勝手じいさんのつぶやき



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


140件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。


[143] 岩崎御嶽山

投稿者: masami 投稿日:2017年 7月20日(木)10時51分2秒 i118-16-121-210.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

岩崎山の御嶽社に行き、先達さんの話を伺って来ました。結局、岩崎山には上社村どころか高針村、猪子石村の霊神碑もありませんでした。以前に作られたという霊神碑リストも拝見させて頂きましたが、猪高村の関係者らしき人の名前も有りませんでした。猪子石村の人達が血判状まで認め開いたと言われているにもかかわらず霊神碑すらないことが不思議でなりません。




[142] 不思議なこと

投稿者: masami 投稿日:2017年 7月15日(土)17時55分52秒 i118-16-121-210.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

心願講結成時の件で御嶽山を岩崎山に祀るとあるところが不思議でならない。私が小さい頃、岩作(やざこ)を「いわさき」と読み間違えていたこと、猪子石方面から出来町通りを真っ直ぐに東に行くと岩作村に至り距離的にも岩崎村よりは近いことから、或いは最初に猪子石村の有志が相談したのは、岩作山の間違いなのではないかと思えてならない。記述が代官所の文書や発起人の書き置きにあるのであれば致し方のないことで、戯言として嘲笑に付していただければ幸いです。



[141] 岩作御嶽山

投稿者: masami 投稿日:2017年 7月 1日(土)11時23分46秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

この御嶽山にある上社の霊神は、集合碑として写真の中の白瀧霊神、明教霊神、勝心霊神、栄光霊神、明高霊神、栄覚霊神、清信霊神の7体である。日吉の森になかったのは栄光霊神、明高霊神、栄覚霊神、清信霊神です。この碑は昭和61年10月に建立されています。この地には高針心願講の個人の霊神碑はないとのことで、確かに探しても在りませんでした。在るとすれば岩崎の御嶽山に在るとのことでしたので又の機会に探してみます。霊神帳の11名以外にも3名の霊神が認められます。



[140] 王滝村の地震

投稿者: masami 投稿日:2017年 7月 1日(土)05時10分35秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

平成29年6月30日16時00分 気象庁地震火山部発表として、火口周辺警報(噴火警戒レベル2、火口周辺規制)が継続とありますが、噴煙活動や山頂直下付近の地震活動は緩やかな低下が続いており、火山活動は静穏化の傾向がみられているとしています。3年前の噴火からこの地震までと1979年の噴火から山体崩壊を起こした地震までの5年とは関連があるのでしょうか。地震もこのまま治まってくれれば御嶽の登拝も出来るのですが少し心配ではあります。



[139] もう一方(かた)の霊神碑

投稿者: masami 投稿日:2017年 6月28日(水)05時45分42秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

三枚以上の写真が同時に掲載できないため別扱いになってしまいました。失礼を致しました。二枚目は寄進をいただいた不動明王像(ひょっとするとご本人の作)ですがひび割れや欠けがあってかなり傷んでますが、なかなか味のある物です。



[138] 霊神場

投稿者: masami 投稿日:2017年 6月23日(金)15時14分8秒 i118-16-121-210.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

