親切に対応していただいて、番戸と番地が一致しました。その場所に住んでいた人の名前が分かれば調べられるということで伝えましたら、どこかへ電話をされていて、やがて「この地番です」と教えていただきました。さすがに役所でした。



[125] 明日は

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月15日(水)17時22分59秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

彼岸の入りに行われる祈年祭・慰霊祭の準備があります。3年目の氏子総代にとっては最後の祭事になります。準備の日も当日も天気は良さそうでテントを張る必要も無いようです。これですべての祭事が雨も降らず遂行できることになります。ご先祖様の御陰だと思えて成りません。私で連続4代に渡って氏子総代を務めさせていただいています。昭和40年区画整理で田んぼが無くなるまでは一部の田んぼで小作料を納めていましたので先々代はまさに小作人でありながら総代も務めていました。本来なら小作人が出来るものではない立場ですが時代が良かったのでしょう。有り難いことです。



[124] ようやく

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月10日(金)08時22分54秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

年度も差し迫ったこの時期になってようやく次期氏子総代が決まってきています。無理を言って引き受けていただいた方も有り、他の総代の方にも影響が出ることもあるとは思いますが、6人で互いに補完し合って行けたらと思います。どちらの方々にも感謝します。



[123] 更なる徒然に

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月10日(金)05時43分49秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

愛知郡村誌にある村の内、税地として田、畑、宅地のデータが揃っている村を取り上げ、地租を田、畑、宅地の面積から推定する地租推定式を重回帰分析により作り、実際の地租との関係を散布図に表しました。グラフのように、寛文の時代と違って、地租の額が多くなるにつれ推定値との誤差が広がっていくこととなりました。対象が石高と違い地租である事で間に年貢割合が介在しているため誤差はより多くなるとは思われますが、地租との相関図からは田、畑の分散は推定値と同じ広がりを示していることから、各村ごとに同じ面積でも等級割合が異なっているため地租に巾が出来、面積が多くなるにつれ、誤差が大きくなっているものと考えられました。逆に言えば寛文の時代では、田畑の等級割合は各村で大きな相違はなかったとも考えられます。



[122] 徒然に

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月 3日(金)10時45分19秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

寛文村々覚書に載っている上社村近在の43ヶ村の各村の家数、人数と田、畑、山の面積から石高を推定する推定式をステップワイズ回帰として作り、実際の石高と推定石高の関係を見たグラフを表しました。田畑の単位は町、石高は石です。畝以下は切り捨ててあります。43のデータから導き出された推定式は

    石高推定式=田 * 11.49 + 畑 * 9.99 + 人数 * 0.23 + 60.47

となり、家数、山の面積は不採用となりました。

この推定式の値と実際の値を散布図にしたものが添付のグラフです。(r=0.943 p=0.01で有意)
江戸時代初期のこの地方の石高の算定に際し、田に対する畑の割合は、平均的には8割7分となることに成ります。平均的には良いのですが誤差がまだまだ大きいので推定式としては田畑の等級や宅地の面積など情報量が足りないのだと思います。



[121] 追加のデータ

投稿者: masami 投稿日:2017年 2月27日(月)17時28分9秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

添付のデータは上社村の田畑の一人当たりの面積です。江戸の始めも明治の初めも田の面積は一人当たりでは変わり有りません。田んぼは労力が必要で、ある程度以上は能力の限界があるのでしょうか。畑は一人当たりでも増えています。ただ昭和に入ると田んぼの面積は減少し畑は変化がありません。都市近郊の村の特徴なのでしょうか。理由はよく分かりませんが現金を稼ぐため畑でとれたものを町まで売りに歩いたりしたためか或いは口数が増えても農業に従事する数が増えなかったのかも知れません。



[120] ついでに

投稿者: masami 投稿日:2017年 2月20日(月)05時19分36秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

掲載したグラフは寛文村々覚書、愛知郡村誌、昭和版猪高村誌の上社村の田畑面積、戸数、口数を比較したものです。田畑の面積は同じように昭和の時代までほぼ一定の割合で増加していますが一戸あたりにしてみますと田は減少し畑は増加しています。戸数、口数は分かっているデータも加えてありますが、明治の初めに人口は一旦減少しその後急速に増加しています。