「名東区の歴史」には、天保8年6月(1837年)に民間信仰の高まりから、猪子石村の有志が集まり、血判状を認め、小野村代官所に願い出て、岩崎山に御嶽山をお祀りし、心願講を始め、熱田丸山講に合流したとある。一方、名東史跡案内に寄れば、岩崎御嶽山の開山縁起の記述から万延元年(1860年)に開山されたとし合流の講も宮丸講としている。長久手市郷土史研究会の記述には、岩作御嶽山の現堂主の談として、寛政4年(1792)軽潔斎の登拝が許可され、天保元年(1830)岩作御嶽山に御神霊が授けられ、安政2年(1855)丹羽宇兵衛、倉知茂兵衛により奉祀されたとあり、木曽御嶽教の御分家として心願講を統括する任務を負っているとある。日吉神社境内にある御嶽社はそれより下ること慶応元年12月(1865年)、上社村に住まいする御嶽を信仰する者ら(おそらく加藤宇兵衛、加藤淸蔵、加藤定蔵、山田傳内ら)が旧藩に願い出て許可を受け、山王権現の森に祠を作り神札をお祀りしたことから始まる。この間5~30年弱、この地域の御嶽講である心願講に上社村からも参加していたと考えられ、信仰が高じて社を作ることとなったと思われる。隣りの村から御嶽にお参りに行っているという事を聞き及び30年弱も無視することは考えにくいことから、精々5年程度の遅れの方が合っているものと考える。御嶽社の古い棟札は残っていないので上社の誰が願い出たのかは詳らかではない。明治4年には御嶽神社と記された石碑を置いている。明治38年には屋根の葺き替えを行っており、その後昭和10年に御嶽社を新築している。その時の発起人に山田貢、前野秀義、牧野義三、加藤銖市、加藤鉦二、横地鹿義が名を連ねている。残っている霊神碑で一番古い物は明治42年の清心霊神のものである。これらの人達により上社の地にも御嶽講が組織され御嶽登拝を行うようになったと思われる。彼らが活躍していたのは昭和30年代頃まで、と不確かな記憶では思えるのだが、霊神碑として日吉の森に祀られてしまった頃までに上社の御嶽講も絶えてしまっている。「貢」も何ら書き残した物はなく、当時の私には興味も無く聞き取ることもせず今に至ってしまったのであるが、彼らの霊神碑が日吉の森の頂に残されている。霊神帳に記されている11名の内10名の霊神碑がここに在りますが、残りの霊神碑は岩作御嶽山に祀られています。歴女のなおさんが感じたように夏目友人帳に出てきそうな場所、霊神場なのです。今年も高針心願講に随伴し、頂上までは行けませんが、女人堂までの登拝をさせて頂きます。発起人の内の末裔三人揃ってお参りしてきます。



[137] 社村三社参り

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月28日(金)15時34分10秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

社村の起こりと関連するところでありますが、貴船明神が社村の真ん中「下の森」にあって水岡女命をお祀りして、社村のこの地域の安寧をはかった時代から、政治的に下社、上社、一色の三村に分かれてそれぞれの村に貴布祢明神がお祀りされることとなった時を経て、今となっては日吉神社だけ貴船明神の名称をまとわず今に至っておりますが、出所は同じ下社、上社、一色の神社ではあります。しかも元は社村から分かれて三村に分祀された水岡女命をお祀りしている命を正月の始めに同時にお参りをし、一つの命として纏めていただくことは、誠に以て、霊験あらたかなことと思われます。各地に三社参りという風習が伝わっておりますが、分村の憂き目を経て今の時代に新たに一つの命を心にすることは、おおきに意味のあることと考え、ここに社村三社参りを提言いたします。三カ所に分かれざるを得なかった神様を同時期にお参りをしてより強い願いを天に届けて下さい。

貴船社 :名古屋市名東区一社3ー14   052-701-0077
貴船社 :名古屋市名東区貴船2ー1901 052-702-1716
日吉神社:名古屋市名東区上社2ー45ー1 052-774-7293



[136] 山菜採り

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月27日(木)18時11分55秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

九頭竜湖の向こう側まで行って山菜を採ってきました。大野市旭日辺りですが桜が満開でした。行き逢った地元の方は今年は雪が多くて何時までも寒かったので7-10日ほど遅れていると教えていただきました。かなり太い杉の木が根元から何本も折れていたり水路に砂利が埋まっていたりとかなり荒れた状態で補修工事もされていました。主にはツクシとコゴミとゼンマイでアズキ菜やワラビにはまだ早く蕗の薹には遅い時期でした。ゼンマイを採るのが面白くて夢中になっているといつの間にか急な崖の上の方にいて降りるのが大変でした。1時間半ほどの間で足がガクガクになってしまいましたがそれでも面白くてこの所の毎年の行事となっています。



[135] コゴミの味

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月22日(土)11時43分56秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

福井の山から取ってきたコゴミがもう開いてしまいました。開く前に10本ほど天ぷらで食べましたが味がしませんでした。やはり山の栄養分を吸収したものでないとあの味はしないのでしょう。始めの頃山からスギの葉を拾ってきてかぶせていましたが今とそんなに変わらず味のないものでした。やはり野に有れ味コゴミです。



[134] 藤棚の観察

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月19日(水)16時13分28秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

今日は朝から曇っていて夕方のような明るさだったせいか熊蜂も出勤していません。いつも夕方になると居なくなりますので明るさが蜜取りに関連しているようです。昼間明るくなっても出勤してきませんので明るさと他の何かが蜜取りに出かけるかどうかの条件になっているようです。おそらくは気温ではないかと思われます。ちょっと小寒い日には蜂の集まりは殆ど有りませんので。ネット情報では熊蜂のホバーリングは雄が雌を探してする行動のようですが、藤棚に蜂がいっぱい居るにもかかわらず、そちらにはちょっかいかけず、ひたすら近寄ってくるものを追いかけていますので雌を探してする行動だけではなく或いは見張り役も兼ねての行動なのかもしれません。



[133] 熊ん蜂

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月16日(日)15時54分31秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

藤が咲き始めています。まだ房元の方だけの開花ですがそれでも熊ん蜂が飛んできています。見張り役が一匹いて何か近づくものがあると追い払っています。ミツバチや雀人様まで追いかけます。人を刺すようなことはないようですが五月蠅いです。これから花の房が更に伸びて、開いた花も増えてきますので蜂も増えてきて近寄れませんが、夕方になればすっかり居なくなりますので人の作業はそれからです。



[132] 花便り

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月 7日(金)09時58分58秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

5日に東山動植物園の花見に行ってきました。三越で花見弁当とビールを買って入りましたが、一時期と違い中でもビールの販売はされていました。曇っていましたがそれでも日焼けをしてしまいました。植物園側の桜はまだ少し早かったのですが動物園の桜は満開でした。我が家に帰って庭の藤棚を見ましたら花芽が伸びてきていまして、桜が終われば又楽しめます。裏庭の大手鞠も今年は花芽が沢山ついています。山から取ってきた片栗の花もひっそりと咲いています。花ではありませんが野甘草やコゴミも出てきています。ようやくに春爛漫です。



[131] 除籍謄本と住民票

投稿者: masami 投稿日:2017年 4月 3日(月)16時47分45秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

先祖調べで除籍謄本を取る段階になって初めて気がついたことですが、戸籍には本籍しか書かれて居らずどこに住んでいたかという住民票なるものは書かれていないのでした。どこで生まれたかという情報は載っていますので実家に帰っての出産でなければ現住所は分かりますがそうでなければ分かりません。従って戸籍から現住所を調べることはかなり手間がかかったり不可能だったりします。これは大変です。結局、昭和・大正・明治へと類推をしながら住宅地図を遡っていくことしかないようです。戸籍も明治期になると番戸がいっぱい出てきます。しかし番戸で出ている次の家督相続人の除籍謄本を取れば番地に変わっているはずですが、自分の直系の人しか謄本は取れませんので、これも無理があります。兎にも角にも大変なことです。



[130] 名称変更

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月31日(金)11時41分37秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

4月29日で氏子総代を卒業します。従って4月30日からは掲示板の名称変更をします。「勝手じいさんのつぶやき」とでもします。まだ、明治期の住宅地図が完全ではなく時間がかかりそうです。つぶやきですがTwitterにはしません。このままのほうがよさげなので。それに名称は変わってもアドレスは同じですのでブックマークされていればそのままアクセスできます。



[129] 勝手な解釈

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月29日(水)17時49分4秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