[119] 取り留めも無いこと

投稿者: masami 投稿日:2017年 2月14日(火)15時18分25秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

上社村には森本家文書なる書き置きが伝わっておりますが今は何処にあるのか不詳となっています。この文書の内容に関しては伊藤正甫著「名東区の歴史」に書き起こされており誰もが参考にすることが出来ます。その内の第四代目森本三蔵の項目に「伊奈備前殿御検地は慶長十三年(1608)申の八月十一日。此の時打○は彦坂九兵衛、山境案内は森田才三郎・小山源兵衛也。惣町数四拾壱町六畝十五分也。此の高五百五拾三石八斗。今高六百九拾六石三斗御打出し成られ候。」と書かれています。この内の此の高はこれまでの石高で今高が備前検地の値となると考えられます。寛文村々覚書の上社村にある元高が森本家文書の此の高と同じ値で今高は今高の値と同じとなっています。寛文村々覚書にある今高は備前検地の値が書き込まれていることになります。しかも上社村の検地期日は慶長十三年(1608)申の八月十一日であったことが分かります。備前検地の石高はそのまま尾張徇行記の今高にもなっており、何時の時代の値を写したものなのか尾陽八郡村高付の値とも又近世後期とされる尾張領郷帳の値とも一致しています。少なくとも尾張徇行記の成立年文政5年(1822年)頃までは表高は二百年ほど同じであったと思われます。時代と共に当然田畑の開墾は進み管理の改良もされ収穫量は増加していたはずで実質の年貢割合は減額されていたものと思われます。愛知郡村誌にある貢租の内、明治8年の旧租の年貢高は237石6斗9升2合と記されています。表高は変わりなくても内高はその都度変えられております。備前検地の田畑の面積と旧租時の田畑の面積を比較し大雑把に面積が増えただけ内高が増えたものとして計算すると明治初期の内高は山や屋敷は無視をして畑は田の6割として1183石となり年貢割合は2割ほどに成ります。3年後の明治11年の新租でも145石7斗5升(同年の名古屋相場米価格で換算)と減額されています。



[118] ピンチです

投稿者: masami 投稿日:2017年 2月 6日(月)10時20分52秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

来年度の氏子総代二人のなり手がありません。平成になって以来毎年二人ずつ3年任期で続いてきたものが途切れます。昭和の時代は毎年一人4年任期で行われていましたが、今の境内と違って全体が林の中で清掃範囲も狭く管理が楽だったと思われます。それでも一人のなり手もいないこの惨状にあっては昭和の形態に戻さざるを得ません。つまり毎年一人ずつ4年任期で続けていくことしか現状では有り得ません。この頃は65歳を過ぎても働いている人が増えて、総代の候補者も減っていますので、毎年二人は厳しいのでは無いかと思われます。このピンチを救っていただける氏子中の方はみえませんか?



[117] 残すところは

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月26日(木)18時00分40秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

春の彼岸の入りには祈年祭・慰霊祭が予定されています。今年も昨年と同じ3月17日に当たります。この頃は菜種つゆの時季に当りまして気を病んでいます。これまでのお祭りごとでは中止や変更になることも無く無事遂行出来ていましたが、残すところ後ひとつ、雨も降らずに終えたいところです。雨の時は4社の前にテントを張る事になりますので撤収のことも含め厄介です。



[116] 社村三社参り

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月16日(月)16時51分8秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

社村の起こりと関連するところでありますが、貴船明神が下の森にあって水岡女命をお祀りして、社村のこの地域の安寧をはかった時代から、政治的に下社、上社、一色の三村に分かれてそれぞれの村に貴布祢明神がお祀りされることとなった時を経て、今となっては日吉神社だけ貴船明神の名称をまとわず今に至っておりますが、出所は同じ下社、上社、一色の神社ではあります。しかも元は社村から分かれて三村に分祀された水岡女命をお祀りしている命を正月の始めに同時にお参りをし、一つの命として纏めていただくことは、誠に以て、霊験あらたかなことと思われます。各地に三社参りという風習が伝わっておりますが、分村の憂き目を経て今の時代に新たに一つの命を心にすることは、おおきに意味のあることと考え、ここに社村三社参りを提言いたします。三カ所に分かれざるを得なかった神様を同時期にお参りをしてより強い願いを天に届けて下さい。



[115] 14日で炊き上げ終了

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月16日(月)05時26分36秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

左義長は終了しています。正月飾りなど縁起物は自宅で塩、酒で清めた後、処分をお願いします。



[114] 降りしきる雪の中

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月14日(土)13時36分27秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

朝の7時30分に神社に準備に行きましたらむつみクラブの方が既に来て見えてました。準備中に限って雪が降りしきっていましたが整った頃にはすっかり止んで良かったと思います。終わる頃になると再び雪が降り出してきましたが概ね良かったということにします。



[113] 明日は左義長

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月13日(金)12時03分51秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

14日朝は予報では8時前後に雪が少し舞うようです。今日にも正月飾りが大量に持ち込まれていましたがその中に御供えの餅まで入っているものが大量にありました。そのまま燃すことが出来ませんのでご自宅で食べていただくようにお願いします。他にも陶器類やガラスなど焼却出来ないものもお引き受け兼ねますのでご自宅にて塩、酒で清めた後処分をお願いします。



[112] お帰りスロープ

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月 4日(水)02時40分5秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

拝殿前から一方向に移動するようにしました



[111] 待ち時間の短縮

投稿者: masami 投稿日:2017年 1月 3日(火)04時34分21秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

初詣の時一月一日の夜中と10時から夕方5時までどうしても待ち行列が発生して毎年ご迷惑をおかけしていますが少しでも待ち時間が短くなるようにと工夫をさせていただきました。神社拝殿に上ってお参りを済ませ降りるときに交差をする事がありましたのでそれが無いように帰路を別にしてみました。これで少しでも待ち時間が短くなっていることを期待しています。



[110] 左義長

投稿者: masami 投稿日:2016年12月28日(水)19時40分45秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

元旦祭の準備がようやく整ってきた所ですが、早くも1月14日の準備が始まりました。主催は老人クラブのむつみ会ですが、神社も協賛しています。正月飾りの餅を神社とお寺から集めどんど焼きの火から起こした炭火で焼いてぜんざいの中に入れお参りに来られた方々に振る舞います。天に返す正月飾りも別の所で燃やします。



[109] 2017初詣は日吉神社へ

投稿者: masami 投稿日:2016年12月17日(土)16時12分46秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

12月28日に正月の準備をします。

①正面参道の7対の灯籠に蝋燭の火を点す事
②拝殿正面まで4列で参拝待ち行列用の通路を作ること
③鈴緒も4人同時に参拝できるように4本にすること
④参拝後のお帰りを一方通行にするため、お帰りスロープを設置すること
⑤一方通行であることを指示する掲示を設置すること
⑥2カ所のトイレの案内板を設置すること
⑦四斗樽による振る舞い酒接待用のテントを設置し紅白幕で飾ること
⑧参拝ルートを明るくする為サーチライトを設置すること
⑨暖を取るためも兼ねて篝火を焚く準備をすること
⑩御神籤を結ぶためのロープを設置すること
⑪などなど
落としの無いように準備を整えます。
従って、参拝をされる方は表参道より両脇の灯籠の灯を見ながら階段を上がっていただいて、左の手水舎で体を清めてもらい、虎ロープに沿って4列で並んで拝殿まで進んでいただきます。参拝後は右手に設置されたお帰りスロープを降りていただき、社務所窓口で授与品の授与を受けていただきます。その後は車いす用スロープを降りていただいて、振る舞い酒の接待を受けて下さい。それから、たき火に当たって暖を取った後、気をつけてお帰り下さい。車の運転をされる方への接待は致しませんのでご容赦を願います。
尚、急に体調を崩し意識を無くされる方のため、AEDを社務所窓口に設置してありますので、そのような場合は申し出て下さい。



[108] 唐突に再びの道路地図

投稿者: masami 投稿日:2016年12月 1日(木)04時49分55秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

古地図に残る上社村を通る街道の、年代比較から解る重要なことは、行者堂の位置が一部のサイトで指摘されているところとは違って、現在の津島社がある当たりにあったことです。だからといってどうと言うことはありませんが、この村に住む者としては、間違いは正しておきたいところです。1790年代の地図には赤破線が書き加えてあります。1847年が基準になります。1884年には分かりやすく比較道路と並行に赤線を書き加えてあります。


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