蓬州旧勝録の上社村に書かれた内容について考察
1)前の山に観音堂がありそれを円福寺境内に移したことが書かれていますが、寛政年間の古地図の写しでは前の山は貴船明神・庚申堂のある小山の東で、上社城のあった城山の南に当たります。しかし森本家文書には「当村前山の城主加藤勘三郎」とあることから村民は城山のことを前山としているようで、城のあったところに観音堂はあったと思われます。
2)追日再興一ケ寺と成ル、安永七戌年(1778)とありますが、これも森本家文書には「この寺は先年より観音の寺なる故・・・寛文元年(1661)の頃先ず先ず円福寺を観音寺とお替え成らせ候。」とかかれており、また「寛文七年未の5月是より熱田海国寺末寺相成り申し候」とあることから寛文のほうが正しいと考えます。

つまり、寛文の始め、前山にある上社城の一角にあった観音堂を円福寺の境内に移し寺号も観音寺と変え臨済宗熱田海国寺の末寺としたことになります。



[128] 間違いの指摘

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月26日(日)20時41分1秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

蓬州旧勝録の上社村の項を解釈してみました。肝心なところで間違っていたりしていることや、分からないところは○で埋めている状態ですが、教えを請いたくここに書き出しました。概ね意味はとれてはいますが不明なところも残っていますので、読み間違いがあるのだと考えていますが、これ以上は能力的に無理がありますので恥をさらします。

として書き出しましたが随分と間違いを指摘されましてやはり一寸恥ずかしいので書き出し部分は削除させていただきました。インターネット上の情報で大まかな意味がとれることは分かりましたので今回のご指摘を参考にこりずに進めたいと思います。



[127] 四国代参

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月19日(日)17時20分55秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

20日から1泊で金刀比羅宮と大山祇神社に代参に行ってきます。それぞれお札の受領と正式参拝をしてきます。この旅行が3年目の氏子総代にとっては卒業旅行になります。後は月次祭が一回あるのみとなりそれで総代の業務は終了となります。三年間は長いようで短かったと思いますし、貴重な経験もさせてもらいました。総代になったことがきっかけで地域のことや自分のルーツのことを調べることが出来ました。関係者の方には感謝申し上げます。



[126] ○番戸と△番地

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月16日(木)14時57分37秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用   編集済

旧土地台帳を調べていく途中で、大正15年に土地を購入した人の住所が、この時代には既に地番が振られていたにもかかわらず、○番戸となっていまして、果たして何処の地番になるのかどうやって調べたら良いか分からず悩んでいましたが、ネットの情報から区役所で聞いたらということで早速区役所に行ってきました。親切に対応していただいて、番戸と番地が一致しました。その場所に住んでいた人の名前が分かれば調べられるということで伝えましたら、どこかへ電話をされていて、やがて「この地番です」と教えていただきました。さすがに役所でした。
後日談:除籍謄本を取って分かったことですが出所は同じでした。電話先は市民課だったようです。



[125] 明日は

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月15日(水)17時22分59秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

彼岸の入りに行われる祈年祭・慰霊祭の準備があります。3年目の氏子総代にとっては最後の祭事になります。準備の日も当日も天気は良さそうでテントを張る必要も無いようです。これですべての祭事が雨も降らず遂行できることになります。ご先祖様の御陰だと思えて成りません。私で連続4代に渡って氏子総代を務めさせていただいています。昭和40年区画整理で田んぼが無くなるまでは一部の田んぼで小作料を納めていましたので先々代はまさに小作人でありながら総代も務めていました。本来なら小作人が出来るものではない立場ですが時代が良かったのでしょう。有り難いことです。



[124] ようやく

投稿者: masami 投稿日:2017年 3月10日(金)08時22分54秒 i114-180-205-17.s41.a023.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

年度も差し迫ったこの時期になってようやく次期氏子総代が決まってきています。無理を言って引き受けていただいた方も有り、他の総代の方にも影響が出ることもあるとは思いますが、6人で互いに補完し合って行けたらと思います。どちらの方々にも感謝します。


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